現在ただいま生きている人間の、いまの熱い思いをふたりごころで詠う・・・

響焔誌より

響焰2017年4月号より

【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201704

かにかくに            山崎 聰

雪野原念々彼もまた彼も
吉野いまほのぐらき空西行忌
雪国を出てからおもう雪の山
雪景色あとやや蒼き夜の景
かにかくに生者はさびし雪野原
雪やんでおわりのはじまりのおわり
一月のときにさびしき放れ駒
凍雲のひたすらなるを見て旅へ
神々の水車の里の蕪汁
圧倒的多数真冬の星空は

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2017年1月号より

秋雲の一片として鹿沼に居り       石倉 夏生
うつむいていれば秋風らしきもの     森村 文子
北山しぐれされど鳥獣戯画絵巻      廣谷 幸子
就中花柊の咲きはじめ          小川 英二
きょう一人通っただけの曼珠沙華     秋山ひろ子
ぶどう狩退屈そうなくすり指       内田  厚
行く秋のしんじつ光るなで仏       高橋登仕子
房総も武蔵もなくて猫じゃらし      石井 昭子
秋雨前線どんどんくるぞ年とるぞ     小林マリ子
白線の乱れて終わる運動会        笹尾 京子

<白灯対談より>

やわらかに生きて平成七草粥       森田 茂子
地上への階段のぼり春の雪        飯田 洋子
晩年のすこし膨らみ寒椿         土田美穂子
割烹着の昭和遠のき冬牡丹        志鎌  史
どこまでもこんなに碧い初御空      佐藤由里枝
よく遊びすこし学びて雪だるま      塩野  薫
寒林に朝日金平糖ひとつ         酒井眞知子
赤ん坊の大きなあくび冬木に芽      相田 勝子
元日やピョコンと頭男の子        笹本 陽子
億年の中の一日冬日和          中野 充子
来し方をたどりてゆけば雪の街      江口 ユキ
もふもふの狸よ水を飲みに来い      波多野真代
雪が降る三日降るまだ降りそうな     大竹 妙子
冬の雷いよいよ彼がやってくる      下津 加菜
ジーパンに穴ごうごうと年つまる     川口 史江
雪催い黙って逝ってしまいけり      五十嵐美紗子

【山崎主宰の編集後記】

 ”文学とは、言葉で表せないことを、それでも言葉で書いたもの”と云う。それに倣って云えば、俳句も、本来言葉では表せないことを、あえて十七音の言葉で書いたもの、ということになろうか。 わかり易く云えば、説明できるような俳句は本物ではない、ということである。言葉で説明できないから俳句にするのである。

 句会などで滔々と自句を解説する人は初心者だと云うのはそのへんのことを云っているのである。   (Y)

響焰2017年3月号より

【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201703

もとより            山崎 聰

落葉焚縄文すでにして滅ぶ
楓の実の青いとげとげ地震のあと
冬桜少年少女泣いている
青蜜柑もとより後期高齢者
膝さむしみちのくさびし通り雨
思えばはるかふくろうのこえすがた
錆び釘のよう極月の銀座裏
去年今年なんでもあって何もなく
風花す靖国の前通るとき
すこしだけ賢者の側に今朝の春

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2016年12月号より

香水のふはりと過ぎてあとは闇      石倉 夏生
水中花二階へ居れば雨ばかり       渡辺  澄
月渡るひとり一人の小さな町       沖 みゆき
草いきれこれも地球の匂いかな      紀の﨑 茜
どうしても戦前戦後サングラス      小川 英二
鶏頭もえて一人にも雨は降る       河津 智子
月恋し小学校のうさぎ小屋        秋山ひろ子
みずいろを加え朝顔日記かな       山口 典子
なにがなし終戦の日の可燃ゴミ      石井 昭子
火のごとく弔歌のごとく虫しぐれ     大見 充子

<白灯対談より>

神の留守ボージョレ地方から便り     志鎌  史
居酒屋の柱に凭れ年の暮         塩野  薫
昼の闇余韻のようにポインセチア     土田美穂子
大空の雲を散らして蒼鷹         酒井眞知子
十二月八日ラジオから江戸落語      佐藤由里枝
円いもの丸く隠して雪が降る       相田 勝子
美術館の長い階段十二月         飯田 洋子
青天の銀杏さざんか無人駅        中野 充子
日記買うくどくどこつこつ書くつもり   笹本 陽子
まっしろでまっくろな夢十二月      大竹 妙子
冬の月朽ち木ほろほろ崩れたり      波多野真代
羊羹の切り口親し漱石忌         小林多恵子
そのあとはあだやかに過ぎ枯尾花     江口 ユキ
幸せは一プラス一シクラメン       川口 史江
ふるさとの零れるような冬の星      下津 加菜
豪快な番屋の暖簾雪迎え         辻  哲子

