現在ただいま生きている人間の、いまの熱い思いをふたりごころで詠う・・・

響焔誌より
山崎主宰の作品、選評、編集後記などを掲載しています。

響焰誌より

響焰2017年8月号より

【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201708

徒然    山崎 聰

春でなく夏でもなくて五月晴
牛蛙その日茫として徒然
八十八夜すこしだけ前に出る
夏鳥のちちよははよと叫ぶなり
たましいのことだけ考えていて青野
八月十五日われらいま生きて
夏の夜ふつうの人が哭いている
カルシウムカリウムマグネシウム夏
写真のように手をあげて緑の夜
父寂ぶやみちのく夏の草の丈

 

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2017年3月号より


福袋持たされて待たされており      石倉 夏生
椿赤ければ漆黒の夜が来て        森村 文子
人形を抱く子を抱きぬ芒原        渡辺  澄
辛抱は御免蒙る懸大根          鈴 カノン
大寒の真正面は孤島なり         中村 克子
春一番踞る石笑う石           相田 勝子
猫が呼ぶからいっさいはおぼろなり    青木 秀夫
ははの余白にゆきがふりゆきつもる    秋山ひろ子
考えて考え抜いて山眠る         水野 禮子
隣は春となりのとなりトトロかな     石井 昭子

<白灯対談より>

石と水ひかりていたりこどもの日     大竹 妙子
相談所ひらいておりぬ諸葛菜       波多野真代
ニーチェチェーホフ白いフクシマのさくら 飯田 洋子
稜線のかさなるあたり夏近し       中野 充子
たんぽぽの二塁クローバーの外野     相田 勝子
自転車の皇宮警官立夏かな        志鎌  史
その色に迷いはなくて杜若        小林多恵子
母の日のみんなの母でわたしの母     笹本 陽子
年月の隅にころがりさくら貝       森田 成子
踏切の音に混じりて雨蛙         塩野  薫
青嵐目玉の潤む深海魚          土田美穂子
初夏の街を切りとり人力車        酒井眞知子
居酒屋に昭和の匂い走り梅雨       廣川やよい
母の日の雲の流れを見ておりぬ      下津 加菜
故郷が好きかたかごの花が好き      川口 史江
しばらくを大空に生き鯉幟        江口 ユキ

 

 

【山崎主宰の編集後記】

 句会はだいじである。だいじであるが、自分の句がどう評価されたか、つまり何点入ったかだけが関心事というのでは勿体ない。自分の評価は当然気になるところではあるが、句会の本当の意義は、他の人の句で勉強することにある。他の人のどういう句に対して先輩方がどう云ったか、そのことを他山の石とする心構えで句会に臨めば、句会はもっと楽しい、有意義なものになるのではないか。他人の句で学ぶ、心したい。    (Y)

響焰2017年7月号より

【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201707

なるべくならば    山崎 聰

おぼろ夜の人体模型地震のあと
なるべくならば五六人花の昼
帽子かぶればともかく詩人花杏
鳥帰るたましい遊びながら帰る
見えるはずなき影見ゆる春の夕暮
関東のいちばんはずれから驟雨
旅人は総門を出てライラック
みちのくは熱いかたまり罌栗坊主
雷鳥のやさしきまなこかの日以降
老人に戦前戦後草かげろう

 

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2017年3月号より


月光菩薩愁い給いてこの世真冬      森村 文子
素通りの東京駅の淑気かな        渡辺  澄
ぽんぽんと柚子を投げ入れ長湯せり    山口 彩子
松七日人現れて並ぶなり         加藤千恵子
干支の酉あしたがあろうとなかろうと   鈴 カノン
正月料理辻褄を詰めており        中村 克子
太陽とうすももいろの寒卵        相田 勝子
天皇誕生日白い皿にオムレツ       田畑 京子
太陽はいつもぼんやり七日過ぐ      秋山ひろ子
ポインセチア笑って泣いて帰りけり    高橋登仕子

<白灯対談より>

残像の島のオリーブ昭和の日       塩野  薫
春告鳥母いるように夕暮れぬ       飯田 洋子
込み上げる思いのありて花万朶      志鎌  史
泣いているのか笑っているのか花万朶   波多野真代
ありふれた一日が過ぎ春深む       佐藤由里枝
花水木きっと明日は青い空        笹本 陽子
まごころのかたちのひとつ草の餅     森田 成子
山上の球体オブジェ黒揚羽        酒井眞知子
さわさわとすみれの言葉すみれ草     相田 勝子
五十年放浪のよう山桜          土田美穂子
しばらくは浮遊物なり干鰈        中野 充子
花明りデジタル仕様六本木        大竹 妙子
とことこと昭和平成草の餅        浅見 幸子
白すみれ紫すみれ喪に服す        川口 史江
春の夢こんなところに母がいて      江口 ユキ
草だんごまじめな顔で並びけり      廣川やよい

