響焰俳句会

ふたりごころ

響焰誌より

響焰2015年4月号より

【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201504

火力聴力            山崎 聰

細雪少年二人上京す
退屈のやがて大きく豕(いのこ)の日
一月のあえかな光かの大樹
寒鯉のまなこの中を泳ぐなり
ありったけの火力聴力冬籠
約束は雪の比叡の下り坂
真実のかたちも見えて寒卵
雪が降りおわりなきものとして山野
地底蠢ききのうきょう吉野は雪
匂い立つものもなくなり冬の草

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2015年1月号より

月光の全量を浴び帰郷せり      石倉 夏生
黄落の内そと目を閉じて覗く     森村 文子
狐火に照らされてこの国は在り    渡辺  澄
炎立つ曼珠沙華なら淡墨で      山口 彩子
そっと呼ばれてふりむけば秋明菊   川嶋 悦子
憲法の外側に居て秋深し       金  松仙
十月を正面にして観覧車       篠田 香子
にこにことスタートを切る運動会   中原 善江
母の忌のあくる日満月を仰ぐ     田部井知子
天辺はすでに退屈からすうり     土屋 光子

<白灯対談より>

異国語の往き交っている冬景色    志鎌  史
少年の岸を離るる寒の明け      佐藤由里枝
立春大吉もんどり打って転ぶ     大見 充子
人日のまわりつづける理髪灯     石井 昭子
風花やふと呼ぶ声のしたような    小笠原良子
梟に見られておりぬみておりぬ    小林マリ子
行く年のまんなかを抜けもどりけり  辻  哲子
着ぶくれて怖るるもののなき背中   相田 勝子
やわらかきものすれちがい初御空   笹本 陽子
遠嶺を思い出ずる日初鏡       多田せり奈
ともがらの淋しくなって大旦     あざみ 精
地下鉄に迷いこみたる空っ風     酒井眞知子
去年今年翼が浮遊しておりぬ     江口 ユキ
葉牡丹の渦の中なるまことかな    中野 充子
看板のジャンヌダルクと冬の街    大竹 妙子
どの国もひとつの地球クリスマス   森田 成子
鶴を折る母娘と隣初電車       川口 史江
二羽そろい冬青空のその先へ     小澤 裕子
人ひとり風の彼方の枯野から     塩野  薫

 

【山崎主宰の編集後記】

 大相撲の横綱白鳳は、モンゴル人だが、日本人以上に日本人の心を持っていると思うことがある。かつて<稽古だけで強くなるのには限界がある。心を豊かにすることも、一人で考え込むことも、一つ一つすべてが努力で、そうしないと強くなれない>と云っていた。
 俳句もそうで、ただ作って句会に出るだけでは上達は覚束ない。俳句の土壌を豊かにすること、俳句の視野を広げること、これをやらなければ本物の俳句はできない。  (Y)

響焰2015年3月号より

【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201503

紙の舟
            山崎 聰

断酒など思いもよらず神迎え
大道芸帰りてからの鵙日和
雪野雪山時代あらあらと過ぎぬ
太初から陽は燦々と去年今年
風景のうしろの景も初明り
人の日のやわらかき朝とりけもの
ものを言わねば透明になる寒暮
正月というはさびしき紙の舟
身に覚えなし列島に寒気団
すこしずつ話してごらん雪女

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2014年12月号より

大正の父の恋から月見草       和田 浩一
図書館の百科辞典のなか涼し     石倉 夏生
永遠に百合のうしろの少女かな    森村 文子
十日の菊別るるに身をのり出して   渡辺  澄
雁来紅大きな曲り角の先       米田 規子
推敲を重ねし末の秋の空       松塚 大地
空ひとつ焦がして夏の終りかな    金  松仙
晩秋のいちばんうしろやじろべえ   篠田 香子
秋灯ウイスキーボンボンと太宰    田部井知子
刀なら磨ぐ月光のしずくもて     伊達 甲女

<白灯対談より>

うずくまるけもののように寒波来る  佐藤由里枝
隠れたき夕日引き止め大枯野     大見 充子
ずきずきと空澄みわたり地震のあと  多田せり奈
海暮れて砂の城より冬ざるる     石井 昭子
晩年のよそ見もすこし寒椿      志鎌  史
眠らざるものも包みて山眠る     相田 勝子
柚子熟す多分もうすぐ雨が止む    笹本 陽子
小学校までの十分紅椿        小笠原良子
さびさびと寒柝ひとびとまるくねて  小林マリ子
とめどなくピーナツ喰らい大晦日   あざみ 精
惜しみなき喝采風の中の紅葉     辻  哲子
マスク外して一日分の呼吸せり    酒井眞知子
人参のお日さまの色煮込みけり    江口 ユキ
みがいてもくもってばかり冬の空   笹尾 京子
枯野原誰かを待って昏にけり     飯田 洋子
参道のいちばん上の冬の空      平尾 敦子
冬夕日ふたつの影がぶつかり来    塩野  薫
満開にしたくて薄目冬桜       菊地 久子

 

【山崎主宰の編集後記】

 「下手上手を気にするな、上手でも死んでいる画がある。下手でも生きている画がある」とは画家中川一政のことば。このことはそのまま俳句にも当てはまる。うまいなあと感心するが感動しない俳句は、つまりは心が見えないのである。うまいことはもちろん良いことだ。しかし本当の良さはうまさのもっと先にある。技術的には多少難があっても何か心を動かされる俳句に惹かれる。「上手は下手の手本なり、下手は上手の手本なり」と世阿弥も云っている。  (Y)

響焰2015年2月号より

【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201502

まほろま
            山崎 聰

まほらまは甍の果ての稲穂波
網を干す一切は黄落の中
火男もいる十一月のカレンダー
みちのくは馥郁とあり鷹渡る
ときどき思う冬虹のうしろがわ
影すこし尖りて寒し厨猫
海すでに空につながり神楽笛
大空の藍色深み甲斐も冬
月山のふもと雪降り雪女
門を出てまっすぐ行くと十二月

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2014年11月号より

不意の雪一書を得たる便りして    川嶋 隆史
こみあげてこみあげてきて滴れり   石倉 夏生
水中花からみつくものなにもなく   森村 文子
台風の端に触れいてみんな模糊    山口 彩子
蝉の木ともう一本の名も無い木    加藤千恵子
虫にならないかと誘われてかなかな  中村 克子
星月夜てのひら揺るぎなく寡黙    金  松仙
雲の峰さかなやが来て父の家     篠田 香子
土の香のじゃがたらごつんこっつんこ 青木 秀夫
ひとごとのように腑抜けて扇風機   愛甲 知子

