響焰俳句会

ふたりごころ

響焰誌より

響焰2020年4月号より


【山崎名誉主宰の俳句】縦書きはこちら→MeiyoShusai_Haiku_202004


ひたすらに     山崎 聰


いまもって秩父往還年の暮
この道をまっすぐ行けば冬の墓
ひたすらにきょうを炭焼竈として
世のおわりそのいちにちを雪降って
雪晴れのまぶしき日々のすべり台
逡巡も邂逅も冬のいちにち
就中かの日かの夜の雪の山
男には見えて遠嶺の初日影
いまも楼蘭しろじろと寒の餅
二年一月三日の朝のモーツァルト


【米田主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_202004


走り出す     米田 規子


束の間の逃亡月寒く白く
手探りのみちのり春の星小粒
如月のはや走り出す光かな
まいにちが新鮮桜冬芽の数
寡黙なる中年バレンタインの日
日溜りのまるごと春の乳母車
大いなる迷路きさらぎの空真青
その恋の思わぬほうへ風信子
百千鳥大地は眠りから覚めて
背負いたる形なきもの山笑う

 

【山崎名誉主宰の選】

<火炎集>響焔2020年1月号より

ひらがなに力ありけりねこじゃらし    石倉 夏生
今ごろは遠い音する紅葉山        森村 文子
いつの日か秋風となる言葉かな      渡辺  澄
金木犀六腑やわらかに目ざめ       山口 彩子
秋の空からんからんと年取りぬ      中村 克子
葛の風かすかに負けているような     河村 芳子
大花野一丁目から風になる        西  博子
薄原分け入ればマンモスの背       大見 充子
しんしんと夜が来ている金木犀      秋山ひろ子
晩秋に後ろ姿のありにけり        楡井 正隆

【米田主宰の選】

<火炎集>響焔2020年1月号より

八月が終わり軍手に五指の穴       和田 浩一
今ごろは遠い音する紅葉山        森村 文子
晩秋を飛んで銹びゆく翅のいろ      山口 彩子
風の数珠玉あの人もあの山も       加藤千恵子
まだ渡る長き橋あり秋の空        中村 克子
葛の風かすかに負けているような     河村 芳子
初紅葉水音蛇行して下る         西  博子
川上に川下にまた霧深し         岩佐  久
秋薔薇に半歩近づく憧れて        松村 五月
誰が咲かせた二丁目の曼珠沙華      笹尾 京子

 

<白灯対談より>

冬の饒舌西口の少女たち         北川 コト
焼芋を割れば二つの太陽だ        加賀谷秀男
冬の森辿りつけないものがたり      大竹 妙子
少年はいつも空腹寒昴          原田 峯子
眉すこし太目にかきぬ女正月       相田 勝子
坂道のちいさなうねり初御空       小林多恵子
追いかけて走って転んで冬帽子      森田 茂子
図書館の小さな時計寒の入        金子 良子
日記果つめぐる地の声天の声       辻󠄀  哲子
あの頃のように子犬と冬帽子       石谷かずよ
数え日の診察室のコンピュータ      廣川やよい
魁夷の青か蒸し焼きのブロッコリ     川口 史江
存分に風とあそんで干大根        小林 基子
春立つ日高層ビルの反射光        江口 ユキ

 

【米田主宰の編集後記】

 「俳句が上手くなるにはどうしたらいいですか?」初心のころ諸先輩に質問をしてみた。「多作多捨」「舌頭千転」「人の俳句をたくさん読む」等の答えが返ってきた。ある方は、「俳句の本を三冊読んだからって三冊分上達するわけじゃない。」と。どのご意見も「なるほど!」と思ったが、決して近道はないのだとわかった。そして今、「継続は力なり」と強く思う。好調不調の波、体調や環境などの問題を乗り越えて共に頑張りたいと願う。        (米田規子)

響焰2020年3月号より


【山崎名誉主宰の俳句】縦書きはこちら→MeiyoShusai_Haiku_202003


とおいところ     山崎 聰


夜の霧旅のおわりの一伍一什
柞紅葉越後になつかしきひとり
倫敦遠しきのうきょう霧降って
ときどきの昭和平成冬の晴れ
越後みち信濃みち柞もみじみち
霧の街道牧水も白秋も
冬山のおちこち灯りその奈落
神さまの山をおもいて雪の道
父や母や雪降っているとおいところ
誰かれのこと夜が来れば雪降れば


【米田主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_202003


ひとつ咲き     米田 規子


裸木に艶ヨコハマの海の風
冬日影西洋館に人の声
山茶花やさよならのあと碧い空
冬レモン大きく育ち締切日
クレーン車の雨に休みて阪神忌
漆黒のグランドピアノ拭き真冬
ひとの世の迷路の出口雪女郎
沈思黙考寒椿ひとつ咲き
伏し目がちにもの言う男暖炉の火
春隣コンソメスープに塩・胡椒

 