【山崎主宰の編集後記】

 ”俳句は感覚の世界にあるのではなく、その奥の情緒の世界にある”と云ったのは、数学者の岡潔である。岡潔は数学と俳句の近似を云い、芭蕉の理解が数学の研究に大いに役立ったと述べている。また続けて”感覚は刹那の刺激に過ぎないからその記憶はすぐに薄れるが、情緒の印象は時が経っても変わらない”と云い、最後に”情緒とは自他通い合う心である”と云っている。まさに私達が目指しす”ふたりごごろ”ということにほかならない。    (Y)

響焰2017年2月号より

【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201702

留 守            山崎 聰

命終のひとつ風の中の榠樝
筋肉をほぐす運動神の留守
木の葉舞って種火のごときもの二三
村の子と立冬のうすあおい田圃
戦争の木という木あり十二月
穢土泥土まっさかさまに冬銀河
暗きより出でて暗きへ冬の鳶
十二月八日が近し漂えり
どこをどう曲れば十二月の火花
年迫る思い両国橋のたもと

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2016年11月号より

赤ん坊夏に生まれて裸なり        森村 文子
蟻の列賢者が覗くまでもなく       渡辺  澄
けんめいに同じ時間を泳ぐなり      米田 規子
かにかくに五月曼荼羅終るかな      鈴 カノン
夏夕べ四谷見附の橋わたる        河村 芳子
哲学のふとうしろから土用波       篠田 香子
百声に一声まぎれ涼しかり        君塚 惠子
夏の果金銀砂子しだらでん        鈴木 瑩子
蛇苺終りはいつも母マリア        楡井 正隆
八千歩あるいてからの夏木立       小林マリ子

<白灯対談より>

菊人形展暮れてゆく隅田川        飯田 洋子
文化の日みな佳き人と思いけり      志鎌  史
江戸の粋平成の粋冬の川         酒井眞知子
冬の晴叱られながら泣きながら      塩野  薫
冬の虹あるいは泣いているのかも     佐藤由里枝
黄落の微光透明になる私         土田美穂子
あおあおと人間臭き月夜茸        森田 成子
勤労感謝の日棒一本が頼り        相田 勝子
日記買う見えぬ未来に期待して      廣川やよい
赤いものほつりほつりと冬支度      川口 史江
聴こえくる防人の歌捨案山子       小林多恵子
逝く秋の椅子深ければ深ねむり      笹本 陽子
あの頃もあの白菊のまっ盛り       大竹 妙子
あいまいなままに別れて冬の月      下津 加菜
鎮魂の植樹みちのくは小春日       辻  哲子
円虹の二重に見えし明るさよ       岩政 輝男

 

【山崎主宰の編集後記】

 ”当初の構想を消し去ったとき、はじめて絵が完成する”と云ったのは、フランスのキュビズムの画家ジョルジュ・ブラックである。
 俳句について云えば、当初の構想を消すとは、つまり最初に見たもの、思ったことから離れる、ということであろう。見たものを如何にうまく云うかが俳句だと思っているとすればそれは違う。はじめに見たもの、思ったことは単なる詩のきっかけ、それを丸ごと呑み込んだ上で、あと如何にそこから離れるか、そこからが本当の俳句の作業である。心したい。    (Y)

響焰2017年1月号より

【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201701

この世の不思議            山崎 聰

ほのあかきいのちも見えて檀の実
白露や仏陀はねむり虚子は立つ
挽歌ともこのごろ荻のこぼれ花
神渡し晩年がつと近づきぬ
破れ蓮この世の不思議夜の不思議
晩秋というかけがえのないあした
泣いていたり笑っていたり落葉焚
月がもっとも大きく見えし夜のふくろう
枯葉舞う狙われているのは君だ
雪が降る豹の檻にはたっぷり降る

