響焰俳句会

ふたりごころ

活動報告
響焰の行事の報告等を掲載しています。

活動報告

第61回ネット句会(2025年6月) 報告者:小澤 悠人

**流行歌と俳句*

参加者28名、投句数56句、6月1日投句、6月7日選句。

 作詞家の秋元康氏が作詞をする際、インターネットで若者たちの検索度の高い語句を歌詞に織り込むことで、曲がヒットするように仕向けるのだという話は有名である。ただ、俳句においては、そんなことをすると、多分に「類想アリ」になってしまう。「響焰」誌の中でも、時事で頻繁に見かける言葉が多い時期があった。報道やニュースに頼るよりも、自分の体験、経験、そんなところからオリジナリティの高い言葉を探し出して欲しいと思う。

第60回ネット句会(2025年5月) 報告者:小澤 悠人

**素材とどう向き合うか**

参加者28名、投句数56句、5月1日投句、5月7日選句。

 先日、フィンランドの現代彫刻家タピオ・ヴィルカラ展を観てきた。北の果てのラップランドの静寂の中で氏は、ガラス、木板などの素材と向き合い、素材の持つ力を彫刻や工芸品の形に造り上げていた。俳句で言うならば、季語という素材の持つ力を、付随するフレーズでどう引き出すかだろう・・・と思った。北欧の果ての白夜・暗昼を、氏は時間をかけて素材と向き合うのだとあった。私たちの場合、そんなに時間をかけられないだろうが、それでも5分、10分、手を休めて、そんな時間を持ちたいものだと思った。

第59回ネット句会(2025年4月) 報告者:小澤 悠人

**俳句は絵葉書ではない**

参加者29名、投句数58句、4月1日投句、4月7日選句。

 今月の特選句を改めて見直しつつ、かつて「俳句は絵葉書ではないぞ」と言われたことを思い出した。絵葉書は景観が楽しければそれでいい。俳句の描く言葉の景は、言葉ゆえにその向こうにある奥行きが読者にも見えなければならない。
 特選句には、その景の先に作者の描く奥行き、心の機微があったと思った。

第58回ネット句会(2025年3月) 報告者:小澤 悠人

**俳句の季語**

参加者32名、投句数64句、3月1日投句、3月7日選句。

 今回より、ネット句会の選者に松村新主宰に加わって頂きました。主宰からの総評として「季語の説明、もしくは季語が添えもの(動く)の句がいくつか見られました。特に植物の季語は添えものになりがちなので熟考を」とのコメントを頂きました。今後ともそれに響き合う詩を詠むよう心がけましょう。
 

第57回ネット句会(2025年2月) 報告者:小澤 悠人

**俳句は季語が主役**

参加者32名、投句数64句、2月1日投句、2月7日選句。

 今回、山崎名誉主宰の最後の選となったことをご報告いたします。山崎先生からの最後の総評として「みんなうまくなったね」とのお言葉を頂戴致しました。3月からは、新たな選者の体制で進みますのでよろしくお願い致します。
 さて、俳句・短歌と日本の「座の文学」として並び称されるものがある。同じ五七五の音の川柳を加えても、「季語」という明確な季節感を入れなければならないのは俳句のみだ。  
 そもそも、俳句の発端は、連歌の発句にある。座を囲み詠み合う連歌の発句が、俳句として独立するようになった。そのことからしても、俳句は季節の挨拶であり、季語がその主役になっていなければならない。特別選者の特選句を見ても明白と思う。 

第56回ネット句会(2025年1月) 報告者:小澤 悠人

**ネット句会の今後**

参加者31名、投句数62句、1月1日投句、1月7日選句。

 今回は、主宰と特別選者のみの選句となった。ネット句会は当初より、3名の選者で開催されてきた。今回は山崎先生の体調により2名の選者になってしまった。参加者も残念に思われたことと思う。
 ネット句会の選者、3名に馴染んでいたので、今回、致し方ないことでありながら、司会者としても残念に感じた。一応今後のことは相談させて頂いているので、引き続きよろしくお願い致します。  

第55回ネット句会(2024年12月) 報告者:小澤 悠人

**個性の発揮**

参加者32名、投句数64句、12月1日投句、12月7日選句。

 今回の名誉主宰・主宰・特別選者の特選句を見返してみると、リアリティを感じさせる一句あり、独創性の高い一句あり・・・それぞれの個性が活かされている俳句が並んだと思う。
 現実の写生で景を伝える際、視覚だけでなく、嗅覚・聴覚など、五感の何か別のものを働かせることでリアリティが高まる。独創性の発想では、読者により認識されやすい平易なものと季語との取り合わせが良いと思った。  

第54回ネット句会(2024年11月) 報告者:小澤 悠人

**公的俳句と私的俳句**

参加者31名、投句数62句、11月1日投句、11月7日選句。

 私的なことを書かせて頂く。個人のブログで超結社の句会をやっているのだが、その中に二種類の俳句があるのを感じるときがある。「公的なもの」と「私的なもの」である
 前者は、句会に提出したり、新聞・俳誌に掲載されるべく投句されるもの、後者は個人的な日記として記されるべきものである。今回、自分の投句した句は一票も入らなかったのであるが、これはごく私的な俳句だったからだと思う。  
 妻が義母と友人達と旅行に出掛けた夜、愛犬が散歩の途中、横断歩道ではねられて死んだ。そんな話を旅行中の人に知らせては旅行自体が台無しになる。それで私は、メールが来る度に「眠っているよ」「大人しく待っているよ」と返信していた。その間の投句でもあり、ごく私的なことになってしまった。言葉を昇華させる余裕もなかった。公的に提出する句は明るい句がいい。そんなことを改めて感じた。 

第53回ネット句会(2024年10月) 報告者:小澤 悠人

**オリジナリティのある言葉**

参加者30名、投句数60句、10月1日投句、10月7日選句。

 今月の名誉主宰・主宰・特別選者の3名の特選を獲得した石井昭子さん、おめでとうございます。
 さて、その句を含め、個性の光る言葉を見つけた句が特選に入っていたように思う。結社の句会での「あるある」だが、句会で特選を頂いた句などに感化されて、同じ言葉、類似表現を使ってしまうことがある。こんなときは自分の詠んだ句を今一度見返して、自分の言葉が他人の模倣になっていないか、自分が詠んだ景が自分自身はっきりと見えているか、そこにオリジナリティがあるか・・・ということを再考するのがよいだろう。そんなことを確かめるべきだと学ばせて頂いたように思う。  

第52回ネット句会(2024年9月) 報告者:小澤 悠人

**俳句は絵葉書ではないということ**

参加者31名、投句数62句、9月1日投句、9月7日選句。

 今月の名誉主宰・主宰・特別選者の特選句では、それぞれの個性の光る言葉を見つけることが出来た。以前に知り合った俳人の講義で、俳句は絵葉書であってはならない・・・という話を聞いた。綺麗な景を切り取るだけでは、単なる「絵葉書」で終わってしまう。そこには綺麗ではあるが、感動とはまた違う一景で終わってしまう。作者の個性が見えることで、読者は俳句の景や奥行き共感できるのだ。作者と読者の間に共感できて重なる部分が見えることで俳句となるのである。