【山崎名誉主宰の選】

<火炎集>響焔2019年12月号より

波音におもさ加わる晩夏かな       栗原 節子
ぼんやりと由緒正しき秋祭り       森村 文子
いくたびも夏過ぎて東京に川       渡辺  澄
よろめいてしまえば秋風のままに     山口 彩子
彼の人も彼の月山も菊の酒        加藤千恵子
前略のように八過ぎにけり        中村 克子
五丁目の空の途中を赤とんぼ       秋山ひろ子
レコード針飛んで昭和の長き夜      石井 昭子
木犀のこぼれ散るには明るい日      松村 五月
ふるさとは日傘さしたるまほろばよ    波多野真代

【米田主宰の選】

<火炎集>響焔2019年12月号より

鶏頭の力を借りて反論す         石倉 夏生
波音におもさ加わる晩夏かな       栗原 節子
お祭りの渦の外ひゅうと風        森村 文子
公園に研屋来ている秋の昼        川嶋 悦子
彼の人も彼の月山も菊の酒        加藤千恵子
孤独よりすこし離れてブラームス     鈴 カノン
山葡萄太郎次郎を引きよせて       西  博子
五丁目の空の途中を赤とんぼ       秋山ひろ子
小さい秋みんなで二重橋渡ろ       志摩  史
望郷やいつもどこかに鉦叩        波多野真代

 

<白灯対談より>

冬日和猫と見ている隅田川        金子 良子
街中の靴音高くシクラメン        北川 コト
ふる里は明るく遠し冬の月        大竹 妙子
立冬やカラスが降りる交差点       加賀谷秀男
風呂敷の日本酒二本北颪         廣川やよい
年用意まず包丁を研ぎはじむ       相田 勝子
ポケットの底のほころび風花す      小林多恵子
生と死を越えゆく光クリスマス      辻󠄀  哲子
冬木立胸の奥まで透けてくる       川口 史江
食卓の朝刊冬の日と影と         石谷かずよ
残されてマトリョーシカの冬座敷     小林 基子
蕪村の忌歩き始めてもう日暮       原田 峯子

 

【米田主宰の編集後記】

 これまでの私の人生で、経験したことがないほど慌しい年末年始が嵐のように過ぎ去り、そのあと息継ぐ暇もなく立春を迎えた。

 この三ヵ月間、響焰の皆さんから届く俳句をお一人ずつ時間をかけて拝見した。特に会員の方々の俳句をもっと良くしたいと思い、いろいろ添削を試みた。そのことに没頭し過ぎたかもしれない。添削が成功したか否か定かではないが、俳句というポエムを通して共有できる世界があることは素晴しいと思う。        (米田規子)

響焰2020年2月号より


【山崎名誉主宰の俳句】縦書きはこちら→MeiyoShusai_Haiku_202002


ぼそと     山崎 聰


秋のやまとはるいるいとけものの眼
おおかたは別の世界の霧の中
満月のあくる日忽と逝き給う
秋もおわりかいま越の国灯る
十一月の快晴さびし山はなお
旅のおわりはあかあかとさむざむと
月山をほたほたあるき十二月
ぼそとつぶやき寒月光の真下
柱状節理鈴振って雪の中
山に雪おじいおばあら息災か


【米田主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_202002


えんぴつと紙     米田 規子


とっくりのセーター追い風向かい風
黒いかたまり東京の冬の雨
ちちとはは白山茶花の明るさに
ハードルの二つ三つ四つ紅葉山
えんぴつと紙月の光の二十五時
静寂から音楽生まれ冬木の芽
いちにちを使い切ったり聖樹の灯
へろへろと一人三役実千両
おさなごに笑窪がふたつ春隣
ベッドに沈みまなうらの冬銀河

 

【山崎名誉主宰の選】

<火炎集>響焔2019年11月号より

夕端居ひとりは死者の匂いして      渡辺  澄
何せんか立秋ついと現れて        山口 彩子
万緑のかたまりとして男体山       川嶋 悦子
花びらの風のいちまいアイヤ節      鈴 カノン
うつらうつらと蟬くる前の大欅      中村 克子
而して土用丑の日予約席         西  博子
もて余す細長いしっぽ残暑かな      亀谷千鶴子
奥千の星の流れは背泳ぎか        山口美恵子
ライオンの檻に風吹き夏休み       志摩  史
八月や海底のぞき見るような       波多野真代

【米田主宰の選】

<火炎集>響焔2019年11月号より

蜘蛛降りて来る薄明の現世かな      石倉 夏生
波高し少年たちの夏おわる        栗原 節子
虫籠はいまも空っぽ夏休み        渡辺  澄
楽園を追われてよりの蛇嫌い       川嶋 悦子
青野原人の暮しのはるばると       加藤千恵子
晩夏光父の帽子が遠ざかる        中村 克子
梅雨あがるモーツァルトの曲にのせ    紀の﨑 茜
空蟬と果実の匂い夕ごころ        秋山ひろ子
炎天のまんなかを行くジャコメッティ   小林マリ子
旅のまほろばコウノトリ夏山河      波多野真代

 

<白灯対談より>

錦秋やちちはは姉といもうとも      大竹 妙子
晩秋の風追いかけて曲り角        北川 コト
青空に番いの蜻蛉行き止まり       加賀谷秀男
始まりは銀杏黄葉の交差点        小林 基子
貼り足してうさぎの切手十三夜      相田 勝子
紅葉晴れ長い手脚がポチ連れて      川口 史江
やわらかい光に満ちて秋の海       江口 ユキ
短日の搭乗口で別れけり         廣川やよい
味噌蔵の影ながながと秋の声       田口 順子
冬将軍天馬の蹄ひびかせて        小澤 裕子
草の絮われ追い越して犬の消ゆ      石谷かずよ

