現在ただいま生きている人間の、いまの熱い思いをふたりごころで詠う・・・

響焔誌より
山崎主宰の作品、選評、編集後記などを掲載しています。

響焰誌より

響焰2019年5月号より


【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201905


草加越谷     山崎 聰


望郷は春のはじめのわらべ唄
春眠のところどころの海の景
きっかけは春の小径をもうすこし
春塵の草加越谷みちのくへ
呼ばれたようでふりむく花の昼
春北風亀の甲羅の二つ三つ
永き日をことりと座り夢の中
竹林の雉子(きぎす)が鳴いて一軒家
春眠のつづきのように阿弥陀さま
石投げて石に当りぬ暮の春

 

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2019年2月号より

コスモスの薄青い部屋ゆめのゆめ     森村 文子
日の暮は風の底見え石蕗の花       山口 彩子
かりそめのものを並べて酉の市      川嶋 悦子
人間を長く伸ばして襤褸市に       鈴 カノン
星ひとつ空の余白へ時のそとへ      紀の﨑 茜
十月の放物線に安房の海         小川トシ子
照ったり曇ったり雪囲いしていたり    秋山ひろ子
石段に花束冬の三四郎          楡井 正隆
やや傾ぎ十一月は舟のよう        松村 五月
さざんか散りさらわれてゆく白い町    波多野真代

 

<白灯対談より>

春二番エルム通りの和菓子店       川口 史江
立春のきのうとちがう色の影       小林多恵子
わたくしの場所お日様とたんぽぽと    北川 コト
きさらぎのそこだけ赤い演芸館      廣川やよい
ふゆざくら夢から覚めて夢の中      相田 勝子
やさしい色のドロップの缶阪神忌     金子 良子
葉ボタンの奥のむらさき夕明かり     大森 麗子
ひんやりとちいさなくらし二月尽     大竹 妙子
おだやかに一日が過ぎ石蕗の花      江口 ユキ
梅日和明日を探して世界地図       田口 順子
この地球自転ゆっくり初日の出      辻󠄀  哲子
北窓ひらく仲良しの鳥来ておれば     笹本 陽子

 

 

【山崎主宰の編集後記】

 先年亡くなった落語家の立川談志が、生前<人間の業の肯定を前提とした一人芸が落語だ>と云っていたが、これはまさに私達の俳句にも当てはまることではないか。

 業とはつまり人間の根源的な宿命、ということだろうから、俳句もまた人間の宿命を受け入れた上で、その在り様を書く一人芸にほかならない。

 そう思うと、この広い宇宙に我一人立つ、との思いはいよいよ深くなる。       (山崎)

響焰2019年4月号より


【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201904


なあみんな     山崎 聰


石段を十段あまり寒北斗
童心のひとつこぼるるぼたん雪
鈍色の空を残して雁帰る
春一番ニューヨークから女客
戦争をしばらく知らず影朧
対岸のまひるの景として雲雀
三鬼の忌とりわけ赤いひとところ
くっきりと昭和平成春の濤
列島の暮れ泥みたる春の景
春だからのんびり行こうぜなあみんな

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2019年1月号より

木の瘤が瘤の夢見る月夜かな       石倉 夏生
お日さまとクリームパンと茨の実     森村 文子
秋の夜ひたひたと黒人霊歌        川嶋 悦子
戦争の曖昧模糊と死者の数        鈴 カノン
えそらごとまことまぼろし芒原      岩崎 令子
渋柿といえど八十路のふくらはぎ     青木 秀夫
まんじゅしゃげ後ろ姿を見たような    秋山ひろ子
あの日からさらわれたままいわし雲    笹尾 京子
丸善に何を置こうか十月は        松村 五月
堕天使のラッパとどろき野分あと     波多野真代

 

<白灯対談より>

実南天闇に華やぐ生活かな        川口 史江
電柱が正しくならび冬満月        小林多恵子
咲いてもひとり白椿紅椿         北川 コト
蠟梅の神田川から明けはじむ       廣川やよい
駅ひとつ乗りこして見る冬の月      中野 充子
人と人こんがらがって氷柱かな      金子 良子
去年今年あなたの海はまた深く      大竹 妙子
凍蝶のかすかな光残し逝く        相田 勝子
一発逆転あかあかと大旦         小林 基子
新潟の人から届く寒見舞         江口 ユキ
宇宙から素粒子の声山眠る        田口 順子
福笑い年齢自由自在なり         笹本 陽子