<白灯対談より>

人の世にサインコサイン神の留守   石井 昭子
ゆっくりと犬が口開く榾明り     大見 充子
冬銀河影絵のように又三郎      佐藤由里枝
踏みしめて階段上がる文化の日    志鎌  史
なつかしき言葉の並ぶ小六月     笹本 陽子
ぎこちなき別れの言葉石蕗の花    相田 勝子
陽をふふむ音符あまたの吾亦紅    多田せり奈
夕紅葉二人乗り自転車のふたり    小笠原良子
夕闇に小林多喜二冬怒涛       辻  哲子
今にして思う椅の実の生家      小林マリ子
深秋のひとつの景を清州橋      飯田 洋子
千の眼と千の絆をピラカンサ     あざみ 精
喪服着て小さくあくび小春の日    江口 ユキ
ラストシーンのあと眠り冬の海    大竹 妙子
やさしさの漂っている大花野     酒井眞知子
日だまりの出口にて逢い赤とんぼ   小澤 裕子
膨らんだり萎んだりして秋が逝く   川口 史江
いつの日もここち良い距離六地蔵   中野 充子

 

【山崎主宰の編集後記】

 自由ほど不自由なものはない。俳句が難しいのは、何をどう詠っても自由だからである。何をやってもいい俳句には、当然教科書などない。だから俳句には正解はない。あれも真、これも真なのである。
 ひたすらに自分を信じ、自分がこうと思う道をまっすぐに突き進む。他人の意見ほどあてにならぬものはない。長く苦しい自分との闘い。俳句の道とはそういうものである。(Y)

響焰2015年1月号より

【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201501

南無妙
            山崎 聰

台風の前のろのろといて眼鏡
天空に獏を眠らせかくて秋
火口湖のもみじすべてがはじまりぬ
すでにして霧立ちのぼる都かな
神留守のまっただなかの大時計
総門は閉ざされ落葉枯葉落葉
耳立てて立冬の街あるきけり
海までの百歩が遠ししぐるるか
一切放下とは北風の中の浮標(ブイ)
南無妙の橋越えてくる寒さかな

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2014年10月号より

たくさんの箱の中からさくら貝    森村 文子
梅雨明けるしなやかに列島の背骨   川嶋 悦子
ごうごうと昭和の鞄夏北斗      鈴 カノン
退屈を脱ぐ梅雨明けのすべり台    中村 克子
七月や影をみじかく村の橋      河村 芳子
八月の風を追い越し男たち      戸田富美子
男滝いっきょに落下して集う     内田  厚
梅青実歳月ほろほろと傾ぐ      西  博子
芋の花まいにちまいにち日の暮れて  愛甲 知子
嬥歌の杜へ蟻の道辿りけり      伊達 甲女

<白灯対談より>

さびさびと秋のいちにち潮汁     大見 充子
秋高くてのひらほどの未来あり    石井 昭子
金木犀今日の出口が見つからぬ    佐藤由里枝
敬老の日人に疲れて帰りけり     笹本 陽子
烏瓜本気で赤くなっている      相田 勝子
歳月のうすずみ色に冬桜       志鎌  史
秋の暮市電ガタゴト曲りけり     小笠原良子
存在は風のなかなる豊の秋      あざみ 精
秋桜ふかい眠りの子を抱いて     飯田 洋子
鬼の子のひとりぼっちをくるまって  多田せり奈
穴惑いちからなきものまるくなり   小林マリ子
夕暮れのムンクの不安みちのく秋   辻  哲子
とことこと青い鳥小鳥えのころ草   大竹 妙子
鰯雲広がっている街の朝       小澤 裕子
窓を拭き十月の空みがきゆく     笹尾 京子
日本晴影の淋しい菊人形       江口 ユキ
星月夜うすももいろの異郷なり    酒井眞知子
新婚の二人と来たり今年米      平尾 敦子

【山崎主宰の編集後記】

 数学者の岡潔は、数学の本質を俳句に見出し<俳句は感覚の世界にあるのではなく、その奥の情緒の世界にあると>と云い、その理由として<感覚は刹那に過ぎないからその記憶はすぐに薄れるが、情緒の印象は時が経っても変わらない>とし、<情緒とは自他通い合う心>と断じた。
 ここで云う”自他通い合う心”こそ、いつも云っている”ふたりごごろ”にほかならないと思うが、どうであろうか。 (Y)

響焰2014年12月号より

【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201412

何が来る
            山崎 聰

遺品に眼鏡月光の夏おわる
十五夜のあとに満月蜑の家
晩節は花野に眼鏡置くような
満月のそのさき淡海麴小屋
台風一過影あるものとして歩む
木犀のほか何と何灯るかな
今ここにこうしてわれら台風裡
金木犀銀木犀と昼の酒
台風二つそのあとに何が来る
風すでにけもののにおい神の留守

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2014年9月号より

頭から酸化しつづけひきがえる    和田 浩一
少年暗し泰山木の花もまた      森村 文子
きらきらと三日遊んで鉄線花     米田 規子
梅雨満月最後のさいごまで真顔    川嶋 悦子
山の蟻由緒正しき肩書で       沖 みゆき
老人の懐中時計アマリリス      岩崎 令子
遠く来て大きなかたち夏の蝶     岩佐  久
海灯りいて八日目の油蝉       篠田 香子
決然と鍵穴ふたつ青嵐        西  博子
麝香揚羽それから母として永く    愛甲 知子

<白灯対談より>

爽籟や翼のほしき下り坂       中村 直子
まなかいに橋あるくらし波郷の忌   石井 昭子
風になり峠の道の猫じゃらし     岩田セイ子
路地の底抜けて青空新松子      水野 禮子
牛蒡引く丸い地球のてっぺんで    篠田 香子
秋の野に声分れみち戻り道      楡井 正隆
気だるげに消えそうに夏蹤いてくる  佐藤由里枝
音たてて猫が水のむ厄日かな     大見 充子
飲食をともに寂しみ韮の花      相田 勝子
昨日より今日より深く鶏頭花     小笠原良子
すすき原幽かに風の湧きはじむ    志鎌  史
この部屋のかすかな和音秋はじめ   笹本 陽子
いつからか闇のうごめく真葛原    あざみ 精
蜩の余韻むらさき風立ちぬ      辻  哲子
燕帰りて銀河行パスポート      多田せり奈
秋時雨無骨なるものときに愛し    小林マリ子
秋の雲たまご屋さんのオムライス   五十嵐美紗子
秋蝶や追われる風と追う風と     飯田 洋子

【山崎主宰の編集後記】

 日本語は難しい。その日本語を、しかも韻文で書く俳句はもっと難しい。助詞一つで全く意味が変わってくるし、助動詞の活用を誤ると、妙な言葉遣いになって句意が正しく伝わらない。
 俳句に携わる人はまず正しい日本語をしっかりと習得して欲しい。それには優れた文章をたくさん読むこと。本をよく読んでいる人は、文法など知らなくても正しい日本語が自然と身についている。日本語を粗末に扱ってはいけない。日本人なのだから。(Y)

響焰2014年11月号より

【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201411

うまい
熟睡して
            山崎 聰

終戦の日何かが見えて何もなく
おおかたは怒濤のいろに八月忌
夏の霧定住われら寂とあり
月の出やことばぐずぐず耳ひそひそ
烏瓜かの日の修羅も喝采も
甕に酒充ち月光のかなたあり
戦争と敬老の日の三輪車
纜は解かれ夏満月の真下
遠くあれば遠く待つなり夜の霧
うまい
熟睡して翼は海に月の酒