 

 

【米田主宰の編集後記】

 俳句には、絶対にこれが正解というものがない。そこが一番悩ましいところで、作句も選句もあれこれ迷い考えを巡らせたのち、ようやく〝これだ!〟と自分なりの納得に辿り着く。句会では実に様々な個性に出会い、驚いたり共鳴したりしながら、お互いの俳句を鑑賞している。考えてみれば、大変贅沢な時間を共に楽しんでいるのだ。真剣な大人の遊びと言えようか。だから俳句は競争ではなく、まず自分の個性を磨くことが大切と思う。   (米田規子)

響焰2020年1月号より


【山崎名誉主宰の俳句】縦書きはこちら→MeiyoShusai_Haiku_202001


そして     山崎 聰


月の夜の理科教室の人体図
十月はうすむらさきの樹々の影
やまとまほろば詩に遠く炭を焼く
釣瓶落しとりのこされて二三人
秋空はいまも青空父母祖父母
柱状節理人といて秋のなか
谿もみじそして神さまほとけさま
木の実落つえちごの里のまくらがり
偶数も奇数もなくて峡の秋
そぞろ寒象形文字のように寝て


【米田主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_202001


吾亦紅     米田 規子


降り立ちてすっぽりと秋山迫る
音立てて歳月が逝き吾亦紅
せつせつと手紙から声星月夜
もう一人の私のうしろ鵙猛る
冬に入る大きな力はたらいて
年月の匂いの書棚木の実落つ
ふるさとに古いトンネル雁来紅
文化の日磨けば光る鍋の底
ありがとう枝付き葉付き柿の艶
十一月の空気のように父と母

 

【山崎名誉主宰の選】

<火炎集>響焔2019年10月号より

白塗りの檻に白熊油照り         石倉 夏生
浜昼顔このさびしさを描けという     森村 文子
蛍にはほうたるの闇赤い月        山口 彩子
夏蝶の曳いてくるなり三輪車       加藤千恵子
モノクロの夢からさめて沖膾       鈴 カノン
沈黙の蠢いている炎天下         中村 克子
揚げ花火左小指を握られて        山口美恵子
とんぶりが弾け故郷立ちあがる      大見 充子
六月の月東京の暗がりに         松村 五月
さりながら門司下関夏の海        波多野真代

【米田主宰の選】

<火炎集>響焔2019年10月号より

梅雨夕焼己を閉ざす鍵の音        和田 浩一
不敵なり甚平を着て五歳         栗原 節子
耳奥の音とこしなえ星祭         森村 文子
大夕焼けむりのように遺さ        加藤千恵子
沈黙の蠢いている炎天下         中村 克子
あしたへの点と点々木葉木菟       河村 芳子
蛇口まで夏が来ている午前五時      亀谷千鶴子
追憶の一番奥の蛇いちご         大見 充子
ソーダ水泡のむこうの夜と昼       石井 昭子
六月の月東京の暗がりに         松村 五月     

 

<白灯対談より>

うらおもてなく十月の空自由       北川 コト
あんなふうにあのころあきのゆうぐれ   大竹 妙子
さみしさは生まれた時から零余子飯    小林 基子
桃太郎金太郎いて大花野         田口 順子
野の花のおおきな秋を抱きけり      小林多恵子
菊日和めがね屋の説く改憲論       相田 勝子
有明月に話そうか逃げようか       加賀谷秀男
三山の秋ふっくらと塩むすび       廣川やよい
人生の節目ふしめの菊の花        川口 史江
野仏の深きほほえみ秋闌ける       江口 ユキ
どっしりと埴輪の女神豊の秋       金子 良子
山葡萄そろそろ鳥の騒ぐころ       石谷かずよ

 

 

【米田主宰の編集後記】

 ようやく令和2年響焰1月号ができ上り、響焰の灯をなんとか繋ぐことができたと安堵している。新体制の響焰の船出には多くの困難が待ち受けていると思うが、いろいろな方々の知恵と力を結集して乗り越えたい。

 俳句という五・七・五の世界に魅了された我ら、毎月投句される作品から一人ひとりの熱い思いや心の叫びなどが感じられる。これからも大いに俳句を楽しむと同時に、真摯に研鑽を積んで俳句に磨きをかけたい。         (米田規子)

響焰2019年12月号より


【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201912


秋 へ     山崎 聰


光るなり八月ゆめもまぼろしも
平穏無事か原爆の日はとうに過ぎて
野のほとけ山のほとけも夕焼けて
みずうみはるかかくしてわれら秋へ
十三夜たとえばユーフラテスあたり
いわし雲東京駅にあの二人
蛇笏の忌コスモス揺れるばかりにて
上州のまっすぐな道木の榠樝
すこしだけ秋のにおいも雨のあと
やや寒く大東京のいしだたみ

 