 

 

【山崎主宰の編集後記】

 俳句は、製作(作句)一割、推敲九割と心得ている。製作はいってみれば思い付き、つまりきっかけである。それに肉付けをしていのちを吹き込むことで、俳句というかたちに仕上げるのが推敲である。だから推敲に時間を掛けるほど、その俳句は単純化、明確化されてシャープになる。九割はそのためのエネルギーである。推敲九割を心掛けたい。       (山崎)

響焰2019年3月号より


【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201903


紙鳶     山崎 聰


霜の朝晩節戛々と通る
ほのあかきものいくつか冬至粥
十二月砂噛む心地して夜明け
早起きの子供に朝日紙鳶(いかのぼり)
あるときは熱い涙を雪おんな
人の日をなよなよあるき黄粉餅
さりながら越中八尾雪のなか
反骨のいまだくすぶりどんど焼
死者に光をやまなみるいるいと凍る
自転車が農道を行くおとなの日

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2018年12月号より

九月の雨うしろ向くとき老いにけり    栗原 節子
絵の中に転がっている夏の果       森村 文子
吉野葛おのずから百人一首        鈴 カノン
一切をおおきな袋風は秋         河村 芳子
二百十日蜜たっぷりの白い壺       小川トシ子
野分あと自問自答して一人        山口美恵子
二十年先にもあるだろう良夜       愛甲 知子
曼珠沙華やはりおまえは赤で咲け     笹尾 京子
就中白い小指の晩夏かな         蓮尾 碩才
真夜の月意味なく好きなことをして    波多野真代

 

<白灯対談より>

あしおとが揃う日十二月八日       北川 コト
海を恋い人を恋いいて冬の川       小林多恵子
不器用な鋸の音街小春          平尾 敦子
出口から人吐き出され十二月       廣川やよい
街中に赤あふれきて十二月        川口 史江
カピバラのはみ出している小春かな    大竹 妙子
冬田中一番電車来て止まる        相田 勝子
晩節や別れの先の枯木星         江口 ユキ
そうはいってもしかしやっぱりおでん鍋  田口 順子
小春かな外人墓地のマリアさま      金子 良子
椿落つ胸に穴あく音のして        土田美穂子
冬薔薇ただ泣いているだけなのに     加賀谷秀男
天高く人間ひと日ふくらみぬ       小澤 裕子
誉め言葉うれしく貰い年終る       笹本 陽子

 

 

【山崎主宰の編集後記】

 事柄を書くのが俳句だと思っていないだろうか。事柄つまり物語は、いくら書いてもそのままでは詩にはなり得ない。俳句はもともとストーリーテリングには馴染まないのだ。

 要するに、俳句は意味などどうでもいいのであって、意味はわかるが詩がわからないというのでは俳句とはいえない。句会などで、だからどうなの、と問うのは、意味事柄はわかるがその先の詩が見えない、どういう詩が云えているのか、と問うているのである。。

 俳句は本来意味を云う詩では断じてない。肝に銘じて欲しい。       (山崎)

響焰2019年2月号より


【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201902


ぬう と すう    山崎 聰


螻蛄鳴いて一伍一什は風の中
落城の翌日のよう崩れ簗
病院の十一月の長廊下
黄落は風神さまの出来ごころ
ぬうと来てすうと帰りぬ神の留守
東京にはじめての雪男の子
十二月八日のあとの朝の景
泥土なおかくのごとくに年暮るる
三丁目交差点前雪だるま
谷中千駄木遊んで遊んで年おわる

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2018年11月号より

一粒の時間かがやき滴れり        石倉 夏生
痛みとも凝視とも炎天の道        森村 文子
来ぬ人を待つ八月の人さし指       渡辺  澄
炎昼の蕎麦屋喪服の二三人        川嶋 悦子
八月七日立秋の文字ふと目にす      長沼 直子
どこをどうこの炎天の江東区       加藤千恵子
木の家に木の風通る立夏かな       中村 克子
あれやこれそれでも築地油照り      青木 秀夫
葵散るそういうものと気にもせず     愛甲 知子
蛍飛ぶ過去も未来も思わぬが       波多野真代

