現在ただいま生きている人間の、いまの熱い思いをふたりごころで詠う・・・

響焰誌より

響焰2018年12月号より

【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201812


寧楽    山崎 聰


王朝の寧楽(なら)をおもえばほととぎす
炎日の柩を置くに水の下
その一本を赤い花アマリリス
遠い日はとおくなんばんぎせるかな
ゆっくりと下りて秋に追いつきぬ
諧謔のさいごのさいご秋の風
すこしだけやさしくなって秋の夕暮
あと一歩オリオン見えるところまで
秋の野赤く大きい子小さい子
十月の俺と尻尾と神楽坂

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2018年9月号より

はつなつや墨の滲みの吉野紙       栗原 節子
月下美人もうひとつの闇ひらく      森村 文子
六月のいちにち長し象の皺        米田 規子
暗澹の方へ曲がりて蝸牛         中村 克子
たれかれがいる逃水の向こうがわ     西  博子
まなこさまよい六月のみずたまり     青木 秀夫
沸点にとどく泰山木の花         愛甲 知子
戦争と平和かたつむり生きている     高橋登仕子
片隅に風のあつまる余り苗        土屋 光子
そら豆の不思議な顔の不愛想       石井 昭子

<白灯対談より>

何もないいつもの暮し良夜かな      廣川やよい
何はともあれ窓をふく野分あと      中野 充子
真実のいろ深くして白薔薇        大森 麗子
ゆったりと八月のみんなの地球      森田 成子
覚悟をすれば気楽なり二十三夜      波多野真代
主なき書斎にとどき稲光         川口 史江
十三夜かすかにまるい辞書の肩      小林多恵子
一粒の狂気大皿のマスカット       北川 コト
花ダチュラよみがえりよびもどすころ   大竹 妙子
青蜜柑やさしくされて寂しかり      相田 勝子
遠くから音が運ばれ運動会        江口 ユキ
秋夕焼故郷のいま山頭火         土田美穂子
秋初め天使の羽根のように雲       小澤 裕子
冬瓜の途方に暮れたるすがたかな     田口 順子
オペラ座の秋を思いてねむりけり     笹本 陽子
峡も秋小母さんと犬振り返る       加賀谷秀男

 

【山崎主宰の編集後記】

 俳句は、見たもの、つまり眼前の事実をどう書くかではなく、眼前の事実からどう離れるか、なのではないか。

 古来、写生の名句として人口に膾炙している俳句も、一見眼前の事実を書いているようで、実は事実の奥にある真実を書いているから名句なのだ。

 事実を確かめたら、あとはその事実から離れる、それができなければ本物の俳句は書けまい。虚実皮膜とはそういうことであろう。       (山崎)

響焰2018年11月号より


【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201811


嗚呼    山崎 聰


結界は新樹の森の二つ星
半夏雨たしかなるものなにもなく
北極星北斗七星川開き
六日九日それからの旱星
熱帯夜遠いものから見えはじむ
炎日に翳も七十五歳嗚呼
終戦忌大東京に熱い風
獣骨のごときを踏めり月の夜
これからのひとりとひとり実山椒
九月の蚊ここが踏んばりどころなり

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2018年8月号より

半透明かつ透明に立夏かな        森村 文子
金魚玉とんと遠くにぽるとがる      加藤千恵子
忘却を集めておりぬ花筏         中村 克子
ダーウィンのそのしんがりを蟇      西  博子
うつらうつら目覚めています金魚玉    岩佐  久
躑躅群れ咲く半分は狂気なり       愛甲 知子
西口で待たされている青蛙        鈴木 瑩子
機嫌よく月上りけりこどもの日      土屋 光子
麦の秋渋民村はこんな景         石井 昭子
風景の半分は空こどもの日        松村 五月

<白灯対談より>

踏んばってすこしゆがんで夏の月     大森 麗子
日の盛り気怠き午後のオスプレイ     中野 充子
自販機の赤い点滅敗戦忌         小林多恵子
ソーダ水遠い昭和の兄妹         森田 成子
自転車屋の熱い話を終戦忌        波多野真代
日捲りを忘れたるまま残暑かな      廣川やよい
平成の八月が逝く青々と         相田 勝子
入道雲のこらず呼んで甲斐の国      大竹 妙子
牽牛花記憶の壁の向こう側        川口 史江
八月十五日葡萄汁発酵す         田口 順子
みんみんのひとしきり鳴きあと黙る    江口 ユキ
草も木も鳥もけものも盆休み       小澤 裕子
夏惜しむ小さい駅の待合室        金子 良子