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2019年9月号より

やわらかな色から吹かれ森五月      栗原 節子
めらめらと新樹新樹のため匂う      森村 文子
竹皮を脱ぐためらいのひと処       山口 彩子
夏の雲たとえば夢の容して        加藤千恵子
天に水たっぷりとある植田かな      中村 克子
令和元年六月のみずたまり        青木 秀夫
帰去来の上野駅から青嵐         あざみ 精
月へ堕ちたし青水無月の睡夢       大見 充子
ぼんやりと生きて青水無月のなか     蓮尾 碩才
水無月やものみな音を消していて     波多野真代

 

<白灯対談より>

露天湯に牛の話も豊の秋         小林多恵子
走り来て明かりの中へ夜学生       廣川やよい
傷口はたとえば一切れの檸檬       北川 コト
永遠のきずな男郎花女郎花        川口 史江
複雑な人間模様クレマチス        森田 茂子
台風の端に吹かれて日が暮れて      江口 ユキ
何事のなき一日の零余子飯        相田 勝子
曖昧をすべて振り切り望の月       小林 基子
八月尽あんな日こんな日浮遊して     大竹 妙子
台風が去って島唄島言葉         田口 順子
階段の窓が明るい十三夜         小澤 裕子
秋の雲昭和平成追いかけて        石谷かずよ

 

 

【山崎主宰の編集後記】

 繰り返して云うが、俳句に正解はない。なんでもありの世界、正解は自分が作るものなのだ。

 だから、俳句は教わったり、習ったりするものではない。人間の感動は教えたり習ったりできないのだから。

 俳句は自得するもの。もっと云えば盗むものなのだ。

 このことだけは、しっかりと胸に刻み込んでおいて欲しい。         (山崎)

響焰2019年11月号より


【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201911


人のうしろ     山崎 聰


かの記憶薄れ緑陰の二三人
あと一歩あともう一歩ほととぎす
菩提樹黄花イスラムは遠い町
夏鳥の赤いくちばし世は令和
川開き米寿のひとといて無口
山も野も真っ赤になって熱帯夜
屈葬を思いかの日のあぶらぜみ
その男バベルの塔の暑い窓
やがてくるいのちのおわり赤とんぼ
月の砂漠をはるばると人のうしろ

 

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2019年8月号より

有耶無耶に始まり五月葬の列       栗原 節子
木の芽雨アンデルセン童話の中へ     森村 文子
朦朧と五月始まり風の音         米田 規子
舟でゆく泰山木の花の下         加藤千恵子
いくばくの否定もありて花山査子     河村 芳子
国道にばたばたと旗立夏なり       岩佐  久
花水木青年紺の背広着て         秋山ひろ子
五月雨はなべて鈍色うしろから      大見 充子
ただその人のためにだけ桐の花      笹尾 京子
新しい笑顔のように五月来る       波多野真代

 

<白灯対談より>

友情はコスモスの風ゆるやかに      川口 史江
塊の近づいてくる祭りかな        小林多恵子
もう戻れないビーチパラソルと空と    北川 コト
秋はじめ昔ながらのベーカリー      廣川やよい
もうこれまでか起きあがれ蟬よ蟬     中野 充子
坂の上の空の青さに夏館         石谷かずよ
胸突坂上り百八十度夏野         森田 茂子
きりぎりすいくさばなしをすこしだけ   大竹 妙子
渾身のにいにい蟬に七日過ぐ       相田 勝子
夕暮れの谷中へび道藍浴衣        田口 順子
外つ国の古城ホテルに青い月       江口 ユキ
戦前を垣間見るよう夏の霧        辻󠄀  哲子

 

【山崎主宰の編集後記】

 「下手上手は気にするな。上手でも死んでいる画がある。下手でも生きている画がある」と云ったのは、画家の中川一政だったか。

 世阿弥も「上手は下手の手本なり。下手は上手の手本なり」と云っている。通底するものは同じだろう。

 俳句も同じことが云えるのではないか。うまいなあと思うが感動しない俳句。決してうまくはないのだが、何か心に訴えてくる俳句。つまり俳句も、かたちではなく、こころだということか。         (山崎)

響焰2019年10月号より


【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201910


幸子(ゆきこ)     山崎 聰


ねむ咲いて一切は遠いまぼろし
夜がきてやや青白い夏野菜
七月七日だれもいないから雨降る
楼蘭も火星も砂漠ポーチュラカ
地底から軍歌が湧いて日本の夏
熱帯夜神さまあつまって小声
ヒロシマの日のあくる日の幸子の忌
神ほとけどこにもいない日の八月
蟬の木にもっとも近く次男の木
平和がいちばん夏鳥の赤いくちばし

 

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2019年7月号より

逃水と一緒にY字路を右へ        石倉 夏生
東京のさくら胸騒ぎのように       森村 文子
蛇穴を出て鎌倉を迷いけり        加藤千恵子
連翹の中は哲学混み合えり        中村 克子
ひらがなで呼ばれたようで月おぼろ    西  博子
手足あしくびつらつらと四月馬鹿     青木 秀夫
月面に蝶来て止まる夢の奥        大見 充子
春しぐれ荒海すでに遠い景        楡井 正隆
花のあと残されたものみな独り      笹尾 京子
でこぼこの石とクレーン春の雨      波多野真代

 