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2014年8月号より

我も冥き器のひとつ桜桃忌      石倉 夏生
新樹光真っ只中にいて悔し      栗原 節子
闇青き一村筍流しかな        山口 彩子
逃げ水を追っていただけきのうまで  松塚 大地
切株にうつらうつらと蛇の衣     中村 克子
花なずな泣き出すまでに少しの間   北島 洋子
サングラス躓いて風は鋭角      河津 智子
哲学のいちばんはじめ桜貝      篠田 香子
万緑の奥へ背鰭を立てて入る     西  博子
若葉風やや透明に歩むべし      紀の﨑 茜

<白灯対談より>

水牛の背骨八月十五日        楡井 正隆
赤べこが首振っている敗戦忌     岩田セイ子
存在の声を競いて雨後の蝉      大見 充子
来し方も未来もひとつ水中花     佐藤由里枝
いちまいの美しい夜籐の椅子     篠田 香子
夏休み大きな空が呼んでいる     笹本 陽子
空っぽの椅子に風くる九月くる    水野 禮子
陽に声や海の日の海ふくらんで    相田 勝子
法師蝉しきりに鳴いてふるさとへ   中村 直子
夕焼けて谷中の坂の迷い猫      多田せり奈
きっといるそれらしくいる青葉木菟  石井 昭子
老僧と二言三言木下闇        土屋 光子
分け入りて古道に苔の花の声     辻  哲子
噴水に裏も表もありにけり      小笠原良子
一村の溶けはじめたる溽暑かな    志鎌  史
産土をさがしておりぬ山椒魚     あざみ 精
歯車のひとつにならず時計草     小林マリ子
映像と共に過ぎ行く終戦忌      江口 ユキ

【山崎主宰の編集後記】

 つまるところ、ひとりをどう生きるか、ということになるのではないか。一家団欒の期間は意外と短い。子が成長すれば独立して離れ、やがて配偶者のどちらかが居なくなって、一人残される
 俳句の世界でも、長い間一緒に俳句を楽しみ語り合ってきた親しい仲間も、時の移ろいとともにつぎつぎと退場して、遂には自分一人になる。それからの長い一人の時をどう生きるか。そのときこそ、その人の本当の人間力が試されるのであろう。(Y)

響焰2014年10月号より

もっと

【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201410

恙なきか
            山崎 聰

降るでなく照るでもなくて田の蛙
天井の抜け落ちる夢八月尽
青空を見てから本気豆の蔓
麻布狸穴台風の日曜日
六日町十日町合歓淡き街
総門をひづめ戛々日の盛り
蛇交む退屈しかし世は平和
サングラスこの先女人禁制か
遠景のしきりに揺れる立秋以後

河村四響さんへ
恙なきか翳濃き夏の多摩杉山

 

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2014年7月号より

芽吹きつつ木々に記憶の蘇る     川嶋 隆史
灯のさきに灯を生み春の潦      和田 浩一
逃水に悲運の船の泛びけり      石倉 夏生
龍天に昇るこんこん赤ん坊      伊関 葉子
石みんな濡れているから春の雨    森村 文子
この頃少しチューリップ描くことも  渡辺  澄
朧夜の翼を広げ東京駅        川嶋 悦子
血管の細いところを桜かな      金  松仙
躓いて亀の鳴く日と思いけり     河津 智子
落椿ことばをひとつ置くように    西  博子

<白灯対談より>

はるばると青嶺青空水の里      水野 禮子
箱庭は夕闇来たるまでの景      岩田セイ子
空の底一瞬抜けて夏休み       石井 昭子
ひきがえる試行錯誤のひとっ跳び   大見 充子
追憶の途中下車なりラムネ飲む    篠田 香子
万緑や黒く大きな樗牛の碑      土屋 光子
四葩咲くうすむらさきは母の色    中村 直子
山門を一人は戻り竹煮草       楡井 正隆
引き返すことを忘れて蝸牛      佐藤由里枝
子の頃と同じ夢見て赤い金魚     笹本 陽子
まっ先に藪蚊の入る勝手口      相田 勝子
一瞬の青春回帰ぶな若葉       辻  哲子
もっともっともっと光を星今宵    多田せり奈
よく遊びすこし学びて夏休み     志鎌  史
世の中の表と裏とサングラス     あざみ 精
薄目で見る青大将の青いゆくえ    小笠原良子
立葵てっぺんまでの気負いかな    小林マリ子
別の顔しながら乾杯暑気払い     菊池 久子

【山崎主宰の編集後記】

 ”師は一人”と思っている。これまでにずいぶん多くの先生方と知り合い、それぞれに親しくおつき合いさせていただいたが、そういった方々は、尊敬する大先輩ではあっても、師と思ったことはなかった。師は終生和知喜八一人であった。
 多くの先達からいろいろなことを吸収するのは良いことだが、師と仰ぐ人は常に一人、でないと自分の俳句が一貫しないのではないかと思う。(Y)

響焰2014年9月号より

【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201409

 魚虫ほか
                                                                    山崎 聰
緑陰をはなれてからの生者死者
平穏のときにはゆらぎ麦の秋
大川にいくつかの橋夏至の雨
まっすぐに大きな靴が来て溽暑
天上はいまだあかるく蚯蚓の死
戦前か守宮の五指がうごかない
天空遠く人にも遠く夏の蝶
酒房あり愉し山の蟻疎まし
草木鳥獣魚虫ほか夏休み
   悼・伊藤君江さん
真顔いまやさしき笑顔青野原

【山崎主宰の選】 <火炎集>響焔2014年6月号より


三月の耳ふたつ飛ぶ淡海かな     伊藤 君江
三月の膨張みたり越後にて      小林  実
ふと生臭く暗がりの沈丁花      川嶋 悦子
遠い日の手紙のように春の雪     中村 克子
雀来る冷たい景色の真ん中に     亀谷千鶴子
春昼やみんなどこかにかくれんぼ   田畑 京子
羽は皆水辺に集い春の月       金  松山
ゆき降れり遠いむかしの火のいろで  秋山ひろ子
若布汁宵越しの金すこし持つ     愛甲 知子
揚げ雲雀みちのく風の吹くばかり   高橋登仕子

<白灯対談より>

しばらくは一茶の影をかたつむり   楡井 正隆
砲台のあとの砂山青葉潮  
     水野 禮子
空よりも水の明るき夏はじめ     岩田セイ子

川沿いをまわって帰ろ風五月     中村 直子
夢あふれいて六月の縄ばしご     篠田 香子
真夜中も朝もやさしく水蜜桃     笹本 陽子
尺蠖の何がなんでも急ぎけり   
  佐藤由里枝
斎場の出口に子供沙羅の花      土屋 光子
ふたりなら青水無月の渡し舟 
    石井 昭子
蛇は穴をさびしい本の並びて  
   大見 充子
戦前とも夕焼け雲に黒い点  
    相田 勝子
熟れごろのメロンの網目町暮らし   辻  哲子
萱草の花もうこれ以上走れない    小林マリ子
紫陽花の盛りの色のさみしかり
    志鎌  史
アマリリスやさしくされてなお不安  小笠原良子
シャボン玉もう消えそうに泣きそうに 浅見 幸子
どこからかムンクの叫び座禅草    多田せり奈
雑踏に混じることなく白日傘     中野 充子