 

【山崎主宰の編集後記】

 幾つかの句会に出ているが、女性の作者は概して事柄を書いていることが多い。これに対して男性は概念から入っていく傾向があるようだ。事柄も概念も詩のきっかけには違いないが、詩の本質からは程遠い。

 事柄や概念は意味の裏付けを必要とするが本来意味を拒否したところから詩が生まれることを想えば、事柄や概念のもっとも先にある虚実皮膜の世界が詩だと思うべきであろう。       (山崎)

響焰2018年10月号より


【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201810


大和は吉野    山崎 聰


毛虫焼くことからはじめ山暮し
きょうその日いちにちだけのねむの花
八月の大和は吉野戦争へ
真夜中の異物としての冷蔵庫
どこまでも男と女盆踊り
土用丑の日海を見て空を見て
熱帯夜ひとりは置いてゆかれけり
三伏のけものめきたる草の丈
彼および彼女らそして合歓の花
縁あって月夜のバーボンウィスキー

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2018年7月号より

嘴をひらいて紅く卯月かな        森村 文子
うすものやうしろ手に柔らかいとげ    渡辺  澄
おろおろと筍茹でて雨や風        米田 規子
春疾風みじん切りをたたきのめして    鈴 カノン
麨や初恋ほろほとこぼれ         西  博子
したたかに男兄弟桜餅          小川トシ子
花水木清く正しく晴れた朝        秋山ひろ子
五月来るしみじみと右手ひだり手     高橋登仕子
嗚咽とも桜ふぶきのど真ん中       大見 充子
また一人泣かせてしまい桜どき      松村 五月

<白灯対談より>

雲海のどこにどう打つ句読点       川口 史江
太陽の申し子として西瓜食む       中野 充子
濃紫陽花穏やかにいて人の中       大森 麗子
流木のオブジェ七月のホテル       小林多恵子
川満々としたのはきっと夏の月      波多野真代
仕合せを全部つめこみ蛍袋        森田 成子
夏祭ふとよぎりたる父の匂い       廣川やよい
ねじり花ねじれて見える青い空      相田 勝子
舟虫しぐれ変哲もなく生きていて     大竹 妙子
淋しさの通り過ぎたる夏の雨       水谷 智子
砂浜を走って来る子盛夏なり       笹本 陽子
大切なものは見えずに走馬灯       田口 順子
風神も雷神も居る雲の峰         小澤 裕子
大暑の日砦に籠るように住む       江口 ユキ
あこがれは豪華客船夏の蝶        金子 良子
一年のわたしの月日松の芯        原田 峯子

【山崎主宰の編集後記】

 最近、若い人たちの俳句を読むと、恰好いいなあ、と思うことがある。もちろん俳句は作者を離れたフィクションだが、作者自身に恰好良さや時代の先取り、といった意識があるから、俳句も恰好良くなるのだろう。

 だが、俳句という文芸は、恰好良さとは正反対の、きわめて泥臭い、いわばいちばん時代遅れの文芸なのではないか。自然を愛し、人を愛し、自分を愛する、そんな今の世では一笑に付されるような、時代遅れの文芸なのではないかと思うのだがどうであろう。       (山崎)

響焰2018年9月号より


【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201809


慟哭    山崎 聰


トマトから生まれてきょうのむすめたち
熟睡のあと夏星の一語一語
東京をはなれてからの祭笛
蚰蜒(げじ)蜈蚣(むかで)いろあって日が暮れる
アマリリスその一瞬の顔かたち
慟哭はかの夏の日の雲間から
ためらいてさまよいて炎日の母ら
ともだちのともだちとして夏の星
やさしさに遠くある日の白い滝
ぼんやりといて月の夜のアメフラシ