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2016年10月号より

お坊さん蝉鳴く峠越えて来る       栗原 節子
天の川ちゃらんぽらんほろり哀し     森村 文子
片陰をいくつ拾えば大東京        米田 規子
裔として曖昧模糊と十三夜        鈴 カノン
夕焼やわたしのうしろすべて過去     紀の﨑 茜
尺蠖の登りきれない青い空        小川トシ子
とりけものさかなの眼青山河       西  博子
蹌踉と豊洲有明夏の月          君塚 惠子
白南風の真昼街角三四郎         楡井 正隆
おもむろに空母のように八月来      佐藤由里枝

<白灯対談より>

全山黄落くっきりとダリの髭       酒井眞知子
鰯雲どんなあしたを待ちますか      飯田 洋子
まんなかで仔山羊が鳴いて秋祭      志鎌  史
サルビアの赤に酔いたり自由なり     土田美穂子
敬老の日の末席ですこし鬱        佐藤由里枝
いちにちの音のはじまり稲穂波      塩野  薫
起立礼そして気を付けねこじゃらし    相田 勝子
遠汽笛秋風わたる千曲川         中野 充子
コスモスの海不死鳥はかくされて     大竹 妙子
オニヤンマ大和撫子はおりませぬ     波多野真代
迷ったら迷ったままで星月夜       笹本 陽子
ふるさとの確かな笑顔黒葡萄       江口 ユキ
柿紅葉眼下に塩の道走る         川口 史江
突然に真っ赤ななポルシェ霧の中     下津 加菜
窓際の書棚に『檸檬』秋の暮       小林多恵子
雲流れさらに加速の神無月        辻  哲子

 

【山崎主宰の編集後記】

 俳句のような文芸は、つまるところ、たった一人の敵に対して鋭く放つ矢のようなものではないか。具体的に云えば、目標と定めた具眼の士に向かって、これでどうだと自作を示す、そういうものであろう。
 だから句会などで徒に高得点を競うなどは下の下、この人と狙った誰かがどう評価してくれたか、そのことに意義を見出す。俳句とはそういうものだと思う。    (Y)

響焰2016年12月号より

【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→shusai_haiku_201612

神の座(くら)            山崎 聰

原郷の濃くなってゆくとんぼ釣り
誰と誰とうしろすがたの似て満月
つちくれはつちくれとして昼の月
流星の墜ちゆくさまを修羅という
壺阪を下ってゆけば秋の雨
雁のこえ野のこえおのれ叱る声
さびしからんに月山はきょうも霧
鎌倉市小町二丁目蟹雑炊
ふくろうの視野に荒ぶる神の座
いっせいにだれにともなく藁ぼっち

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2016年9月号より

狼のごとく蛍を見ておりぬ        森村 文子
途中とも知らず尺蠖が急ぐ        小林  実
水無月のたてがみ切って退院す      鈴 カノン
白靴が歩いていたら歩いている      紀の﨑 茜
鉄砲百合の射程距離内の猫        伊達 甲女
円周を歩く夏帽子のわれら        北島 洋子
而して鎌倉で会う白日傘         河村 芳子
羽抜鶏行進曲がうしろから        君塚 惠子
梅雨の走り膝っ小僧も駅ビルも      愛甲 知子
風鈴の鳴りこぼしたる昼の空       大見 充子

<白灯対談より>

稲扱きの匂いてよぎる戦後かな      塩野  薫
藍の花おのれの色をまだ知らず      笹尾 京子
おしなべて無口東京も八月も       松村 五月
より遠く強く黙々草の花         蓮尾 碩才
少年のように笑って夏が行く       佐藤由里枝
世界地図のところどころのそぞろ寒    多田せり奈
スペイン舞曲烏瓜いま真っ赤       土田美穂子
木の実落つまだ見ぬ山を見るために    相田 勝子
恙なく黄泉平坂菊の酒          志鎌  史
夏置いて少年の船遠ざかる        酒井眞知子
たっぷりと銀座にひと日秋茜       中野 充子
赤トンボの歌を唄いて赤トンボ      笹本 陽子
秋時雨歩いてゆけば神田川        飯田 洋子
ずぶ濡れの思い出ばかり風の盆      川口 史江
目玉焼きの目玉溶けだす秋黴雨      大竹 妙子
塾の子と並んで花火見ておりぬ      小林多恵子

 

【山崎主宰の編集後記】

 白灯集作品が集まる23、24日頃から、翌月の10日頃までが、響焰の仕事のピークである。だからその間にほかの仕事、大会作品の選とか総合誌の原稿とかが入ると、時間のやりくりに窮することになる。
 そういうときには、仕事を横に並べて頭を抱えるのではなく、締切の早いなどプライオリティの高い順に各個撃破する作戦を立てる。この方法でこれまで多忙を理由に原稿依頼を断ったことは一度もない。    (Y)