【山崎主宰の編集後記】

 俳句は人生と似ている。長く生きていて特に良いことがあるわけではないが、ごくたまに、生きていて良かったと思えるようなことに巡り合うことがある。そんな出会いのために、人は営々と毎日を生きる。
俳句も頑張ったからといって良い句ができるわけではないが、あるとき全く偶然にオヤと思うような良い句が授かることがある。そしてそれは、日頃努力していないと、そういう幸運には巡り合えないのである。(
Y)

響焰2014年8月号より

【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201408

 翔けるべし
                                                                    山崎 聰
狼のように走りぬつちふる日
憲法の日塀の穴から顔のぞく
翼なくことばなくこどもの日の大人
八十八夜人体とうに濡れている
泣きたくば泣くべし青野翔けるべし
花樗病棟裏の夜と昼
走り梅雨にっぽんすでにうすあおく
うかうかと人の死に遇う青葉潮
緑陰のさしたることもなき二人
雲のよう放蕩のよう牛蛙

 

【山崎主宰の選】 <火炎集>響焔2014年5月号より


一瀑布過ぎていそがぬ雪解川     川嶋 隆史
今はただ炭焼竈として残る
      栗原 節子
如月の遠きものとして少年      森村 文子
麦踏みのつづきの父の遠さかな    渡辺  澄
寒明ける中学生に挟まれて      沖 みゆき
春泥を跳んで人間嫌いかな      中村 克子
福は内小さき声で鬼も入れ      田畑 京子
寒椿ときどきこころ熱くして     金  松仙
寒月光はらりひらりと女文字     君塚 惠子
立春寒波団欒の外にいて       山口 典子

<白灯対談より>

逝く春や終着駅は風のむこう     佐藤由里枝
むらさきの特急列車麦の秋      岩田セイ子
春の宵昭和へ曲がるシネマ街     石井 昭子
帰ろうか桑の実すでに眠りけり    笹本 陽子
太陽の軌道をはずれ夏休み      篠田 香子
くやしかり濡れた葉裏のなみくじり  大見 充子
やわらかに言葉を重ね夜の新樹    水野 禮子
八十八夜木の家に住み木の香り    相田 勝子
憲法記念日ピカソの女見ておりぬ   中村 直子
仁王門のあたりへ跳んで雨蛙     土屋 光子
ゆっくりと列車の尾灯夜の新樹    楡井 正隆
戦争と平和変わらぬ五月富士     辻  哲子
真実は春の青空大都会        志鎌  史
青葉寒象のおなかの皴の数      小林マリ子
太陽の五月へ青い鳥放つ       小笠原良子
望郷や堰をあふるる春の水      多田せり奈
葉桜の径くぐり抜け山頭火      土田美穂子 
細胞にたましい宿り春うらら     浅見 幸子
仰ぐのはいつも夕暮れ桐の花     飯田 洋子

【山崎主宰の編集後記】

 人が生きてゆく上でいちばん大事なものを一つだけ挙げよと、云われれば、それは”想像力”ではないかと思う。対人間の摩擦、失敗、さらには犯罪なども、ちょっと想像力を働かせて行動すれば避けられたのではないか、と思われるケースが多々ある。
翻って俳句の世界でも、想像力はもっとも重要である。書き手と読み手の想像力の鬩ぎ合いが俳句の面白さだ、と云っては言い過ぎだろうか。いわゆる吟行なども、つまりは想像力を膨らませるためにある、とさえ思うのだが。(Y)

響焰2014年7月号より

【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201407


ニーチェ以後

              山崎 聰

何かが墜ちる春の淡雪のあと
子猫にもあるあしうらの黒いところ
生死(しょうじ)なおおぼろのむこう島泊り
音消せば三百六十度春夜
ぼんやりと亀が鳴くから遠江
いまもなおほのあかくあり春の夢
シネラリア人のうしろを風吹いて
にっぽんのうすぐらいところから蝶
ニーチェ以後厨に充ちて春の闇
葉桜と羅漢と町じゅうのこども

 

【山崎主宰の選】 <火炎集>響焔2014年4月号より


マスクして詩人の瞳誰ももつ     川嶋 隆史
新春の雷門で囁きぬ   
      小林  実
寒気団居座り深川飯屋に灯      廣谷 幸子
かちかち山金時山も冬枯れて     川嶋 悦子
風の笛初夢はいつもまぼろし     沖 みゆき
冬満月障子に猫の覗き穴       和田 璋子
のんびりと叱られていて三日過ぐ   秋山ひろ子
まっすぐに歩くすなわち恵方道    河津 智子
初夢の中うみうしと長話       内田  厚
一月のおわりをのぞき万華鏡     山村 則子

<白灯対談より>

みちのくの連山潤び武者絵凧     岩田セイ子
地下鉄を出て春雷に打たれけり    佐藤由里枝
花寂びてうつしごころの戻りけり   大見 充子
幾すじも水光りゆく弥生尽      中村 直子
桜貝ときどき泣いて赤ん坊      笹本 陽子
春昼をとんと拡げて象の耳      篠田 香子
永遠の中をトボトボ芽吹く日々    紀の﨑 茜
見えかくれしてチューリップの鼓笛隊 土屋 光子
花ミモザ光の中から乳母車      小笠原良子
春深く並びて蔵の仄明り       志鎌  史
海までの風のあとさき飛花落花    水野 禮子
結論へすこし動いて花筏       相田 勝子
桜咲く多事多難にもかかわらず    辻  哲子
ほんのすこし初心にもどり野水仙   多田せり奈
リラの雨十字の墓へゆるい坂     石井 昭子
地球儀のくるりとまわる蝶の昼    小林マリ子
入口は開いているなり末黒の野    楡井 正隆
横丁を曲がると麩菓子春の昼     あざみ 精

【山崎主宰の編集後記】

 誤解を怖れずに、ごくおおざっぱに云えば自然科学と人文科学の折り合いをどうつけるかが俳句なのではないかと思う。
  歳時記の季語は、生活や行事など一部を除いて、ほとんどが自然科学、もっとひらたく云えば”理科”である。そこに感性や言語感覚といった人文科学的要素をどう滑り込ませるか、そのかね合いが一句の味わいを決める。
 そんなことを考えながら俳句を作ってみるのも、ときには面白いかも知れぬ。 (Y)

響焰2014年6月号より

  【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201406

サハリン

              山崎 聰

省略のそのさき辛夷沈丁花
遠く思えば遠くあるなり鷹女の忌
尾鰭から憂いはじまり花の闇
放埓で無口で美男四月馬鹿
仰向けに流れて海へ花筏
春昼のさびしい時間刃物研ぎ
さくら散りおへそのまわりがむず痒い
少年に大きなのぞみ四月沸く
恋遠しサハリン遠し遅桜
和知喜八先生
いまもなお春のまんまる月と湖