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2018年6月号より

みずうみにみずいろのそらみずの春    和田 浩一
雪国のふたり横浜名残雪         米田 規子
桜どき未知数わっと溢れ出て       加藤千恵子
初蝶来て老人がきて白い家        中村 克子
見送られ見送りふいに霞けり       伊達 甲女
花山椒齟齬ありて人なつかしく      西  博子
赤い紙など燃やしいて春彼岸       小川トシ子
花の宴ご先祖様と子々孫々        君塚 惠子
冴返るポストに落す短詩型        大見 充子
目覚めれば雪ゆめのつづきのように    波多野真代

<白灯対談より>

存分にふるさとの風夏の果        大森 麗子
会いにゆく内幸町沙羅が咲き       大竹 妙子
蛇穴を出て多摩川の水明り        中野 充子
小惑星に探す王子とバラと井戸      小林多恵子
梅雨長く二番ホームを鳩歩く       相田 勝子
凌霄や一本道はふる里へ         廣川やよい
偏見はたちまち消えて青野かな      波多野真代
森五月見えぬもの大きく揺れて      森田 成子
梅雨明けて待っていたのは一番星     笹本 陽子
砲台六基こうこうと白い夏        川口 史江
父の日のすこし錆びたる二眼レフ     田口 順子
水音とあとは青空ウェストン祭      金子 良子

【山崎主宰の編集後記】

 世は挙げて合理化、効率化の時代である。速いことは良いこと。役に立たないものは捨てる。もちろん、そのことに異論はない。

 文明と文化は似て非なるもの。効率や合理性、有用性などは、要するに文明の領域に属する

 俳句は違う。効率や合理性とは対極にあるもの。句会ひとつとってみても、清記、選句、披講などは非効率の最たるもの。しかしそんな効率など薬にしたくもない作業の中に、本物の文化が深々と息づいているのだ。       (山崎)

響焰2018年8月号より


【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201808


たまご    山崎 聰


八十八夜はるかなる母らのこえ
ひきがえるうしがえるこの世は楽し
赤いものだけを見ており麦畑
いっときの狂気とも夜のアマリリス
つと逝きぬ夏の明るい日曜日
ライラック八十歳のむこう岸
還るべき空なく冷蔵庫のたまご
おやあいつ滝のむこうの蒼い顔
夏木立人形劇を素通りして
父の日のわれらもとより少数派

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2018年5月号より

液体と思ふ冬日溜りの庭         石倉 夏生
みなみかぜ春は整列して来たり      森村 文子
氷上を遠廻りして父帰る         渡辺  澄
ふと阿Q書肆百年の春の闇        加藤千恵子
北窓を開く吉報ありにけり        伊達 甲女
少年と夏目漱石冬の駅          岩崎 令子
ほほほほとただあつまって福寿草     小川トシ子
茨木のり子如月の真正面         君塚 惠子
ものの芽や太陽暦に躓いて        山口美恵子
桜あんぱん鉛筆耳に挟みながら      愛甲 知子

<白灯対談より>

五月雨るる小石ころころ里の駅      森田 成子
花衣あしたの色がきまらない       小林多恵子
どくだみの踏まれてからの底力      中野 充子
忘却のひとつ残りて花は葉に       大森 麗子
遠きざわめき五月雨を眠るかな      波多野真代
燕来る本屋の消えた商店街        江口 ユキ
できるだけめだたずそっと白牡丹     廣川やよい
山法師山の向こうにあこがれて      相田 勝子
涅槃西風とりむしけもの山頭火      大竹 妙子
つまずいてよろけて止まり黄水仙     笹本 陽子
ターナーの風景に入る薄暑かな      川口 史江
この角を曲がれば異界薔薇館       田口 順子

【山崎主宰の編集後記】

 たくさん云ったから伝わるわけではない、ということは、句会などで誰しも経験していること。なんといっても俳句は五七五、十七音の世界。たくさん云うほど却って何を云いたいのかわからなくなる。俳句は云わないで云う文芸なのである。

 主題は一つ。季語はそれを補うためにある。もっと云いたいと思ったら、その一歩手前で思い止まる。思い止まった部分は、必ず十七音の行間に滲み出て読者に訴えかける筈だ。       (Y)