 

【山崎主宰の編集後記】

 ”巧”と”真”とは全く違う、というよりむしろ相反するものではないか。俳句について云えば、うまい俳句と本物の俳句とは別物だ、ということである。うまい俳句は、口当りがいいから、読んで抵抗感がなく、素直に頭に入ってくる。しかし本物の俳句は、何を云っているのかすぐには理解できず、一見下手そうに見えるが、案外その中に真実が籠められていることが多い。俳句を読むとき、目先の巧拙に惑わされず、その真実の声を汲みとること。自戒を込めて改めて思う。    (Y)

響焰2017年6月号より

【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201706

花とさくら    山崎 聰

みちのくにさくらの木ありほうと咲く
棲むとすればさくらさくらの渦の底
さくら咲き人があるいておまんじゅう
近未来なども思いて花の昼
待ちぼうけさくらの安房はそぞろ雨
おととしも去年もさくらの木にさくら
宅居していちにちさくらの海おもう
かの夜のごとくにさくら罰と罪
花残り人残り雨残りけり
花過ぎの山を下ればさくらの木

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2017年3月号より

恋猫の一夜あれから只の猫        石倉 夏生
たぶんきっと黄落の森が眠っている    森村 文子
薄氷を踏めばこうなる誰か哭く      渡辺  澄
哲学の風の中なる落葉坂         廣谷 幸子
日短か絵の中の巴里灯りいて       川嶋 悦子
みな眠り冬の金魚も眠るなり       加藤千恵子
冬怒涛真っ逆さまにわが齢        青木 秀夫
あたふたと骨の髄まで十二月       大見 充子
冬の朝起きる理由は何もなく       笹尾 京子
哲学とフランスと彼林檎噛む       松村 五月

<白灯対談より>

下萌に触れれば鈴の音がして       波多野真代
春の風邪雨を聴くため眠るため      飯田 洋子
ミロ見たしショパン聴きたし彼岸過ぎ   塩野  薫
春らんまんあのとき下をむいていた    大竹 妙子
喪の顔でしばらくおりぬ春の星      土田美穂子
ひいふうみい大きい声でチュリップ    志鎌  史
おぼろ夜のここからはじまる長い坂    佐藤由里枝
散り急ぎただの樹となる里桜       笹本 陽子
飾らねば泣くという雛飾りけり      相田 勝子
春うららことりと手帳谷中墓地      中野 充子
囀やずしりと重い新刊書         小林多恵子
診療日誌閉ずゆったりと春の月      酒井眞知子
哲学の混沌として春の雪         江口 ユキ
梅の香のまんなかでバス待っており    森田 茂子
築地市場で卵焼き買う春の昼       古賀 佳子
年ひとつ加えて芽吹く枝垂れ梅      川口 史江

 

【山崎主宰の編集後記】

 情報が知識になり、知識がさらに教養になる。人間の知的深化は、だいたいこんなかたちで進んでゆくのではないか。そしてその教養に経験や想像力、感性などが加わったとき、はじめて詩と呼ばれるきわめて高度な認知行為が生まれるのだと思う。つまり詩(俳句)は、知識や教養を突き抜けたもっと先にある、ということである。

 初心者の俳句が感動を呼ばないのは、教養はおろか情報や知識の段階で。  止まっているからではないか。きっとそうだ。    (Y)

響焰2017年5月号より

【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201705

春というは            山崎 聰

しんじゅくで別れてからの雪の山
みちのくはあまたふくろう哭くばかり
雪の地蔵無垢無我無口にて若し
残雪の若狭の山も昼餉どき
東京はいまだ暗くて名残り雪
この世いま真冬真夜中影法師
春の老人かたまってひっぱって他人
春というは首が長くて顎やさし
おぼろ夜のひとかたまりの金平糖
春景色笑ってばかりいられない