<白灯対談より>

南国の人を恋いいて月涼し        廣川やよい
毒は魅力にエンジェルストランペット   川口 史江
自販機と並び夕焼みておりぬ       小林多恵子
晒されようか胸底を日の盛り       北川 コト
さくらんぼ愛嬌なんてめんどうな     大竹 妙子
純粋は風の青柿青かりん         相田 勝子
ねじればなねじれねじれて素直なり    江口 ユキ
茅花流し女三人東京へ          金子 良子
手も足もしっぽも伸びて猫の夏      田口 順子
八月はすべて青空無口なり        小林 基子
令和元年おだやかにおだやかに      笹本 陽子
ほたる袋せせらぎ近き山の駅       小澤 裕子

 

【山崎主宰の編集後記】

 「スコトーマ」という言葉がある。ギリシャ語で”心理的盲点”とか呼ばれているが、物理的には視界に入っているはずだが、実際には意識されていない、というようなことらしい。

 ローマの武将カエサルが云った”人はすべてが見えているわけではない。自分が見たいと思うものしか見ていない”と同じことか。

 俳句は云ってみればスコトーマのかたまり。独断と偏見の集大成である。噛み砕いて云えば”思い込み”である。ただ一点、読者の共感を得られるかどうか。そこに掛かっている。         (山崎)

響焰2019年9月号より


【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201909


銃口     山崎 聰


約束のように雨降りさくらんぼ
もうすこし先へ色なき風のなか
金平糖の色がこぼれて青葉騒
八十八夜立ち上がるときふいにこえ
六月のちょうどよい距離おみなたち
鎌足も孔子も真顔ひきがえる
夏の夜のかるいあそびとしてふたり
銃口がこっちを向いてああ夏野
怒っているよ夏雲の海坊主
神さまのささやき合っている良夜

 

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2019年6月号より

少年と蛇に愛されている巣箱       森村 文子
逃げ水を追いてつまづく人との距離    山口 彩子
蕪蒸し男は山を降り来たり        鈴 カノン
女三人どっぷりと陽炎の中        中村 克子
三月の旧街道のけものたち        岩佐  久
小さき春しっぽなでれば脚が出て     青木 秀夫
胸底に火を置くように芋植える      戸田富美子
おみなごにふところがたなつくしんぼ   鈴木 瑩子
春二番角を曲がれば三省堂        松村 五月
筋力のゆるむ音する二月かな       森田 茂子

 

<白灯対談より>

十五歳空に放ちてラムネ玉        小林多恵子
ポストから昭和が見えて柿若葉      川口 史江
新緑が飛び込んでくる武蔵野線      廣川やよい
青嵐ポプラの下までつれていって     北川 コト
絵日記の空を泳いで金魚の子       相田 勝子
雨風の梅雨のいちにち過去と居り     江口 ユキ
ボート漕ぐ空と海との境まで       田口 順子
十四歳あとは青空運動会         金子 良子
六月の海青くして誕生日         大竹 妙子
トカトントン胸底疼く桜桃忌       小林 基子
美しき声と薫風アベマリア        笹本 陽子

 

【山崎主宰の編集後記】

 句会で主宰に採られたから、とそのまま投句したら没になった、どうしてか、という話をよく聞く。句会での選はあくまで相対選、つまりその場の句の中から定められた数の句を選ぶ。それに対して毎月の雑誌の投句は絶対選、つまりその句が本当に良い句かどうかの観点から選ぶ。選句の基準が違うのである。/span>

 句会は云ってみれば練習の場。毎月の投句は真剣勝負の場。句会で評判がよかったからとそのままにせず、もう一度推敲した上で投句することが望ましい。心したい。       (山崎)

響焰2019年8月号より


【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201908


退屈か     山崎 聰


このあたり関口二丁目鯉のぼり
もうすこしゆっくり歩こう青い初夏
能因のみちのく青田また青田
ふと夏野立ち止まったり迷ったり
夏雲の下くるりくるりと膝小僧
彼いまも無垢でありしか夏祭
わらわらとグラジオラスの昼休み
バビロンは熱砂のむこう紛るるな
炎日を矍鑠といて退屈か
男らの真上夏雲さあどうする

 

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2019年5月号より

信濃路に春が来て先生の家        渡辺  澄
平等に二十四時間葱坊主         米田 規子
寒の底ザインとしての黒いピアノ     川嶋 悦子
バビロンの塔か風花舞うあたり      加藤千恵子
たっぷりと大根を煮るおばあさん     鈴 カノン
分からぬは分からぬままに一月尽     紀の﨑 茜
冴え返る三面鏡の右左          西  博子
少年と夏目漱石冬の駅          岩崎 令子
冴え返る胸突八丁の奈落         青木 秀夫
三椏の花のかげりに忸怩たる       あざみ 精

 

<白灯対談より>

身ほとりのみどりの濃さも立夏かな    江口 ユキ
嗚呼おうとただ嗚呼おうと聖五月     小林多恵子
純情で一所懸命春の馬          廣川やよい
胡蝶蘭かかえ友くる令和くる       川口 史江
多摩川の奥のつり著莪の花        森田 茂子
子供の日みんな集まりみな笑う      金子 良子
八十八夜きれいな嘘が生まれけり     大竹 妙子
特急あずさ二号で甲斐へ梅雨あがる    北川 コト
明日はきっと空へ飛び立つスイートピー  相田 勝子
メトロより黒衣の女性巴里祭       田口 順子
空晴れて罪の数ほど罌粟坊主       加賀谷秀男
平成の香りとこしえ桜咲く        笹本 陽子