響焰2018年7月号より


【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201807


なあ五月    山崎 聰


いっさいが春から夏へにんげんも
夏が来るうすくらがりのむこうから
ひとりっきりはやっぱりいいぜなあ五月
見えているかあの山裾の黒い百合
アネモネがきれいに咲いてこの世広し
あるかなきかのこえ聞いている緑の夜
青葉潮生きているからざわざわと
夏の朝夏の匂いのすこしもなく
大きいものを大きく抱いて夏の闇
新緑がこっちへ来るよ月曜日

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2018年4月号より

黒いかたまり大寒の交差点        栗原 節子
むつかしい生き方だったか雪だるま    渡辺  澄
第九そして第九条十二月         田中 賢治
ダイヤモンドダスト淋しさを遠く     加藤千恵子
二駅を眠りて十二月八日         中村 克子
虎落笛山なみ蒼煌と尖る         西  博子
ばたばたと人の足音十二月        岩佐  久
この路地もこの雨音も春隣        石井 昭子
氷湖あり身の内軋むその辺り       大見 充子
冬の月ぞろりぞろりと列につく      松村 五月

<白灯対談より>

蛇口から水呑む男聖五月         小林多恵子
桜蕊降る忽然と軍用機          中野 充子
晩春やこころ綺麗にさらわれて      大竹 妙子
見えてくる私の中の花篝         大森 麗子
芽吹かずにはいられないただそれだけ   波多野真代
花吹雪ただ消えたくて酔いたくて     廣川やよい
人声を聞き分けているチューリップ    相田 勝子
捨てられぬ昭和の記憶亀鳴けり      森田 成子
江戸絵図を辿りてゆけば海おぼろ     塩野  薫
春の道風の中なる父と子と        小澤 裕子
ルノワールの少女の瞳風光る       川口 史江
鳩雀烏と人と花の昼           平尾 敦子

 

 

 

【山崎主宰の編集後記】

 ”逆転の発想” -、俳句は逆転の発想が罷り通る世界、もっと云えば逆転の発想で成り立っている世界ではないかと思う。いつも云うように、俳句は普通のことを普通の言葉で普通に云えばよいのだが、その際すこしだけ見方を変えることが大切である。見方を変えるとは、とりも直さず発想を変える、つまり発想を逆転させることにほかならない。

 ”遠いものを近くに、近いものは遠くに置け”などと云われるように、人と違う見方、人の気が付かないことを云う、それが逆転の発想ということである。心したい。       (Y)

響焰2018年6月号より


【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201806


春のいろいろ    山崎 聰


多喜二忌とたしか同じ日青鮫忌
これまでもこれからさきも春のいろいろ
東京の花の下にて鬼ごっこ
何色と訊かれて春のいろという
何饅頭の薄皮のよう木の芽雨
人去って花残るある雨の午後
しばらくは春の名残リのひとつ星
花おわるあとは自由な風吹いて
たましいを光らせあるく穀雨の夜
われいまここにしかと在り蕨餅

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2018年3月号より

寒鯉の夢に緋鯉の現るる         石倉 夏生
走り続けて荒星の輝きに         米田 規子
淋しさが笑っておりぬ花八つ手      紀の﨑 茜
青山通り下る二の酉三の酉        西  博子
一純粋こつと躓く十二月         河津 智子
出藍の誉れのような初御空        内田  厚
村一つ昭和に染めて柿たわわ       山口 典子
ふかぶかと御辞儀しており十二月     楡井 正隆
初寝覚アンモナイトの渦の中       大見 充子
戦争の方を見ている冬桜         松村 五月

<白灯対談より>

ほどほどの田舎のくらし花ミモザ     廣川やよい
千本の土筆が目指す青い空        森田 成子
寒い風暖かい風雪柳           江口 ユキ
たんぽぽの綿毛と帰る日曜日       中野 充子
水飴は初恋の色はるのいろ        波多野真代
ぽつねんと父が来ており春の星      大竹 妙子
早潮の葉山の浜の若布籠         小林多恵子
太陽に近き色なり花山茱萸        相田 勝子
朝桜独り占めして空の青         笹本 陽子
地球儀の裏のくらやみ亀鳴けり      塩野  薫
暮れなずむ谷中銀座のさくら餅      大森 麗子
道問えばひとみなやさしあたたかし    川口 史江
長い貨車にふと戦争を春の風       原田 峯子
三月はうすべにいろに暮れてゆく     小澤 裕子