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2017年2月号より

冬近しあまい匂いの午後の森       栗原 節子
雪来る頃かハハハと笑っているか     森村 文子
鳰にんげん不審の目で潜る        田中 賢治
ほどほどの距離を海まで石蕗の花     加藤千恵子
冬の波何かに追われ何か追う       中村 克子
冬の月大きな海を眠らせて        小川トシ子
日輪のまっすぐすすむ文化の日      岩佐  久
らふらんす故郷みずみずと暮れて     秋山ひろ子
藪椿うらみちほうといなりさま      高橋登仕子
柿を捥ぎ真青なる空賜りぬ        小林マリ子

<白灯対談より>

人の世の芥をはらい鳥帰る        中野 充子
松明けのたいくつそうな割烹着      志鎌  史
忽然と春浅き牧水のうみ         飯田 洋子
彫像のうしろ覗けば風の冬        塩野  薫
溢れ出るあしたのいのち寒の水      森田 茂子
走っても転んでも青い春の空       佐藤由里枝
歌舞伎町界隈まひる寒鴉         酒井眞知子
振り返るたびにふくらむ冬木の芽     相田 勝子
いっせいに年をとる夢春浅し       笹本 陽子
春二番フランス人形老いもせず      大竹 妙子
ふるさとのいちばん光る雪まつり     下津 加菜
お手玉のひいふうみいよ春の風邪     波多野真代
人間と土偶とロボット雛祭        江口 ユキ
一月の夜空ばかりを見ておりぬ      小林多恵子
学童のおかめひょっとこ梅の花      川口 史江
沈丁花三椏梅も丸の内          廣川やよい

 

【山崎主宰の編集後記】

 偶然に良い句ができた。そんな経験を持つ人は多いのではないか。そう、良い句は偶然にできるものなのだ。と云って、漫然と待っていてよいわけでなく、常日頃俳句について考え、工夫をこらす中で、たまたま偶然の女神がこちらを向いてくれるのである。

 人生も似ている。いつめぐり会えるかわからぬ幸運のために、人は営々と生きる。   
 幸運はほとんど偶然の産物である。そしてその幸運を齎すのは普段の努力である。    (Y)

響焰2017年4月号より

【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201704

かにかくに            山崎 聰

雪野原念々彼もまた彼も
吉野いまほのぐらき空西行忌
雪国を出てからおもう雪の山
雪景色あとやや蒼き夜の景
かにかくに生者はさびし雪野原
雪やんでおわりのはじまりのおわり
一月のときにさびしき放れ駒
凍雲のひたすらなるを見て旅へ
神々の水車の里の蕪汁
圧倒的多数真冬の星空は

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2017年1月号より

秋雲の一片として鹿沼に居り       石倉 夏生
うつむいていれば秋風らしきもの     森村 文子
北山しぐれされど鳥獣戯画絵巻      廣谷 幸子
就中花柊の咲きはじめ          小川 英二
きょう一人通っただけの曼珠沙華     秋山ひろ子
ぶどう狩退屈そうなくすり指       内田  厚
行く秋のしんじつ光るなで仏       高橋登仕子
房総も武蔵もなくて猫じゃらし      石井 昭子
秋雨前線どんどんくるぞ年とるぞ     小林マリ子
白線の乱れて終わる運動会        笹尾 京子

<白灯対談より>

やわらかに生きて平成七草粥       森田 茂子
地上への階段のぼり春の雪        飯田 洋子
晩年のすこし膨らみ寒椿         土田美穂子
割烹着の昭和遠のき冬牡丹        志鎌  史
どこまでもこんなに碧い初御空      佐藤由里枝
よく遊びすこし学びて雪だるま      塩野  薫
寒林に朝日金平糖ひとつ         酒井眞知子
赤ん坊の大きなあくび冬木に芽      相田 勝子
元日やピョコンと頭男の子        笹本 陽子
億年の中の一日冬日和          中野 充子
来し方をたどりてゆけば雪の街      江口 ユキ
もふもふの狸よ水を飲みに来い      波多野真代
雪が降る三日降るまだ降りそうな     大竹 妙子
冬の雷いよいよ彼がやってくる      下津 加菜
ジーパンに穴ごうごうと年つまる     川口 史江
雪催い黙って逝ってしまいけり      五十嵐美紗子

【山崎主宰の編集後記】

 ”文学とは、言葉で表せないことを、それでも言葉で書いたもの”と云う。それに倣って云えば、俳句も、本来言葉では表せないことを、あえて十七音の言葉で書いたもの、ということになろうか。 わかり易く云えば、説明できるような俳句は本物ではない、ということである。言葉で説明できないから俳句にするのである。

 句会などで滔々と自句を解説する人は初心者だと云うのはそのへんのことを云っているのである。   (Y)

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