現在ただいま生きている人間の、いまの熱い思いをふたりごころで詠う・・・

響焔誌より
山崎主宰の作品、選評、編集後記などを掲載しています。

響焰誌より

響焰2017年6月号より

【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201706

花とさくら    山崎 聰

みちのくにさくらの木ありほうと咲く
棲むとすればさくらさくらの渦の底
さくら咲き人があるいておまんじゅう
近未来なども思いて花の昼
待ちぼうけさくらの安房はそぞろ雨
おととしも去年もさくらの木にさくら
宅居していちにちさくらの海おもう
かの夜のごとくにさくら罰と罪
花残り人残り雨残りけり
花過ぎの山を下ればさくらの木

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2017年3月号より

恋猫の一夜あれから只の猫        石倉 夏生
たぶんきっと黄落の森が眠っている    森村 文子
薄氷を踏めばこうなる誰か哭く      渡辺  澄
哲学の風の中なる落葉坂         廣谷 幸子
日短か絵の中の巴里灯りいて       川嶋 悦子
みな眠り冬の金魚も眠るなり       加藤千恵子
冬怒涛真っ逆さまにわが齢        青木 秀夫
あたふたと骨の髄まで十二月       大見 充子
冬の朝起きる理由は何もなく       笹尾 京子
哲学とフランスと彼林檎噛む       松村 五月

<白灯対談より>

下萌に触れれば鈴の音がして       波多野真代
春の風邪雨を聴くため眠るため      飯田 洋子
ミロ見たしショパン聴きたし彼岸過ぎ   塩野  薫
春らんまんあのとき下をむいていた    大竹 妙子
喪の顔でしばらくおりぬ春の星      土田美穂子
ひいふうみい大きい声でチュリップ    志鎌  史
おぼろ夜のここからはじまる長い坂    佐藤由里枝
散り急ぎただの樹となる里桜       笹本 陽子
飾らねば泣くという雛飾りけり      相田 勝子
春うららことりと手帳谷中墓地      中野 充子
囀やずしりと重い新刊書         小林多恵子
診療日誌閉ずゆったりと春の月      酒井眞知子
哲学の混沌として春の雪         江口 ユキ
梅の香のまんなかでバス待っており    森田 茂子
築地市場で卵焼き買う春の昼       古賀 佳子
年ひとつ加えて芽吹く枝垂れ梅      川口 史江

 

【山崎主宰の編集後記】

 情報が知識になり、知識がさらに教養になる。人間の知的深化は、だいたいこんなかたちで進んでゆくのではないか。そしてその教養に経験や想像力、感性などが加わったとき、はじめて詩と呼ばれるきわめて高度な認知行為が生まれるのだと思う。つまり詩(俳句)は、知識や教養を突き抜けたもっと先にある、ということである。

 初心者の俳句が感動を呼ばないのは、教養はおろか情報や知識の段階で。  止まっているからではないか。きっとそうだ。    (Y)

響焰2017年5月号より

【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201705

春というは            山崎 聰

しんじゅくで別れてからの雪の山
みちのくはあまたふくろう哭くばかり
雪の地蔵無垢無我無口にて若し
残雪の若狭の山も昼餉どき
東京はいまだ暗くて名残り雪
この世いま真冬真夜中影法師
春の老人かたまってひっぱって他人
春というは首が長くて顎やさし
おぼろ夜のひとかたまりの金平糖
春景色笑ってばかりいられない

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2017年2月号より

冬近しあまい匂いの午後の森       栗原 節子
雪来る頃かハハハと笑っているか     森村 文子
鳰にんげん不審の目で潜る        田中 賢治
ほどほどの距離を海まで石蕗の花     加藤千恵子
冬の波何かに追われ何か追う       中村 克子
冬の月大きな海を眠らせて        小川トシ子
日輪のまっすぐすすむ文化の日      岩佐  久
らふらんす故郷みずみずと暮れて     秋山ひろ子
藪椿うらみちほうといなりさま      高橋登仕子
柿を捥ぎ真青なる空賜りぬ        小林マリ子