 

 

【山崎主宰の編集後記】

 二分法は単純でわかり易いから、なんとなく説得力がある。敵か味方か、保守か革新か、白か黒かなど。

 俳句の場合も伝統と前衛、具象と抽象、虚と実などのように二分法はそれなりの説得力を持つ。しかし、俳句のような文芸では、案外二つの間のグレーゾーンに大きな意味と本質がある場合が多い。事実がきっかけだったとしても、俳句として完成させるためには想像力の働きが大きく関わる、といった具合に

 俳句に限らず、およそ文芸に二分法は馴染まないと思うが、どうであろう。       (Y)

響焰2018年5月号より


【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201805


おぼろ    山崎 聰


みな黙るたましい雪に還るとき
喜八亡く兜太また逝き二月の田
見えるものだけを見つめて朧の夜
なにはともあれ雪国の春を見に
早春というやや甘酸っぱい野山
ひとつずつ離れてゆきぬ朧影
加齢して春宵一刻蒸羊羹
月の裏側見えてくるはず北開く
うすべにともちがうある春のあけぼの
たそがれのひとりは春のまっただなか

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2018年2月号より

十六夜の窓辺に吊す喪服なり       栗原 節子
菊かおる菊にかくれて菊人形       森村 文子
落葉掃く玲瓏なりし昨日今日       山口 彩子
十一月はゆるやかなる上り坂       米田 規子
納得のかたちに戦ぐ枯芒         中村 克子
無位無官なれど見送る神の旅       伊達 甲女
漆黒も紅も枯れ人に色          君塚 惠子
天平の光をあつめ実むらさき       山口 典子
三日月にひっかかっているピカソ     松村 五月
戻りたい戻れない真夜の寒雷       波多野真代

<白灯対談より>

雪の轍たどってゆけば父の国       中野 充子
喧噪は春風浅草一丁目          大竹 妙子
赤ん坊もお婆さんもいて落葉       小林多恵子
大雪嶺さらにかがやき山の声       森田 成子
いにしえの舟唄なのか冬柳        波多野真代
野水仙ほつりほつりと村昏れて      土田美穂子
梅の香や呼ばれたようで夜の底      廣川やよい
憂国や冬の月蝕赤ければ         相田 勝子
雪蹴って空缶蹴って昭和かな       塩野  薫
雪が降るふるさとすこし近づいて     江口 ユキ
寒卵抱きたるここち玉三郎        大森 麗子
みな老いて叱られており花の昼      笹本 陽子
雪が降り昭和の香り消えてゆく      田口 順子
ひと日会いひと日を減らし花いちご    川口 史江

 

【山崎主宰の編集後記】

 ”考え抜いてふんわり表現する”とは某グラフィックデザイナーの言。これは俳句にも当てはまる。

 いろいろ材料や言葉を思い浮かべてさんざん考えた末、俳句として出すときは、その中のごく一部、ほんのすこしだけをさりげなく云う。云わなかった思いや言葉は、必ず云ったことの行間に滲んでいるものだと思う。

 たくさん考えてすこしだけ云う。俳句という詩の強さはこのへんにあるのではないか。       (Y)

響焰2018年4月号より


【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201804


すでに白    山崎 聰


子供のように葛湯を吹いてあと笑う
馬嘶くその夜たくさん雪降って
一月の朝日を背負い山暮し
霙降りやまず津軽じょんがら節
雪の杣道一喜一憂して黙る
山に雪馬にも降ってつと日暮
月山はすでにして白また吹雪く
快食快眠されども北の大雪報
おおかみの吐息のような春の雪
童顔の少し崩れて春の月

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2018年1月号より

栗拾う罪拾わざる罪歩きだす       和田 浩一
芒原の密会を四百字にて         石倉 夏生
朝露の光の中の杜甫李白         田中 賢治
傍線の黒き一本雁渡る          山口 彩子
十二月戦争を忘れたころに        鈴 カノン
秋の日溜りほろほろとビスケット     愛甲 知子
秋来るを雲の軽さと思うべし       大見 充子
十月やとなりの町の空を見に       笹尾 京子
レモン放れば美しき放物線        松村 五月
木犀散って金の川夜の川         波多野真代