 

【山崎主宰の編集後記】

 ”俳諧は俗語を用ひて俗を離るるを尚ぶ”は芭蕉の至言。現代の言葉で云えば、日常に目配りしながら日常を離れる、ということになろうか。もっと具体的に云うと、日常の中にどっぷりとつかって生活しながら、そんな日常を振り捨てたところに詩を見付ける、ということだろう。/span>

 眼前の事実をしっかり見て、そこからどう離れて俳句にするか、俳句の要諦はそのへんにあるのかもしれない。       (山崎)

響焰2019年7月号より


【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201907


バチカン     山崎 聰


さくらほろほろかの世もこの世もなく
春昼のひとりっきりの鼻の先
バチカンの薄暗いところから蝶
あつまって笑って別れ著莪の花
きのうと同じいちにちが過ぎみなみかぜ
八十八のわれも男の子ぞ鯉のぼり
さりながら五月五日の晩ごはん
東京でいちにち遊びさくらんぼ
はつなつのすこし弛んだぼんのくぼ
こんな日もたまにはいいかほとほぎす

 

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2019年4月号より

夢の入口だれもいないから今年      森村 文子
女正月コトリと猫の居る気配       加藤千恵子
年の暮れあいつがしんねり墓みがく    鈴 カノン
なぜ海鼠わからないのが面白い      紀の﨑 茜
静かなる箸置きと立春の卵        伊達 甲女
加齢とはふわりと被る冬帽子       亀谷千鶴子
消えてゆくいろ十二月八日の雨      青木 秀夫
網走は風が泣く町紅椿          楡井 正隆
大寒や深海は羅生門めきて        蓮尾 碩才
はじまりは寒の鮃のうらおもて      塩野  薫

 

<白灯対談より>

春たけなわ赤灯台と白灯台        小林多恵子
われもまた硬派曇天の花こぶし      北川 コト
ふりむけば神護寺あたり花の雨      廣川やよい
花種を蒔くもうすこし生きるため     川口 史江
起立礼すすめ蛙の目借時         大竹 妙子
年々の桜年々の父母の声         相田 勝子
花咲くときも舞うときも渦の底      大森 麗子
山を恋い桃の花恋いわらべ唄       中野 充子
青空の青を確かめ花辛夷         金子 良子
体内の発芽はじまり弥生尽        森田 茂子
訃報来る三月の空傾いて         江口 ユキ
花花花楽しく遊び疲れけり        笹本 陽子

 

【山崎主宰の編集後記】

 事実と真実は違う。事実は云ってみれば眼に見えたもの、実際に体験したこと、つまり現象である。これに対して真実は、現在の事実のもっと先、もっと奥にあるもの、つまり本質である。

 だから事実をいくら積み重ねても真実にはならない。本質は眼で見るものでなく、心で感ずるものだから。

 俳句は窮極的には真実を書くものである。だから常に心を砥ぎ澄まして現実の奥にあるものを見ようとしていないと真実は書けない。       (山崎)

響焰2019年6月号より


【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201906


ああ加齢     山崎 聰


三月さくら暗き四月の長廊下
春の夜の人体模型ああ加齢
能因の千年ざくら朝日影
長生きの馬といて春のゆうぐれ
こどもたちとりわけあたたかい夜は
蝶縺れみちのくはいま光のなか
東京に戻ってからの春の景
虚も実も修羅もさくらの渦の中
みほとけの顔(かんばせ)おもい干鰈
四月尽斯く斯くわれら蝟集して

 

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2019年3月号より

水葬の海はくれない十二月        和田 浩一
ポケットの深いところで再会す      森村 文子
くれないの思わぬ昏さクリスマス     加藤千恵子
毎日が喜怒哀楽でひなたぼこ       紀の﨑 茜
風が鳴りごつんと冬の低気圧       伊達 甲女
遠き日のいっさいは冬の足音       青木 秀夫
鯖缶を選んでおりぬ冬の暮        山口美恵子
雪催い柱のうしろからあいつ       あざみ 精
ぼんやりと表玄関片しぐれ        楡井 正隆
極月や船から岸へ男跳ぶ         塩野  薫

 

<白灯対談より>

不器用できまじめな亀春疾風       廣川やよい
落語家と猫とベーコン風光る       川口 史江
春満月あそび疲れた子のように      小林多恵子
画用紙に二十二色の春休み        北川 コト
別れては会い木の芽風木の芽雨      相田 勝子
桜まじ通りに移動販売車         田口 順子
逢いたさは春満月の橋の詰        大森 麗子
叶うべき夢みているか白椿        大竹 妙子
万愚節異国の人ら闊歩して        江口 ユキ
ばあちゃんに言い分ありて春一番     平尾 敦子
木の芽和隣に空気のような人       金子 良子
いつ見ても嬉しい気持ち雛まつり     笹本 陽子

 

【山崎主宰の編集後記】

 俳句は自宅の机の上で作るもの、との思いは今もって変わっていない。いわゆる吟行や野外、旅行での見聞はもちろんだいじだが、それはあくまでも俳句の単なるきっかけに過ぎない。そのあとの自宅の机での作業がもっとだいじなのだ。