<白灯対談より>

人の世の芥をはらい鳥帰る        中野 充子
松明けのたいくつそうな割烹着      志鎌  史
忽然と春浅き牧水のうみ         飯田 洋子
彫像のうしろ覗けば風の冬        塩野  薫
溢れ出るあしたのいのち寒の水      森田 茂子
走っても転んでも青い春の空       佐藤由里枝
歌舞伎町界隈まひる寒鴉         酒井眞知子
振り返るたびにふくらむ冬木の芽     相田 勝子
いっせいに年をとる夢春浅し       笹本 陽子
春二番フランス人形老いもせず      大竹 妙子
ふるさとのいちばん光る雪まつり     下津 加菜
お手玉のひいふうみいよ春の風邪     波多野真代
人間と土偶とロボット雛祭        江口 ユキ
一月の夜空ばかりを見ておりぬ      小林多恵子
学童のおかめひょっとこ梅の花      川口 史江
沈丁花三椏梅も丸の内          廣川やよい

 

【山崎主宰の編集後記】

 偶然に良い句ができた。そんな経験を持つ人は多いのではないか。そう、良い句は偶然にできるものなのだ。と云って、漫然と待っていてよいわけでなく、常日頃俳句について考え、工夫をこらす中で、たまたま偶然の女神がこちらを向いてくれるのである。

 人生も似ている。いつめぐり会えるかわからぬ幸運のために、人は営々と生きる。   
 幸運はほとんど偶然の産物である。そしてその幸運を齎すのは普段の努力である。    (Y)

響焰2017年4月号より

【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201704

かにかくに            山崎 聰

雪野原念々彼もまた彼も
吉野いまほのぐらき空西行忌
雪国を出てからおもう雪の山
雪景色あとやや蒼き夜の景
かにかくに生者はさびし雪野原
雪やんでおわりのはじまりのおわり
一月のときにさびしき放れ駒
凍雲のひたすらなるを見て旅へ
神々の水車の里の蕪汁
圧倒的多数真冬の星空は

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2017年1月号より

秋雲の一片として鹿沼に居り       石倉 夏生
うつむいていれば秋風らしきもの     森村 文子
北山しぐれされど鳥獣戯画絵巻      廣谷 幸子
就中花柊の咲きはじめ          小川 英二
きょう一人通っただけの曼珠沙華     秋山ひろ子
ぶどう狩退屈そうなくすり指       内田  厚
行く秋のしんじつ光るなで仏       高橋登仕子
房総も武蔵もなくて猫じゃらし      石井 昭子
秋雨前線どんどんくるぞ年とるぞ     小林マリ子
白線の乱れて終わる運動会        笹尾 京子

<白灯対談より>

やわらかに生きて平成七草粥       森田 茂子
地上への階段のぼり春の雪        飯田 洋子
晩年のすこし膨らみ寒椿         土田美穂子
割烹着の昭和遠のき冬牡丹        志鎌  史
どこまでもこんなに碧い初御空      佐藤由里枝
よく遊びすこし学びて雪だるま      塩野  薫
寒林に朝日金平糖ひとつ         酒井眞知子
赤ん坊の大きなあくび冬木に芽      相田 勝子
元日やピョコンと頭男の子        笹本 陽子
億年の中の一日冬日和          中野 充子
来し方をたどりてゆけば雪の街      江口 ユキ
もふもふの狸よ水を飲みに来い      波多野真代
雪が降る三日降るまだ降りそうな     大竹 妙子
冬の雷いよいよ彼がやってくる      下津 加菜
ジーパンに穴ごうごうと年つまる     川口 史江
雪催い黙って逝ってしまいけり      五十嵐美紗子

【山崎主宰の編集後記】

 ”文学とは、言葉で表せないことを、それでも言葉で書いたもの”と云う。それに倣って云えば、俳句も、本来言葉では表せないことを、あえて十七音の言葉で書いたもの、ということになろうか。 わかり易く云えば、説明できるような俳句は本物ではない、ということである。言葉で説明できないから俳句にするのである。

 句会などで滔々と自句を解説する人は初心者だと云うのはそのへんのことを云っているのである。   (Y)

響焰2017年3月号より

【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201703

もとより            山崎 聰

落葉焚縄文すでにして滅ぶ
楓の実の青いとげとげ地震のあと
冬桜少年少女泣いている
青蜜柑もとより後期高齢者
膝さむしみちのくさびし通り雨
思えばはるかふくろうのこえすがた
錆び釘のよう極月の銀座裏
去年今年なんでもあって何もなく
風花す靖国の前通るとき
すこしだけ賢者の側に今朝の春

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2016年12月号より

香水のふはりと過ぎてあとは闇      石倉 夏生
水中花二階へ居れば雨ばかり       渡辺  澄
月渡るひとり一人の小さな町       沖 みゆき
草いきれこれも地球の匂いかな      紀の﨑 茜
どうしても戦前戦後サングラス      小川 英二
鶏頭もえて一人にも雨は降る       河津 智子
月恋し小学校のうさぎ小屋        秋山ひろ子
みずいろを加え朝顔日記かな       山口 典子
なにがなし終戦の日の可燃ゴミ      石井 昭子
火のごとく弔歌のごとく虫しぐれ     大見 充子