<白灯対談より>

多喜二忌の小樽運河に人力車       小林多恵子
凍星やみつめたら恋なんて嘘       大竹 妙子
柊の人間くさく陽は丸く         中野 充子
会いにきて雨に濡れたる石蕗の花     廣川やよい
剃りあとのひっそりと元日の朝      波多野真代
泥濘んだ道をまっすぐ成人の日      森田 成子
初鴉なれば悪声許しおく         相田 勝子
鳥海の山だけ光り年の暮         大森 麗子
鉄を切る青き焰の寒暮かな        塩野  薫
初恋のうつらうつらとポインセチア    土田美穂子
暖房し満喫の日々ありがとう       笹本 陽子
はや七日今年最初のそぞろ雨       江口 ユキ
わたしの声とどいてますか実南天     川口 史江
空っ風野っ原だった始発駅        原田 峯子

 

【山崎主宰の編集後記】

 ”恋愛は美しき誤解で、結婚は惨憺たる理解だ”と云ったのは、昭和の文芸評論家、亀井勝一郎だが、俳句の場合もややこれに似ている。

 俳句と出会った最初の頃は、短くてとっつき易いとのめり込む(美しき誤解)が、だんだん俳句がわかってくると一筋縄でゆかぬことに気付き苦しむ(惨憺たる理解)。     

 そこから先が問題で”美しき理解”に辿り着くまでの曲折と到達は、偏にその人の情熱と努力に掛かっている。       (Y)

響焰2018年3月号より


【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201803


どこをどう    山崎 聰


かの山をいまも敬い十二月
神域のそぞろに寒く罪と罰
飛んでゆく光ひとすじ去年今年
やや青い羽毛のように年明ける
人に倦みたる人ばかりお正月
ごまめ数の子やや湿っぽいつちくれ
初あかり浩一節子文子澄
年改まるどこをどう曲ろうか
大寒波もとより誰のせいでもなく
多喜二忌の前夜耿々波の上

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2017年12月号より

苦労したらしき曼珠沙華いっぽん     森村 文子
戦争と花火におびえ赤ん坊        渡辺  澄
いのこずち或る日そろりと行ったきり   加藤千恵子
満月や全ての悪に堪えてきて       紀の﨑 茜
秋燕五十三次日本橋           岩佐  久
燃えさしのようなる懈怠百日紅      君塚 惠子
松手入れ猫は白くて犬はポチ       愛甲 知子
暗澹のはじけて飛びぬ三尺寝       あざみ 精
整備士と蒸気機関車野紺菊        楡井 正隆
秋高しかろうじて正常範囲        石井 昭子
</span あかね>

<白灯対談より>

大空の出口を探し枯木星         大森 麗子
足早の前傾姿勢十二月          中野 充子
菊の香や湯島の坂を下るとき       廣川やよい
晩年をとりあるいはさかな冬       大竹 妙子
木守柿地球安泰とも言えず        相田 勝子
小春の日はみだしている飛行船      森田 成子
並木道間奏曲として落葉         波多野真代
大路から小路へ紛れ年の暮        塩野  薫
佳きことのひいふうみいよ冬至の湯    小林多恵子
雑踏に光があふれ十二月         江口 ユキ
風花のしずかに舞いて五階の窓      笹本 陽子
草の花ふるさとほのと灯りいて      土田美穂子
ザビエル祭水琴窟に雨が降る       水谷 智子
軒低く豆を売る店一葉忌         田口 順子
朝まだき電話から冬はじまりぬ      川口 史江
水色はやさしさの色鳥渡る        浅見 幸子

 

【山崎主宰の編集後記】

 動詞を減らす。動詞は説明のための言葉。動詞が多いほどその句は説明になる。動詞は使わぬに越したことはない。俳句は体言の文芸と云われているくらいだから。文章は動詞から腐る、と云ったのは開高健。短い俳句はなおのこと。

 語順を変えてみる。思っていることをただ並べるから句が弛む。語順を変えて句を引き締める。例えば結論を先に云うとか。     

 省略に徹する。俳句は省略し過ぎるくらいでちょうどよい。俳句は引き算、極力言葉を削る。

 作句の要諦はこんなところか。       (Y)