響焰2016年11月号より

【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→shusai_haiku_201611

こつんころん            山崎 聰

原罪か原風景か旱星
大花野こつんころんと風小僧
釈尊の御眼にちからこぼれ萩
敬老の日の母ヨハネ書は知らず
月の雨国のおわりを見るような
それからのおとこのくらし赤とんぼ
テロのこと加齢のこともいぼむしり
もはや遠く月山は秋の長雨
彳亍や天高く詩人蘇る
蝗大群渤海国を見てきしか

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2016年8月号より

蒲公英の絮凱旋門を目指す        栗原 節子
だらだらと虚構の春を曲りけり      森村 文子
妖艶の刻あり壺に花あやめ        山口 彩子
泰山木咲けり千年の途上         廣谷 幸子
じゃがいもの花紛れもなく日常      米田 規子
嚢中に文庫一冊昭和の日         岩佐  久
だれにともなくおぼろ夜の遠いベンチ   青木 秀夫
山里にたっぷりと水昭和の日       小林 伸子
下総のはずれにしゃがみ草を刈る     愛甲 知子
黒猫婆裟羅金柑の花咲いて        大見 充子

<白灯対談より>

日暮まで本能のままいて跣        蓮尾 碩才
初めての山の日はるか古里よ       多田せり奈
遠くから見てほしいのとさるすべり    笹尾 京子
暑中お見舞東京に空ありて        松村 五月
夏の星息絶えている水の底        佐藤由里枝
赤べこのそうかそうかと盆の月      志鎌  史
吊橋の頼るものなく霧の中        塩野  薫
懸命ににいにい蝉と太陽と        相田 勝子
八月の喪服の日々をさびしめる      土田美穂子
対岸に父の背ありて遠花火        酒井眞知子
ほほえみのなかのかなしみ黒ぶどう    中野 充子
蝉声を斜めに過り人力車         川口 史江
大きめの靴であるいて夏の朝       笹本 陽子
黒髪をきりりと束ね冷奴         森田 成子

 

【山崎主宰の編集後記】

 繰り返し云うが、俳句の新しさとは、材料や言葉の新しさではなく、あくまでも、拵えの新しさである。”ものの見方の新しさ”と云ってもよい。徒に難しい言葉を派手に並べて珍奇な内容で人目を惹く、といった姿勢からは、ついに本物の詩は生まれない。
 ”普通のことを、普通の言葉で、普通に云う”は常に俳句の鉄則である。”ことばではなくてこころ”つまりはそういうことであろう。    (Y)

響焰2016年10月号より

【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→shusai_haiku_201610

加齢            山崎 聰

八月の余命したたか亀が浮く
炎天の崩れる音として加齢
蜘蛛の巣のきのうとちがう囲のかたち
大地かの夏草の先はみちのく
男と女ありありと虹の彼方
盆の月みちのくことのほか白し
落蝉の骸となりて運ばるる
満月の翌日しぶしぶと加齢
枝豆の青をたどれば深海魚
台風の眼の中ふいになまぐさく

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2016年7月号より

空の下で普通にくらし蝮草        森村 文子
厚き本抱え青年花の下          内田 秀子
永き日の輪郭としてゆで玉子       渡辺  澄
野遊びのつづきのように年取りぬ     中村 克子
三日だけ仙人も良し桃の花        紀の﨑 茜
あたふたと朝の筍五六本         小川トシ子
燕子花一歩も引かず尖んがらず      篠田 香子
日の色と月のいろもて花筏        君塚 惠子
五階親子三人花の昼           高橋登仕子
朧夜おぼろ深海魚の匂いして       大見 充子

<白灯対談より>

振りかえる余裕もなく蟇         多田せり奈
自販機の吐き出している夏の闇      松村 五月
突然に太鼓たたかれ盆おどり       笹尾 京子
潮の香のかぶさってくる熱帯夜      土田美穂子
足早に寡黙に丸の内八月         蓮尾 碩才
雲の峰遠いところに難破船        佐藤由里枝
旧道の人を遠ざけ桐の花         志鎌  史
夏休みがんばり屋の子はげまして     笹本 陽子
寺の鐘遠くで鳴って鱧の椀        酒井眞知子
向こう岸にあかりが見えて魂送り     飯田 洋子
定年や右往左往のあめんぼう       浅見 幸子
ゴーヤチャンプル反骨も混ぜており    波多野真代
プレートが押し合っている極暑かな    塩野  薫
花の名を忘れてしまい蟇         江口 ユキ
乱舞してここより知らず黒揚羽      川口 史江
ボーヴォワールの老いの小説夏霞     辻  哲子