【山崎主宰の選】 <火炎集>響焔2014年3月号より

狐火のしんがりは泥酔の父      栗原 節子
片足を雪に取られて存在す      小林  実
いちょう黄葉寧楽の都を隠しけり   芝崎 綾子
冬に逝く本の頁を繰るように     川嶋 悦子
何よりも眼鏡が大事去年今年     鈴 カノン
こころまた家出しておりかりんの実
  和田 璋子
ややあって扉が閉まり冬ざくら    田畑 京子
十二月銀座に近く黄昏れて      岩佐  久
ゆきだるま迷子のような顔をして   秋山ひろ子
山茶花一列校庭は忘れもの      篠田 香子

<白灯対談より>

カピバラと半分ずつの春日向     土屋 光子
もろもろの紐があつまり弥生尽    中村 直子
春の風すこしさびしく象の鼻     岩田セイ子
威風堂々花冷えの江戸の蔵      石井 昭子
永遠のくるりくるりと春の水     紀の﨑 茜
菜の花をたどりてゆけば遠き日々   小笠原良子
海底を匍匐前進して四月       篠田 香子
音たてず夢にも触れず白い蝶     大見 充子
まんなかにフランス人形ひなまつり  佐藤由里枝
また咲いてまた散らばってわが桜   笹本 陽子
紋黄蝶アンモナイトの渦を発つ    相田 勝子
啓蟄や出口いくつも地下の街     辻  哲子
ゆゆしきは深川あたり梅真白     小林 伸子
地の根っこ人の根っこに春の雨    水野 禮子
春がすみ絶滅危惧種の一人なり    志鎌  史
読みさしの「アンネの日記」四温かな 多田せり奈
嗚呼という声したようで落椿     あざみ 精

雲の上から老いはおとずれ花大根   小林マリ子
ミモザ咲く今日のこの道明るくて   土田美穂子

【山崎主宰の編集後記】

 私達が普通目にする文章(俳句や短歌も)は、漢字仮名混り文である。考えてみると、これは実に優れた先人の知恵だと思う。
  漢字は表意文字でそれ自身に意味がある。だから漢字漢語は、見た瞬間に意味が伝わる。表音文字である仮名は字自体には意味は無い。ひとかたまりの言葉になってはじめて意味を持つ。しかし仮名文には独特のやさしさと匂いがある。
 短い俳句の場合、同じ言葉を漢字で書くか仮名で書くかで読者に与える印象は大きく違う。その選択は掛って作者に委ねられているだけに、漢字と仮名の微妙な使い分けに意を用いたい。 (Y)】

響焰2014年5月号より

  【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201405

どんぐり山

              山崎 聰

大雪のあとの紺碧船が出る
雪女ひとつはひとりの影曳いて
国憂うるときも雪降り窓あかり
どか雪にこんがらがっているふたり
これからを濃くして山の雪椿
雪やんでいのちの灯るごとく木々
ぐじゃぐじゃと生きぐじゃぐじゃの雪を踏む
遠嶺雪きょうの続きとして未来
寒三日月にんげんをいつやめようか
駒志津子さん
降る雪のどんぐり山に覚め卒寿

【山崎主宰の選】 <火炎集>響焔2014年2月号より

映りたきものを映して冬の沼     石倉 夏生
葱抜いて男の寓居灯したる      山口 彩子
木枯一号やくそくごとありて齟齬   廣谷 幸子
北窓ふさぐ天平のむかしから     芝崎 綾子
考えて改札通る十一月        沖 みゆき
偉そうに大きな鏡十一月       亀谷千鶴子
くさめして正しき骨の位置探す    金  松仙
秋日和巷にひとをあそばせて     青木 秀夫
異次元の隙間より音冬桜       内田紀久子
納豆汁羨望沁みてゆくところ     愛甲 知子

<白灯対談より>

人声の流るる真昼葦の角       中村 直子
初御空ベートーベンの第五番     岩田セイ子
どやどやと避難訓練草萌ゆる     石井 昭子
やさしくて夕日まみれの蜜柑山    大見 充子
みかんきんかん六法全書にルビ    篠田 香子
春の風ごつんと頭上通りけり     笹本 陽子
遠景にありふれた海立春後      佐藤由里枝
刃物屋の奥まで見えて寒の明け    相田 勝子
すっぽりと大都市雪夜シベリウス   辻  哲子
春遠くどこかさみしい薬指      小笠原良子
ものの芽や人皆修羅の仄明り     水野 禮子
餅を焼くあれこれあれと考えて    小林 伸子
一村をひと色にして山眠る      志鎌  史
人を恋うことんと落ちて春の闇    土屋 光子
影を踏むあそび二月のこどもたち   小林マリ子
滝凍てて観音さまの顕ち上る     多田せり奈
瞑想の達磨ではなく雪ごもり     原田 峯子
迷いいる大事と小事枇杷の花     浅見 幸子

【山崎主宰の編集後記】

 文壇の芥川賞、直木賞とはすこし意味合いが違うが、俳句も二面性を持っている。芸術性と大衆性、一流性と一般性である。どちらが良い悪いということでなく、云ってみれば、芸術、文芸すべてに共通する宿命であろう。
 結社はその両方を呑み込まなければ成り立たない。主宰の意志、志向はそれとして、結社を運営するためには、そのどちらの作者も抱え込んで、それぞれに所を得させることが求められる。そこに結社運営の難しさがあり、主宰の指導者としての資質が問われるところでもある。 (Y)】

響焰2014年4月号より

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【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201404

運河まで

山崎 聰

忘恩の一日寒く鯉の口
光ることもなく美しき寒卵
夢にきし彼そして彼晩臼柚
あかあかと冬野を帰りしに逝けり
白馬白兎大寒気団来たるかな
自画像のそのとき真顔雪景色
硬直し転倒し初夢のなか
命終のそのときまでを雪中花
わらわらとこの世の焔どんど焼
探梅のつもりはなくて運河まで
 

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2014年1月号より

ふと火の匂い流星の消えた闇     伊関 葉子
鉛筆は紙より昏き十三夜       渡辺  澄
時雨忌のしぐるる中を戻りけり    小林 一子
月天心視つめ合うのは猫である    鈴 カノン
間引菜のひそひそひそと闇夜なり   栃木喜美子
望の月つと立ちあがる茹で卵     亀谷千鶴子
台風その他どかどかと勝手口     金  松仙
おみくじ大吉防災の日の翌日     篠田 香子
眠りからはみ出している夜長かな   西  博子
茶房の隅にそれだけの吾亦紅     伊達 甲女

 

