響焰俳句会

ふたりごころ

響焰2019年1月号より

響焰2019年1月号より


【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201901


四響 志津子    山崎 聰


ある夜加齢森のはずれのお月さま
馬や人やぼんやりと秋過ぎてゆき
ふたりさびし三人の秋なおさびし
秋雨の草加越谷誰か過ぐ
鯛焼にたっぷりの餡喜八の忌
十二月八日ふたりで鬼ごっこ
あかあかと街の灯わが灯冬至粥
石段の先に冬星つと奈落
うみやまは冬のかたちを四響志津子
立ちあがり立ちどまり冬の夕焼

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2018年10月号より

三時には赤い蟹来る夏休み        森村 文子
こんなところに八月の非常口       加藤千恵子
鳶尾や父の背なかを見ておれば      鈴 カノン
神父来る向日葵畑のむこうから      岩崎 令子
七月の格別な朝赤ん坊          小川トシ子
ひまわりの一番きれいな日の自画像    愛甲 知子
加速して緑の中へ夏休み         鈴木 瑩子
誘われてほたるぶくろの暗がりに     あざみ 精
自販機のひとかたまりの暑さかな     大見 充子
迷いなく当然の白夏椿          笹尾 京子

<白灯対談より>

頑張った褒美のような秋の空       小林多恵子
瓦斯灯のほのおの揺らぎ冬に入る     廣川やよい
おとうとを泣かせうしろの苅田風     北川 コト
秋うらら小人ぞろぞろ丘越えて      大竹 妙子
遠く来て風とコスモス買いにけり     波多野真代
星月夜弱者貧者のへだてなく       川口 史江
秋高く人馬一体風のなか         中野 充子
ザクザクと妖怪の列山粧う        金子 良子
雲という雲引き連れて台風来       相田 勝子
地球儀に秋の海原みな遠く        笹本 陽子
野分あと軍手長靴竹箒          原田 峯子
長き夜やもやしのひげと猫の髭      田口 順子
お日さまに一番近い木守柿        加賀谷秀男
菊人形日毎たましい宿りゆく       浅見 幸子

 

【山崎主宰の編集後記】

 ノルウェーの画家エドヴァルド・ムンクは”私は見えるものを描いているのではない。見たものを描いているのだ”と云っている。”見えるもの”と”見たもの”は、言葉は似ているが意味するものは全く違う。つまり”作者の意志”ということである。

 ローマの武将ユリウス・カエサルの云う”人は見たいと思うものしか見ていない”と通底するものであろう。

 このことは俳句についても云えるのではないか。漠然と視野に入ってくるもの、つまり見えたものでなく、作者が意志を持って見たもの、それを書くのが詩であろう。          (山崎)

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