 俳句は、見たもの触れたものをきっかけにした、作者の全人生体験、人生観、世界観の総集編、と云っては云い過ぎだろうか。

 吟行などの俳句が評判よかったからとそのままにせず、帰ってからの後処理にエネルギーを注ぎたい。本物の俳句を残すために。       (山崎)

響焰2019年5月号より


【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201905


草加越谷     山崎 聰


望郷は春のはじめのわらべ唄
春眠のところどころの海の景
きっかけは春の小径をもうすこし
春塵の草加越谷みちのくへ
呼ばれたようでふりむく花の昼
春北風亀の甲羅の二つ三つ
永き日をことりと座り夢の中
竹林の雉子(きぎす)が鳴いて一軒家
春眠のつづきのように阿弥陀さま
石投げて石に当りぬ暮の春

 

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2019年2月号より

コスモスの薄青い部屋ゆめのゆめ     森村 文子
日の暮は風の底見え石蕗の花       山口 彩子
かりそめのものを並べて酉の市      川嶋 悦子
人間を長く伸ばして襤褸市に       鈴 カノン
星ひとつ空の余白へ時のそとへ      紀の﨑 茜
十月の放物線に安房の海         小川トシ子
照ったり曇ったり雪囲いしていたり    秋山ひろ子
石段に花束冬の三四郎          楡井 正隆
やや傾ぎ十一月は舟のよう        松村 五月
さざんか散りさらわれてゆく白い町    波多野真代

 

<白灯対談より>

春二番エルム通りの和菓子店       川口 史江
立春のきのうとちがう色の影       小林多恵子
わたくしの場所お日様とたんぽぽと    北川 コト
きさらぎのそこだけ赤い演芸館      廣川やよい
ふゆざくら夢から覚めて夢の中      相田 勝子
やさしい色のドロップの缶阪神忌     金子 良子
葉ボタンの奥のむらさき夕明かり     大森 麗子
ひんやりとちいさなくらし二月尽     大竹 妙子
おだやかに一日が過ぎ石蕗の花      江口 ユキ
梅日和明日を探して世界地図       田口 順子
この地球自転ゆっくり初日の出      辻󠄀  哲子
北窓ひらく仲良しの鳥来ておれば     笹本 陽子

 

 

【山崎主宰の編集後記】

 先年亡くなった落語家の立川談志が、生前<人間の業の肯定を前提とした一人芸が落語だ>と云っていたが、これはまさに私達の俳句にも当てはまることではないか。

 業とはつまり人間の根源的な宿命、ということだろうから、俳句もまた人間の宿命を受け入れた上で、その在り様を書く一人芸にほかならない。

 そう思うと、この広い宇宙に我一人立つ、との思いはいよいよ深くなる。       (山崎)

響焰2019年4月号より


【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201904


なあみんな     山崎 聰


石段を十段あまり寒北斗
童心のひとつこぼるるぼたん雪
鈍色の空を残して雁帰る
春一番ニューヨークから女客
戦争をしばらく知らず影朧
対岸のまひるの景として雲雀
三鬼の忌とりわけ赤いひとところ
くっきりと昭和平成春の濤
列島の暮れ泥みたる春の景
春だからのんびり行こうぜなあみんな

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2019年1月号より

木の瘤が瘤の夢見る月夜かな       石倉 夏生
お日さまとクリームパンと茨の実     森村 文子
秋の夜ひたひたと黒人霊歌        川嶋 悦子
戦争の曖昧模糊と死者の数        鈴 カノン
えそらごとまことまぼろし芒原      岩崎 令子
渋柿といえど八十路のふくらはぎ     青木 秀夫
まんじゅしゃげ後ろ姿を見たような    秋山ひろ子
あの日からさらわれたままいわし雲    笹尾 京子
丸善に何を置こうか十月は        松村 五月
堕天使のラッパとどろき野分あと     波多野真代

 

<白灯対談より>

実南天闇に華やぐ生活かな        川口 史江
電柱が正しくならび冬満月        小林多恵子
咲いてもひとり白椿紅椿         北川 コト
蠟梅の神田川から明けはじむ       廣川やよい
駅ひとつ乗りこして見る冬の月      中野 充子
人と人こんがらがって氷柱かな      金子 良子
去年今年あなたの海はまた深く      大竹 妙子
凍蝶のかすかな光残し逝く        相田 勝子
一発逆転あかあかと大旦         小林 基子
新潟の人から届く寒見舞         江口 ユキ
宇宙から素粒子の声山眠る        田口 順子
福笑い年齢自由自在なり         笹本 陽子

 

 

【山崎主宰の編集後記】

 俳句は、製作(作句)一割、推敲九割と心得ている。製作はいってみれば思い付き、つまりきっかけである。それに肉付けをしていのちを吹き込むことで、俳句というかたちに仕上げるのが推敲である。だから推敲に時間を掛けるほど、その俳句は単純化、明確化されてシャープになる。九割はそのためのエネルギーである。推敲九割を心掛けたい。       (山崎)