<白灯対談より>

木の影の明るいところ藪柑子     岩田セイ子
まっすぐに踏切渡る年の暮      石井 昭子
伝言板なべて寂しき冬の声      大見 充子
始まりはきのうのように十二月    佐藤由里枝
船に乗る山にみみずく帰るころ    篠田 香子
広がっては集まっては福寿草     笹本 陽子
石段を猫が先ゆく淑気かな      水野 禮子
すこしだけ思いを遠く雪降る日    相田 勝子
除夜の鐘翼の手入れしていたり    中村 直子
沈黙をひとり天皇誕生日       あざみ 精
暗闇にドフトエフスキー街師走    辻  哲子
たくましい少年といてどんどの火   小笠原良子
冬霞空気おもたき石舞台       土屋 光子
逆光へ白鳥とべるその一瞬      小林マリ子
パレットにすこし白足し冬景色    多田せり奈
正座してこれから先を女正月     浅見 幸子
冬空は真実青し群雀         楡井 正隆
定位置にシクラメンあり夫あり    原田 峯子

 

【山崎主宰の編集後記】

表現(言葉)はやさしく、内容は濃く、深くというのが俳句の要諦だと思う。やたらと難しい言葉で飾り立てるのは、内容が貧しいから。つまり内容に自信がないからではないか。易しいことを難しく云うのではなく、深い内容をやさしく云う。もっともこれがいちばん難しい。だからつい言葉に走ってしまうのだろう。易きに付かず、あえて困難に挑む、そこにこそ本当の詩を生む源泉があると思うのだが。(Y)

 

響焰2014年3月号より

 

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【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→ Shusai_Haiku_201403

くさ き はな

山崎 聰

忘年のまわりて重き業車
ぼろ市の時計が鳴ってつと加齢
シリウスオリオン蒼惶と湯屋を出て
冬日燦らくだは懸命に駱駝
ひそひそと眠れば異国冬薔薇
五百羅漢の一体さびし初明り
初暦とりむしけものくさきはな
一月のめでたきものとして目鼻
還暦に二十を加え雪迎え
アムールのそのさき凍土銃と靴

 

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2013年12月号より

川はしずかに敗戦の日の轍      栗原 節子
透きとおる長き手足の九月かな    森村 文子
甘藍を抱き裏口より入る       内田 秀子
台風のあと長生きの犬連れて     渡辺  澄
星月夜小さな町の橋渡る       廣谷 幸子
十三夜ぽかりとひらく貝の口     小林 一子
死者生者ふと眼前のしじみ蝶     米田 規子
こすもすに染まりたいからかくれんぼ 河村 芳子
躰から蒼い水音今朝の秋       中村 克子
ぽっかりと別の入口曼珠沙華     西  博子

<白灯対談より>

天空遺跡一月のカレンダー      石井 昭子
恋せよとばかりに赤し寒椿      大見 充子
冬夕焼きのうと違う影法師      佐藤由里枝
赤いもの着てボロ市の骨董屋     岩田セイ子
唐辛子太陽系の臍にいて       篠田 香子
真剣に落語を聞いて師走なり     笹本 陽子
望郷の集まっている冬の駅      水野 禮子
あの八日はたまた八日レノンの忌   多田せり奈
風景にとけこんでおり吊し柿     小笠原良子
鴨の声中州に仔細あるらしく     土屋 光子
百歳の筆致の青さ花八手       辻  哲子
直線で画く十二月八日の雲      相田 勝子
去年今年灯りのともる百の窓     小林マリ子
たましいのまっすぐ真昼青鷹     中村 直子
大川の鉄橋錆びていて寒夜      楡井 正隆
昭和残像里芋の煮ころがし      あざみ 精

【山崎主宰の編集後記】

何度も云っているように、世の中のことすべてと同様、俳句にも絶対はない。あれも真、これも真である。だから自分がこうと思うことを続けるしかない。ただ、自分のやっていることだけが正しいと思いこまないこと。俳句に正解はないのだから。他を認めることのできる人だけが、他からも認められるのである。そんな状況のなかで自分の俳句を貫き通すのはたいへんなことだが、文芸とは本来そういうものであろう。(Y)

 

 

響焰2014年2月号より

 

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【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→ Shusai_Haiku_201402

雪 () れ

         山崎 聰

徹頭徹尾昭和のかたち藁ぼっち
山査子の実てんてんまあだだよ
黄落の吉野を出でてより無聊
空の青沖ゆく船の寒い青
逃亡の一瞬さびしき冬の森
十二月八日の朝の玉子焼
愚行いくばく耿々と冬至の灯
耳立てて雪()れの街曲りけり
十二月るいるいと人厩から
神域はもとより昏く壺中梅

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2013年11月号より

風葬の途中反転して揚羽       川嶋 隆史
男から女へ放つ火の蛍        石倉 夏生 

炎昼や影方形の永田町        栗原 節子 
飼猫のころんと生きて晩夏なり    伊藤 君江
夏の果いちばん高い木に次郎     伊関 葉子
夾竹桃怒っているわけでなく     森村 文子 
蛍籠からとり出せり旧い家      渡辺  澄
そろそろと生きてののさまお盆さま  鈴 カノン 
桜実に赤くなるなら赤い影      篠田 香子
八月の海逡巡して無音        中村 克子

<白灯対談より>

秋冷のいちばんはじめ屋敷神     水野 禮子
こだわりて眠るときには冬の金魚   大見 充子 

千年の夢物語式部の実        岩田セイ子 
人はみな山河に還り冬の雨      石井 昭子 
柿赤くなだらかな坂もどり坂     篠田 香子      
真実はいつもまぎれて穴惑い     浅見 幸子
地球儀の日本まんなか豊の秋     佐藤由里枝
ちちははにすこし近づき冬夕焼    小林マリ子
みちのくのぽつんぽつんと木守柿   辻  哲子
日当りを歩くでもなく冬の蠅     相田 勝子

冬ぬくくゆっくり進むコンテナ船   小笠原良子
途方もない扉のひらき紅葉散る    土屋 光子
お茶の花主張するともせざるとも   五十嵐美紗子

刈り取りてずしりと重き花芒     中村 直子
ともしびひとつ枳殻の実のころがって 多田せり奈
夜焚火の赤青きいろみな生者     若林 佐嗣 
神の留守日溜りにいて猫と人     志鎌  史
横顔の花子先生藁ぼっち       楡井 正隆 
良寛のいるはずもなく柿日和     原田 峯子

【山崎主宰の編集後記】

 俳句は散文でなく韻文です、と云うと、散文と韻文の区別がわからないと云う。普通にわれわれが日常書いている文章はすべて散文、そういう散文の文脈に乗らないものが韻文なのだが、手っ取り早く、俳句は五七五のリズムで書くから韻文です、と云うことにしている。
 最近は俳句でも口語的発想、口語的表現が多くなったせいか、全体に散文化の傾向が著しい。しかし文語、口語に拘らず、俳句はあくまでも韻文であることを、しっかりと肝に銘じたい。(Y)

響焰2014年1月号より

【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→ Shusai_Haiku_201401

(ろう)  (えん)
山崎 聰
椋の木に椋鳥(むく)とっぷりと昭和の灯
新横浜駅北口不意に秋の声
芋虫のもあもあといる昼餉どき
見て聞いて揺らぎてわれら天高し
言の葉のひとりあそびの黒葡萄
蓑虫のきのうをいまだひきずりて
愛されて十一月の旅鞄
身体髪膚もとより熱く一の酉
狼煙は岬の果たて濁り酒
新雪の山脈見ゆる朴葉鮓