<白灯対談より>

神の留守ボージョレ地方から便り     志鎌  史
居酒屋の柱に凭れ年の暮         塩野  薫
昼の闇余韻のようにポインセチア     土田美穂子
大空の雲を散らして蒼鷹         酒井眞知子
十二月八日ラジオから江戸落語      佐藤由里枝
円いもの丸く隠して雪が降る       相田 勝子
美術館の長い階段十二月         飯田 洋子
青天の銀杏さざんか無人駅        中野 充子
日記買うくどくどこつこつ書くつもり   笹本 陽子
まっしろでまっくろな夢十二月      大竹 妙子
冬の月朽ち木ほろほろ崩れたり      波多野真代
羊羹の切り口親し漱石忌         小林多恵子
そのあとはあだやかに過ぎ枯尾花     江口 ユキ
幸せは一プラス一シクラメン       川口 史江
ふるさとの零れるような冬の星      下津 加菜
豪快な番屋の暖簾雪迎え         辻  哲子

【山崎主宰の編集後記】

 ”俳句は感覚の世界にあるのではなく、その奥の情緒の世界にある”と云ったのは、数学者の岡潔である。岡潔は数学と俳句の近似を云い、芭蕉の理解が数学の研究に大いに役立ったと述べている。また続けて”感覚は刹那の刺激に過ぎないからその記憶はすぐに薄れるが、情緒の印象は時が経っても変わらない”と云い、最後に”情緒とは自他通い合う心である”と云っている。まさに私達が目指しす”ふたりごごろ”ということにほかならない。    (Y)

響焰2017年2月号より

【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201702

留 守            山崎 聰

命終のひとつ風の中の榠樝
筋肉をほぐす運動神の留守
木の葉舞って種火のごときもの二三
村の子と立冬のうすあおい田圃
戦争の木という木あり十二月
穢土泥土まっさかさまに冬銀河
暗きより出でて暗きへ冬の鳶
十二月八日が近し漂えり
どこをどう曲れば十二月の火花
年迫る思い両国橋のたもと

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2016年11月号より

赤ん坊夏に生まれて裸なり        森村 文子
蟻の列賢者が覗くまでもなく       渡辺  澄
けんめいに同じ時間を泳ぐなり      米田 規子
かにかくに五月曼荼羅終るかな      鈴 カノン
夏夕べ四谷見附の橋わたる        河村 芳子
哲学のふとうしろから土用波       篠田 香子
百声に一声まぎれ涼しかり        君塚 惠子
夏の果金銀砂子しだらでん        鈴木 瑩子
蛇苺終りはいつも母マリア        楡井 正隆
八千歩あるいてからの夏木立       小林マリ子

<白灯対談より>

菊人形展暮れてゆく隅田川        飯田 洋子
文化の日みな佳き人と思いけり      志鎌  史
江戸の粋平成の粋冬の川         酒井眞知子
冬の晴叱られながら泣きながら      塩野  薫
冬の虹あるいは泣いているのかも     佐藤由里枝
黄落の微光透明になる私         土田美穂子
あおあおと人間臭き月夜茸        森田 成子
勤労感謝の日棒一本が頼り        相田 勝子
日記買う見えぬ未来に期待して      廣川やよい
赤いものほつりほつりと冬支度      川口 史江
聴こえくる防人の歌捨案山子       小林多恵子
逝く秋の椅子深ければ深ねむり      笹本 陽子
あの頃もあの白菊のまっ盛り       大竹 妙子
あいまいなままに別れて冬の月      下津 加菜
鎮魂の植樹みちのくは小春日       辻  哲子
円虹の二重に見えし明るさよ       岩政 輝男

 

【山崎主宰の編集後記】

 ”当初の構想を消し去ったとき、はじめて絵が完成する”と云ったのは、フランスのキュビズムの画家ジョルジュ・ブラックである。
 俳句について云えば、当初の構想を消すとは、つまり最初に見たもの、思ったことから離れる、ということであろう。見たものを如何にうまく云うかが俳句だと思っているとすればそれは違う。はじめに見たもの、思ったことは単なる詩のきっかけ、それを丸ごと呑み込んだ上で、あと如何にそこから離れるか、そこからが本当の俳句の作業である。心したい。    (Y)

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