 

<白灯対談より>

善人の顔で歩いて酉の市         金子 良子
ひとりずつ家に戻りて良夜かな      小林多恵子
回りみち裏道小径銀木犀         川口 史江
暖冬やふるさとすこし遠のいて      江口 ユキ
さびしらは壁にはりつく天道虫      中野 充子
ふるさとの訛飛び交い冬の駅       廣川やよい
体の中を木漏れ日の十二月        北川 コト
ぼんやりわかれてえのころのはらっぱ   大竹 妙子
昨日とは違うかたちの冬三日月      大森 麗子
筑波山青を深めて冬立つ日        田口 順子
限界集落小粒柿を背におとこ       土田美穂子
木枯一号遠景に富士その他        相田 勝子
胸の奥真っ赤な花の秋と会う       笹本 陽子
冬ざれの哲学の道山頭火         辻󠄀  哲子

 

【山崎主宰の編集後記】

 ”俺たちはね、歌を聴いた人が自分のなかでストーリーを紡いでいく、そのきっかけ作りをするだけなんだよ”と、これはある作詞家の言葉である。

 私たちの俳句でも同じようなことが云えるのではないか。作者は詩のきっかけだけを示す。あとは読者に任せる。作者が全部云ってしまっては、読者は何もすることがない。

 作者はできるだけ言葉を惜しみ、読者の想像する場を広げる。ひとことで云えばそういうことであろう。          (山崎)

響焰2019年1月号より


【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201901


四響 志津子    山崎 聰


ある夜加齢森のはずれのお月さま
馬や人やぼんやりと秋過ぎてゆき
ふたりさびし三人の秋なおさびし
秋雨の草加越谷誰か過ぐ
鯛焼にたっぷりの餡喜八の忌
十二月八日ふたりで鬼ごっこ
あかあかと街の灯わが灯冬至粥
石段の先に冬星つと奈落
うみやまは冬のかたちを四響志津子
立ちあがり立ちどまり冬の夕焼

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2018年10月号より

三時には赤い蟹来る夏休み        森村 文子
こんなところに八月の非常口       加藤千恵子
鳶尾や父の背なかを見ておれば      鈴 カノン
神父来る向日葵畑のむこうから      岩崎 令子
七月の格別な朝赤ん坊          小川トシ子
ひまわりの一番きれいな日の自画像    愛甲 知子
加速して緑の中へ夏休み         鈴木 瑩子
誘われてほたるぶくろの暗がりに     あざみ 精
自販機のひとかたまりの暑さかな     大見 充子
迷いなく当然の白夏椿          笹尾 京子

<白灯対談より>

頑張った褒美のような秋の空       小林多恵子
瓦斯灯のほのおの揺らぎ冬に入る     廣川やよい
おとうとを泣かせうしろの苅田風     北川 コト
秋うらら小人ぞろぞろ丘越えて      大竹 妙子
遠く来て風とコスモス買いにけり     波多野真代
星月夜弱者貧者のへだてなく       川口 史江
秋高く人馬一体風のなか         中野 充子
ザクザクと妖怪の列山粧う        金子 良子
雲という雲引き連れて台風来       相田 勝子
地球儀に秋の海原みな遠く        笹本 陽子
野分あと軍手長靴竹箒          原田 峯子
長き夜やもやしのひげと猫の髭      田口 順子
お日さまに一番近い木守柿        加賀谷秀男
菊人形日毎たましい宿りゆく       浅見 幸子

 

【山崎主宰の編集後記】

 ノルウェーの画家エドヴァルド・ムンクは”私は見えるものを描いているのではない。見たものを描いているのだ”と云っている。”見えるもの”と”見たもの”は、言葉は似ているが意味するものは全く違う。つまり”作者の意志”ということである。

 ローマの武将ユリウス・カエサルの云う”人は見たいと思うものしか見ていない”と通底するものであろう。

 このことは俳句についても云えるのではないか。漠然と視野に入ってくるもの、つまり見えたものでなく、作者が意志を持って見たもの、それを書くのが詩であろう。          (山崎)

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