 

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2013年10月号より

籐椅子のそばに精神的奈落      石倉 夏生
真夏まぼろしらんらんと生きている  森村 文子
夜店より帰ってからの忘れもの    渡辺  澄
行々子おいてけぼりのかくれんぼ   廣谷 幸子
蝉時雨大きな穴を埋められず     米田 規子
土用丑の日真昼間の厩橋       沖 みゆき
日章旗かかげ祭の一日前       北島 葉子
うやむやの国にころがり落とし文   鈴 カノン
考えの始めに青田ありにけり     金  松仙
六月の父のかたちを記憶せり     岩佐  久

<白灯対談より>

眠るなよ星の音する星月夜      大見 充子
目と鼻と髪のありよう台風圏     笹本 陽子
左折してふるさとの家稲の花     岩田セイ子

煙突の街が消え去り赤のまま     石井 昭子
天上微風いっせいに曼珠沙華     水野 禮子
晩秋の赤い大橋鍵の束        河村 芳子
ねこじゃらし風が笑っているような  佐藤由里枝
船頭と猫との会話体育の日      篠田 香子
いわし雲近づく別れまぎれなく    辻  哲子
単純なかたちと思いラ・フランス     小笠原良子
刈田穭田昭和のおとこほのぐらく   あざみ 精
晩節の今こそ自由草の秋       中村 直子
それぞれの影追いながら赤とんぼ   相田 勝子
風折れの槍鶏頭花モジリアニ     土屋 光子
秋日傘昭和の町の美術館       小林マリ子
日本丸二百十日の風を切る      若林 佐嗣
ぽっかりと穴ひとつあり秋立つ日   浅見 幸子
秋夕焼去年の顔がつと過る      楡井 正隆
秋ひと日雑踏長き本通り       志鎌  史
追憶は落穂拾いの終るまで      多田せり奈

【山崎主宰の編集後記】

旅は帰るところがあるから楽しいのである。帰るところのない旅、つまり放浪は、決して楽しいものではあるまい。私達普通の市民にとって、旅は日常を離れた非日常の世界であるが、決して日常とかけ離れたものでなく、日常の上に成り立った非日常なのである。非日常の旅にあっても、日常を忘れず、日常のこころを持って旅の風物に接する。そうすれば、相手も必ずあなたにやさしく微笑みかけてくれる筈だ。ふたりごころとはそういうことである。(Y)

響焰2013年12月号より

【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→ Shusai_Haiku_201312

ぽかんぽんかん

みんみんの全部を鳴かせ腕のしみ
台風一過不可もなく可もなくて
対岸へ咆哮一度こぼれ萩
青蟷螂()の子にありてこころざし
かにかくにまほろばやまと断腸花
寒蝉の鳴き尽くしたるあとの空
敬老の日もっとも赤いものを食い
ぽかんぽんかん裏窓は開かれて
人体にもっとも遠く秋の水
わらわらと老若男女赤い羽根

 

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2013年9月号より

散るときは晴れているなり水中花   栗原 節子
はるばると晩学晩節みなみかぜ    伊関 葉子
太陽を超えたる位置に蝸牛      小林  実
夏終わるまで若くあれ八ヶ岳     渡辺  澄
ことのほか空美しく更衣       米田 規子
薄翅蜉蝣ぽっかりと午後三時     沖 みゆき
やや暑くサーカスに少年ふたり    鈴 カノン
妹は兄を追いかけ苜蓿        山口美恵子
ところてん然したることもなく愉快  青木 秀夫
六月の水底碧々と籠る        西  博子

<白灯対談より>

水を打つ仏足石の近くまで      岩田セイ子
観覧車釣瓶落しを抱いている     大見 充子
ふり向けば秋風となる男の背     伊達 サト
犬の名は「ルイ」彼岸花彼岸花    高橋登仕子
良夜なりひかりの洩れる天主堂    石井 昭子
烏瓜青光する次男いて        あざみ 精
平成のくらがりを抜け祭笛      篠田 香子
かなかなの昨日はすでになかりけり  佐藤由里枝
湖の花火は遠くみんな居る      笹本 陽子
風立ちぬくるみ柚餅子の父の国    辻  哲子
ちちははのうしろを歩き秋桜     小笠原良子
名月や柱に傷があり黒し       土屋 光子
秋の夕暮れ裏木戸に野菜籠      水野 禮子
水平線にけむり終戦の日の真昼    若林 佐嗣
丸を描きさてそれからの長き夜    相田 勝子
よく晴れて錆びた鉄路のねこじゃらし 多田せり奈
台風一過いつものように新聞くる   小林マリ子
鞠つくと戦争の歌秋の虹       中村 直子
欄干に微熱八月十五日        楡井 正隆
敬老の日たっぷり眠りひとりなり   江口 ユキ

【山崎主宰の編集後記】

”子供の頃は一日は早いが一年は長い。大人になると一日は長いが一年は早い”と云われる。実感としてはそうだなと思う。振り返ってみて、二十歳ぐらいまでのなんと長かったことか。これがもっと年をとると、一日が早く、一年も早い、となる。時間に追われながら一日が過ぎ、一年が過ぎてゆく。
創刊55周年の今年、いろいろな事業や行事もあっというまに終り、まもなく暮れようとしている。皆様に感謝しつつ一年を締め括る。(Y)

響焰2013年11月号より

【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→ Shusai_Haiku_201311

少数派

不機嫌なむこうの闇をひきがえる
かくも長き沈黙八月の波間
あかあかと檻の三匹敗戦忌
猛暑日の一汁一菜ふと笑う
惨たりし記憶のひとつ旱雲
埃吹く町に住み古り終戦忌
晩夏晩節圧倒的に少数派
餡パンとお化けの話納涼船
柘榴熟れる太陽系の端っこで
秋蝉の全身全霊人の家

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2013年8月号より

縦列に毎日がくる夏が来る      石倉 夏生
蟻として日向日陰を蟻の道      伊関 葉子
雲雀野を歩いてゆくと丸木船     森村 文子
三軒長屋まん中はみなみかぜ     渡辺  澄
人形を抱けば目を開く昭和の日    相田 勝子
おおかたは春の藻となりねむるなり  鈴 カノン
花のあと海の方から大黒天      篠田 香子
母の日は翼を下さい母に逢う     田部井知子
朧の夜人間臭き自動ドア       中村 克子
原発がタンポポ抱いて立っている   内田紀久子

<白灯対談より>

鉄橋とお化け煙突極暑かな      あざみ 精
飛ぶ夢の語りつくせぬ鳳仙花     伊達 サト
浜昼顔ひいふうみっつ跳ねている   高橋登仕子
浮遊する前頭葉にサングラス     岩田セイ子
追いかけて蛍の闇を真正面      菅野 友己
川沿いをまっすぐ行けば夏休み    篠田 香子