 

【山崎主宰の編集後記】

 師は一人 ― これは俳句を学ぶ上での鉄則である。あちこち出掛けていろんな俳句を学ぶ、という人がいる。言葉は美しいが、初心者にとってはむしろ有害である。これでは結局俳句がわからなくなる。俳句入門してすくなくとも十年くらいは、一人の先生についてその俳句を徹底的に吸収する。これが上達の早道である。
 先生は一人。肝に銘じたい。    (Y)

響焰2016年9月号より

【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201609

くらりぐらり            山崎 聰

ともだちのともだちおうい牛蛙
父の日の平穏無事を訝しむ
白南風の遠い国から来て次郎
ひとりならついておいでよひきがえる
海の日の海の出口が見つからぬ
頸椎を伸ばして虹の根のあたり
旅の駱駝も大東京も暑気中り
八月の通り過ぎたる顔いくつ
晩夏晩節ひとりぼっちという快楽
炎日をくらりぐらりと一の坂

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2016年6月号より

四本の足で泳いで春の風         森村 文子
陽炎に押されたる人転びけり       小林  実
春潮といえば源平壇ノ浦         田中 賢治
声出せば人と繋がる春の空        沖 みゆき
雨合羽干して三学期の終り        佐々木輝美
おどろおどろに三月の水たまり      小川トシ子
春風とそのほかなにか紙袋        東  公子
陽は昇り陽はまた昇り雪解川       秋山ひろ子
三月十一日海に囲まれて生きて      愛甲 知子
対岸は立待岬蕗の薹           楡井 正隆

<白灯対談より>

ただ一つ男に似合う花しょうぶ      笹尾 京子
六月はA5出口を出て左          松村 五月
蚕が桑を喰む音さざ波いさら波      多田せり奈
もてあます蛍袋の夕まぐれ        志鎌  史
てのひらをこぼれるように燕巣立つ    佐藤由里枝
立葵素直に咲いて猫の道         土田美穂子
透明な川より来たる鮎なりき       笹本 陽子
蟻の列どこから声を掛けようか      相田 勝子
黒揚羽地図から消えて木挽町       蓮尾 碩才
さやさやと人におくれて竹の秋      中野 充子
祭りの夜なんじゃもんじゃの花真白    酒井眞知子
いちめんの十薬みんな倦んでいる     大竹 妙子
梅雨空のまんなかあたり宇宙船      森田 成子
花アカシア日暮れほろほろ来たりけり   飯田 洋子
人を待つはずして掛けてサングラス    川口 史江
遠き日の父の一喝夏の草         塩野  薫

 

【山崎主宰の編集後記】

 事実を積み重ねることで真実に辿りつく ― テレビの刑事ドラマなどでよく耳にする言葉である。しかし俳句のような文芸の場合は、事実をいくら積み重ねても真実に辿りつくとは限らない。むしろ事実は事実として受け入れた上で、事実から離れることで真実が見えてくることの方が多い 。
 もちろん事実は大切である。しかし事実を書くことに汲々としている限り、本物の詩 ― は真実はついに彼の前に姿を現わさないのではないか。俳句は刑事ドラマとは違うのである。    (Y)

響焰2016年8月号より

【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201608

それゆえに            山崎 聰

尺蠖の寸余はみだすこころざし
植田から湧き起りしは反戦歌
対岸がもっともさびし青時雨
暗い水のぞいて簗の二三人
はつなつの不承不承のかすり傷
数人無口緑蔭を帰るとき
父の日の父と活断層の真上
栄光なし青田ひろがり三輪車
この先はいかようにもと山椒魚
しかしあるいはそれゆえに重信忌

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2016年5月号より

玲瓏の冬満月と魂ひとつ         山口 彩子
球体の一角はがれ百合鷗         小林 一子
二月の海大魚の骨はすでに無く      沖 みゆき
寒空や飼い馴らされた販売機       紀の﨑 茜
どの家も寒さの残る東京都        関  花子
たましい還る寒明けの隅田川       河村 芳子
寒の月五体まざまざと透明        東  公子
植木屋の一気にこぼす冬日ざし      君塚 惠子
冬薔薇正面にある発光体         鈴木 瑩子
藪椿人を恋して咲きにけり        土屋 光子

