**リアルな描写**
参加者34名、投句数68句、4月1日投句、4月7日選句。
響焰の創設者和知喜八先生はリアリティーの俳人と言われています。山崎先生は著書『喜八俳句覚書』のなかで<喜八は〝俳句的な雰囲気〟〝安易な季語〟〝他人の表現〟の俳句三悪を克服する方法として「リアルな描写」と「定型を尊重する」ことを説いている。>と述べています。特に初心者は眼で見た物を俳句に詠うことが必要なようです。
参加者34名、投句数68句、4月1日投句、4月7日選句。
響焰の創設者和知喜八先生はリアリティーの俳人と言われています。山崎先生は著書『喜八俳句覚書』のなかで<喜八は〝俳句的な雰囲気〟〝安易な季語〟〝他人の表現〟の俳句三悪を克服する方法として「リアルな描写」と「定型を尊重する」ことを説いている。>と述べています。特に初心者は眼で見た物を俳句に詠うことが必要なようです。
参加者31名、投句数62句、3月1日投句、3月7日選句。
コロナ禍がなかなか収まらない中、響焰の公式行事である同人・会員懇談会と句会が三月七日に久しぶりに開かれました。山崎名誉主宰もお元気に参加され米田主宰とともに熱心に選句をしていただきました。席上山崎先生から「俳句は詩であり、詩には矛盾したところが必要」と話されていました。 予定調和の内容であればどうしても散文的になり、人の心を打つことはできない。世界で一番短い詩である俳句は、一句の中に少し矛盾したものを含んでいる方が良い句になるとのことでした。しかし矛盾しすぎると句にならないし難しい所です。
参加者34名、投句数68句、2月1日投句、2月7日選句。
主宰の句評に「やや散文的」との言葉がありましたが、散文と韻文はどのような違いがあるのでしょうか。散文的を辞書で引くと「詩情に乏しいさま」とあります。つまり詩になっているかどうかと言うことでしょうか。山崎先生は「最近の俳句は散文化の傾向が著しい。俳句はあくまで韻文であることを、肝に銘じたい」(『シマフクロウによろしく』より)と指摘しています。
参加者35名、投句数60句、1月1日投句、1月7日選句。
あざみ精さんの訃報を知ったのは、一月七日まさにネット句会の結果を纏め参加者に送信しようとしているところでした。
あざみ精さんはネット句会の選句も特選の句評もきっちり済ませ旅立ちました。本当に俳句が好きで、会えばいつも俳句の話ばかり、長い闘病生活のなかでも常に前向きに俳句に取り組んでいました。元気であれば響焰を背負っていたであろう彼の逝去は残念でたまりません。そんな彼の姿を思い出しながら辞世となった句「沈黙か静寂か大つごもりは」を読むと万感が胸に迫ります。
謹んでご冥福をお祈りします。合掌。
参加者35名、投句数70句、12月1日投句、12月7日選句。
久しぶりに再開した東京句会の句評の中で、山崎先生は「俳句は独断と偏見でよい」と話していました。普通独断や偏見と言う言葉は、あまり良くない意味で使われますが、先生は「十七音という短い形の中で、細かく説明するのは無理。こうだと云い切ることで逆に読み手の賛成を得る。曖昧なことははっきり、はっきりしていることは曖昧にが俳句の極意」と話されていました。
参加者34名、投句数68句、11月1日投句、11月7日選句。
俳句は見えないものを見ることが必要と言われていますが、「新しい発見」とはまさに見えないものを見つけたことなのでしょう。「見たものの奥にある見えないものを書く、俳句とはつまりそういうことではないか」と山崎先生は述べています。
感性を研ぎ澄ませないと事象の奥にある真実にはなかなか到達できません。
参加者38名、投句数76句、10月1日投句、10月7日選句。
今月から特別選者として和田浩一さんに参加いただくことになりました。選者が増えることにより皆さんの俳句に良い影響が出ることと思います。
参加者37名、投句数74句、9月1日投句、9月7日選句。
省略は俳句を作る上で避けて通れない課題です。山崎先生は省略について「思いを断つ、情を述べない、不要なものを捨てる、本質だけ残す、対象から離れる、客観視する。往々にして初心者の俳句は、捨てるべきものを残し、本当に大事なものを捨てている。例えば吟行などで、見たものを全部捨て、本当に心に残ったことを少しだけ俳句にすればよい」(『シマフクロウによろしく』から抜粋)と指摘しています。
この言葉を心に刻み次回も頑張りましょう。
参加者37名、投句数74句、8月1日投句、8月7日選句。
今月の米田主宰の特選句の句評に「景が鮮やか」との言葉がありました。よく句会では「景が見える」や「景が鮮やか」と言いますが、短い表現で全体が見えると云ったことだと思います。
かつて<百日紅まひるの闇に息をして 米田規子>の句に山崎先生は「炎天下に咲く赤い花は、必ずしも華やかで美しい印象はない。茶色く樹肌を曝した枝に暗鬱な花をつける百日紅は、むしろ晩夏の頽廃の匂いさえする。〝まひるの闇に息をして〟は、そんな百日紅の咲く夏の午後の、澱んだような、それでいていのちの暗い蠢きを蔵したような状況を云って、最小限の表現で、大きな内容を伝えている。」(「響焰」平成二十八年三月号)と評していました。
「最小限の表現で大きな内容を云う」ことこそ俳句の醍醐味だと感じました。
参加者40名、投句数80句、7月1日投句、7月7日選句。
山崎先生からは「句会が無いせいか全体的に低調」と厳しい意見をいただきました。句会は自分の発表の場と同時に、選句を通して他の人から俳句を学ぶ場です。句座が無いと云うことは、それだけ感性が磨けていないということでしょうか。
何年も前の東京句会ですが、ある句を巡り山崎主宰(当時)と選句者の間で激しい意見の応酬があったことを思い出します。東京句会は作者が名乗らないこともあり、より辛辣な意見が出て、それだけに大変勉強になりました。
早く状況が改善し句会が開催できるようになることを切に願うのみです。