癒されて小さな秋の曲り角      大見 充子

いささかのそよぎにも似てあかとんぼ 佐藤由里枝
たましいと夢つながりぬ凌霄花    笹本 陽子
八月をよいしょと越えて空の青    石井 昭子
八月やものみな青く遠ざかる     相田 勝子
ひらひらと少女が走り夏の果     小笠原良子
ひくらしやへなへな座る歯科の椅子  土屋 光子
向日葵と帽子の記憶廃線路      水野 禮子
静かさの極まっている寺の秋     若林 佐嗣
叶うなら銀河鉄道盆の月       辻  哲子
サンテグジュベリ空き瓶に薔薇一輪  多田せり奈
尺取虫きょう一日を律儀なり     小林マリ子
ちちははもはらからもいた夏休み   五十嵐美砂子
青空は大きなひらがな夏休み     楡井 正隆

【山崎主宰の編集後記】

選はあくまでも参考である。俳句に絶対や正解がないと同様、選にも絶対や正解はない。参考意見を提示しているに過ぎない。同様に、句会などでの評も、そのときの、その人の思いつきに近い見解であって、決して正解ではない。だから、決めるのはあくまで作者本人。選の結果や句会での意見を採用するもしないのも、すべて作者自身の責任においてなされるべきことである。
但し、俳句に正解はない、選は絶対ではないということを未熟の隠れ蓑にしてはなるまい。  (Y)

響焰2013年10月号より

【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→ Shusai_Haiku_201310

匍匐

風葬を思えば郭公の真昼
ふたつながら虹の高みへ夕間暮
青時雨船長罐を焚き多忙
兜虫畳に這わせ模糊といる
海に山に太初の炎(ほむら)夏休み
そのあとの抜弁天の暑い雨
尺蠖の匍匐前進あと青空
石切って石運び出す夏の暮
喝采のまっただなかの暑さかな
少年の青みて遠く夏の果て

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2013年7月号より

一瞬をいくつも繋ぎ椿落つ      石倉 夏生
地球儀を回してみても昭和の日    伊藤 君江
青き踏む善人はどこかに消えて    渡辺  澄
捨てるもの捨て春の山登りけり    米田 規子
花に雨けむりのように眠るなり    沖 みゆき
さくらふぶきを逃れてからの五欲   和田 璋子
川曲る私も曲る朧かな        亀谷千鶴子
いちにちを微熱のように花の雨    河村 芳子
ひらがなのままの一日春の山     金  松仙
短編のその先雪の残る駅       秋山ひろ子

<白灯対談より>

向日葵咲いて大空が碧すぎる     大見 充子
財嚢を叩くや虎落笛が鳴る      伊達 サト

鉤の手に登る坂みち淩霄花      高橋登仕子
七月やぐいと近づき海の駅      石井 昭子
青空の前と後ろと山の蟻       篠田 香子
うすれゆく記憶のなかの花サビタ   岩田セイ子
ちちははの並んで渡る虹の橋     佐藤由里枝
捌かれてたちまち土用鰻かな     笹本 陽子
梅は実に影ながながと喪の帰り    水野 禮子
黴の書に父の書き込みある晴れた日  相田 勝子
押し潰されて干涸びて熱帯夜     菅野 友己
蟾蜍動けばうごく山の風       中村 直子
目薬の一滴熱し日雷         土屋 光子
六月の遠い記憶にパリの雨      小笠原良子
まほろばの空にちちはは朴の花    若林 佐嗣
睡蓮と動物眠る青い園        辻  哲子
水無月や回転ドアを花の束      小林マリ子
奈落までほんのいっとき淩霄花    あざみ 精
黒揚羽記憶の底に山の地図      上野やよひ

【山崎主宰の編集後記】

日本人はとかく群れたがる、と云われる。それは同質を求めるからであろう。つまり、人と同じであることで安心し満足する心理である。たしかにそれは気楽で心安まることには違いないが、自立の精神からはほど遠いのではないか。
俳句は云うまでもなく個の作業であり、孤の仕事である。群れて同質化したところからは、本当の詩は生まれない。
群れない、孤立を怖れない、異質を誇る。俳句の道は意外と厳しい。  (Y)

響焰2013年9月号より

【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→ Shusai_Haiku_201309

洛中洛外図

はつなつのいちばんあかるい日のポプラ
父の日の父をはなるる一つ星
天上無風青水無月のカフカ
ねむ咲いてよりの洛中洛外図
飴色に夏来て三郎次郎かな
扉は閉まり東国に雷一つ
三階のいちぶしじゅうにわが夏も
夏至のあと平穏で無事交差点
祭笛渋滞車列すこし軋む
イグアナも神様もいる熱帯夜

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2013年6月号より

黒い浪被りてからの苜蓿       川嶋 隆史
ときにはおもう春風に光る川     栗原 節子
初蝶来つとふくらめる日曜日     廣谷 幸子
声のする角曲がるたび暖かく     沖 みゆき
雛の夜ひとり座ればまるい闇     河村 芳子
雪山の雪に包める甘納豆       鈴 カノン
言葉が残り三月の波のあと      金  松仙
気怠さを押し分けすすむ花筏     岩佐  久
朧月昇りて源氏物語         内田紀久子
日記書く天井を見る凍もどる     愛甲 知子

<白灯対談より>

梅雨寒や親しい人の前の席      伊達 サト
梅雨湿り一人になれば深き海     大見 充子
濃紫陽花一歩遅れて人に添う     高橋登仕子
山上微光風の隙間に夏の草      佐藤由里枝
ひとつずつ扉を開き五月逝く     篠田 香子
人はみな誰かを待ちて蛍の夜     石井 昭子
なんの行列音もなく蟻が行く     笹本 陽子
万緑の風が風呼ぶ旧街道       水野 禮子
牛蛙の重たい響きついてくる     菅野 友己
内側は花の模様の梅雨の傘      相田 勝子
遠郭公右手寂しき観世音       土屋 光子
父が旅へ六月白い波頭        小笠原良子
知覧の新茶家族の一人戦中派     岩田セイ子
崩落の泥もはこびて初つばめ     若林 佐嗣
青田風満たして走る一輌車      小林マリ子
きわみまで優しき藍を春の海     辻  哲子
蛍狩血脈ほのと闇のなか       あざみ 精
朦朧と人の声聞く青時雨       浅見 幸子
梅雨晴間大道芸人毬落とす      斉藤 淑子
喜雨の中一日分を蛙鳴く       中野 充子

暮れなずむ合歓の咲く道帰り道    楡井 正隆
母の日やいろいろありて濃いピンク  五十嵐美紗子

【山崎主宰の編集後記】

 俳句は難しい。しかし難しいことを云うものではない。難しいことを云うのが俳句だとばかりに、やたらと抽象的な云い回しをしたり、康煕字典から引っ張り出してきたような言葉を並べたりする人をときどき見掛けるが、それはその人に詠いたい内容が無いから言葉で飾ろうとするのではないか。
短くて正解のない俳句はたしかに難しい。しかし本当はやさしくなつかしいものなのだ。普通のことを普通の言葉で普通に云う。それが俳句なのだと思うがどうだろうか。 (Y)