<白灯対談より>

春の沖浚渫船二隻黒く          松村 五月
人間に倦きた順から鳥帰る        多田せり奈
その中に入ればむらさき花菖蒲      飯田 洋子
風景の黄昏れてきて鯉のぼり       土田美穂子
屈託や亀の背中に余花の雨        佐藤由里枝
散るときもまた無口なり白いばら     笹尾 京子
蟇よく見ておけよ水の色         相田 勝子
五月くる水色黄色風の中         志鎌  史
迷宮に似た地下の街こどもの日      蓮尾 碩才
そらをとぶあの大空の名は五月      大竹 妙子
みちのくは矢車草の淡き青        酒井眞知子
諦めてからの青空朴の花         中野 充子
いちめんにすずらんあふれ父の山     下津 加菜
かくれんぼ負けては泣いて夕薄暑     笹本 陽子
ふるさとへ続く大空青田風        森田 成子
とおくきて齟齬ふたつみつ桜の実     川口 史江
家じゅうに風を通して憲法の日      江口 ユキ
五月雨猫と教師のものがたり       辻  哲子

【山崎主宰の編集後記】

 俳句はもちろん何をどう詠ってもよい詩だが、とは云っても、俳句を読んでいて、何もこんなことをわざわざ俳句で云わなくても、と思うことがときどきある。それは多分、俳句が詩であること、文芸であることを忘れているからではないか。日常の些細な経験が出発点になっているのはわかるが、それをどうしたら詩の次元に高められるか、つまり現象でなく本質を云う、そのことにほんのすこし思いを至すだけで、その人の俳句はずいぶんと変わってくると思うのだが。    (Y)

響焰2016年7月号より

【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201607

残軀            山崎 聰

みみたぶもあしうらも春のあけぼの
野の鯉の噞(あぎと)う音も四月かな
彼と彼のともだち二人花のあと
人さがすことばを探す春の夕暮
残軀なお海にとどまり春深し
晩学のあしあとのよう花筏
花おわる海青くなる犬走る
咲いて散る勿忘草のなみだいろ
みんな生きているか立てるか昭和の日
天牛の同志のごとき面構え

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2016年4月号より

いつからか三が日もっともさみし     渡辺  澄
狐火の虚実集落よぎるとき        山口 彩子
しんしんと大陸枯れる犬走る       米田 規子
泣くとき笑う深川の女正月        加藤千恵子
人日やありのままのならそのままで    沖 みゆき
いまさらに播州竜野冬の夕焼       鈴 カノン
生きていたり死んでもいたり榾明り    紀の﨑 茜
大寒や言葉を交しお辞儀して       関  花子
猫の声人間の声春は梅          篠田 香子
しんしんと水に骨ある寒の入       大見 充子

<白灯対談より>

リラの風銀座教会から神父        土田美穂子
夜の首都高疾走すれば熱帯魚       松村 五月
読み書きとそろばん習い花蘇芳      志鎌  史
さくらはなびらわかれことばのはしりがき 多田せり奈
にんぎょうは人形として淑気満つ     河村 芳子
老人の直立不動万愚節          笹尾 京子
ひたむきに暮らして加齢しゃぼん玉    佐藤由里枝
言の葉の芽吹く音して春の山       酒井眞知子
無心から零れることば松の芯       中野 充子
知らぬ間に真ん中の席花大根       蓮尾 碩才
魂の攫われてゆくさくらどき       相田 勝子
つくしんぼ坐りたいとき椅子がある    笹本 陽子
ふるさとをはるか昭和の夕桜       飯田 洋子
風車つまずきながら廻りけり       川口 史江
花ミモザパン工房は丘の上        浅見 幸子
湾岸の伸びゆくビルに光る春       辻  哲子

【山崎主宰の編集後記】

 ”断捨離”ということがよく云われるが、俳句でも断捨離はたいせつなことである。思いを断つ(情を述べない)、不要なものを捨てる(本質だけを残す)、対象から離れる(客観視する)。具体的には、何を残し何を捨てるかを的確に判断する、ということである。特に初心者の俳句がいまひとつすっきりしないのは、捨てるべき不要なものを残し、本当にだいじなものを捨ててしまうからである。本当にだいじなもの(本質)だけを残しあとは全部捨てる、この判断の是非一句の成否を決める。心したい。    (Y)