【山崎名誉主宰の俳句】縦書きはこちら→ MeiyoShusai_Haiku_202403
もうすこし 山崎 聰
天地(あめつち)の大いなるとき虹二重
明日のこと思いわずらい蓮の花
東京にくらいところも秋の昼
もうすこしあるいてみよう秋の虹
東京をはなれて五年法師蟬
木造りのほとけ見ており秋はじめ
房総のはずれに住んできりぎりす
すこしあるいて大東京の秋に遭う
川越の菓子屋横丁草の絮
東京は人逢うところ秋の雨
【米田主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_202403usai_Haiku_202402
光 降 る 米田 規子
たそがれてかくもカンナの枯れはげし
ペンの芯取り替えこころ寒き夜
トーストにバターと餡こ寒に入る
生きているか能登は最果て冬怒濤
寒風三日パンジーは地に伏して
ポエム生まれるまでの迷路霜柱
精密な線描画たる裸の木
枯れきってしまえば光降るごとし
寒椿ひと日ひと日を積み重ね
おしゃべりな鳥たちの群れ春隣
【山崎名誉主宰の選】
<火炎集>響焔2023年12月号より
草もみじ暮れ際のおと湿りもつ 栗原 節子
少年の熱き掌ねこじゃらし 加藤千恵子
蓮の実の飛んで晩年ひろがりぬ 中村 克子
わたしとあなたひとしく秋の光かな 松村 五月
あれこれの一つ持ち越し星月夜 河村 芳子
訥々と雲は動いて九月過ぐ 波多野真代
躓きて大きな空の九月かな 小川トシ子
炎昼のどこを切っても白い闇 山口美恵子
ひっそりと胎児は眠る稲穂波 大竹 妙子
秋色を加えて風車回り出す 北尾 節子
【米田主宰の選】
<火炎集>響焔2023年12月号より
満月へ翁を誘ふ媼かな 石倉 夏生
有の実や人の生死の傍らに 加藤千恵子
秋薔薇の淋しいところ剪っており 中村 克子
秋澄むや螺鈿の壺に月の音 大見 充子
秋を好みし母なれば秋に死す 波多野真代
心太突いて八十路の始まりぬ 和田 璋子
どんぐりを踏んで孤独にさようなら 河津 智子
消えそうな影を負いたる秋の暮 楡井 正隆
ふる里はとうの昔に秋の海 大森 麗子
洋館の軋み百年の秋声 藤巻 基子
【米田規子選】
<白灯対談より>
一人居の人の声して柚子たわわ 金子 良子
星空は遠方にありクリスマス 牧野 良子
癒えし人黙して句座に冬ぬくし 酒井 介山
むらさきに暮れ残る空冬木立 横田恵美子
抗わぬ芯の強さも霜の菊 増澤由紀子
葱を抜き暮れゆく空の茜色 原田 峯子
年用意見えないように打ちし釘 菊池 久子
名残の空声のきれいな人といて 朝日 さき
【白灯対談の一部】
一人居の人の声して柚子たわわ 金子 良子/span>
少しずつ人間の寿命が延びて元気な老人が増えた。それはとても喜ばしいことだと思うけれど、中には伴侶を亡くして一人住まいをしている人も少なくないと思う。
掲句は作者の近所で一人住まいをしているお宅の様子を詠んだ俳句だろうか。その家の前を通りかかった時、たまたま人の声がして「おやっ?」と思ったのだろう。そのことが作句のきっかけになった。以前にも白灯対談で書いたことがあるのだが、「あれっ?」とか「おやおや?」などの軽い驚きや発見は、俳句を作るきっかけとなり得るのだ。
〝〝一人居の人の声して〟と云うフレーズが先ずできて、さてそのあとどう着地しようか…。ここが考えどころ、踏んばりどころだ。その家に都合よく柚子の木があり、たわわに実をつけていたかもしれないが、作者が熟慮した上での季語であったと思う。結句〝柚子たわわ〟によって、一句の風景がぱあっと明るくなり、〝一人居〟をも豊かに描けた作品だ。