響焰2019年3月号より


【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201903


紙鳶     山崎 聰


霜の朝晩節戛々と通る
ほのあかきものいくつか冬至粥
十二月砂噛む心地して夜明け
早起きの子供に朝日紙鳶(いかのぼり)
あるときは熱い涙を雪おんな
人の日をなよなよあるき黄粉餅
さりながら越中八尾雪のなか
反骨のいまだくすぶりどんど焼
死者に光をやまなみるいるいと凍る
自転車が農道を行くおとなの日

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2018年12月号より

九月の雨うしろ向くとき老いにけり    栗原 節子
絵の中に転がっている夏の果       森村 文子
吉野葛おのずから百人一首        鈴 カノン
一切をおおきな袋風は秋         河村 芳子
二百十日蜜たっぷりの白い壺       小川トシ子
野分あと自問自答して一人        山口美恵子
二十年先にもあるだろう良夜       愛甲 知子
曼珠沙華やはりおまえは赤で咲け     笹尾 京子
就中白い小指の晩夏かな         蓮尾 碩才
真夜の月意味なく好きなことをして    波多野真代

 

<白灯対談より>

あしおとが揃う日十二月八日       北川 コト
海を恋い人を恋いいて冬の川       小林多恵子
不器用な鋸の音街小春          平尾 敦子
出口から人吐き出され十二月       廣川やよい
街中に赤あふれきて十二月        川口 史江
カピバラのはみ出している小春かな    大竹 妙子
冬田中一番電車来て止まる        相田 勝子
晩節や別れの先の枯木星         江口 ユキ
そうはいってもしかしやっぱりおでん鍋  田口 順子
小春かな外人墓地のマリアさま      金子 良子
椿落つ胸に穴あく音のして        土田美穂子
冬薔薇ただ泣いているだけなのに     加賀谷秀男
天高く人間ひと日ふくらみぬ       小澤 裕子
誉め言葉うれしく貰い年終る       笹本 陽子

 

 

【山崎主宰の編集後記】

 事柄を書くのが俳句だと思っていないだろうか。事柄つまり物語は、いくら書いてもそのままでは詩にはなり得ない。俳句はもともとストーリーテリングには馴染まないのだ。

 要するに、俳句は意味などどうでもいいのであって、意味はわかるが詩がわからないというのでは俳句とはいえない。句会などで、だからどうなの、と問うのは、意味事柄はわかるがその先の詩が見えない、どういう詩が云えているのか、と問うているのである。。

 俳句は本来意味を云う詩では断じてない。肝に銘じて欲しい。       (山崎)

響焰2019年2月号より


【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201902


ぬう と すう    山崎 聰


螻蛄鳴いて一伍一什は風の中
落城の翌日のよう崩れ簗
病院の十一月の長廊下
黄落は風神さまの出来ごころ
ぬうと来てすうと帰りぬ神の留守
東京にはじめての雪男の子
十二月八日のあとの朝の景
泥土なおかくのごとくに年暮るる
三丁目交差点前雪だるま
谷中千駄木遊んで遊んで年おわる

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2018年11月号より

一粒の時間かがやき滴れり        石倉 夏生
痛みとも凝視とも炎天の道        森村 文子
来ぬ人を待つ八月の人さし指       渡辺  澄
炎昼の蕎麦屋喪服の二三人        川嶋 悦子
八月七日立秋の文字ふと目にす      長沼 直子
どこをどうこの炎天の江東区       加藤千恵子
木の家に木の風通る立夏かな       中村 克子
あれやこれそれでも築地油照り      青木 秀夫
葵散るそういうものと気にもせず     愛甲 知子
蛍飛ぶ過去も未来も思わぬが       波多野真代

 

<白灯対談より>

善人の顔で歩いて酉の市         金子 良子
ひとりずつ家に戻りて良夜かな      小林多恵子
回りみち裏道小径銀木犀         川口 史江
暖冬やふるさとすこし遠のいて      江口 ユキ
さびしらは壁にはりつく天道虫      中野 充子
ふるさとの訛飛び交い冬の駅       廣川やよい
体の中を木漏れ日の十二月        北川 コト
ぼんやりわかれてえのころのはらっぱ   大竹 妙子
昨日とは違うかたちの冬三日月      大森 麗子
筑波山青を深めて冬立つ日        田口 順子
限界集落小粒柿を背におとこ       土田美穂子
木枯一号遠景に富士その他        相田 勝子
胸の奥真っ赤な花の秋と会う       笹本 陽子
冬ざれの哲学の道山頭火         辻󠄀  哲子

 

【山崎主宰の編集後記】

 ”俺たちはね、歌を聴いた人が自分のなかでストーリーを紡いでいく、そのきっかけ作りをするだけなんだよ”と、これはある作詞家の言葉である。

 私たちの俳句でも同じようなことが云えるのではないか。作者は詩のきっかけだけを示す。あとは読者に任せる。作者が全部云ってしまっては、読者は何もすることがない。

 作者はできるだけ言葉を惜しみ、読者の想像する場を広げる。ひとことで云えばそういうことであろう。          (山崎)

響焰2019年1月号より


【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201901


四響 志津子    山崎 聰


ある夜加齢森のはずれのお月さま
馬や人やぼんやりと秋過ぎてゆき
ふたりさびし三人の秋なおさびし
秋雨の草加越谷誰か過ぐ
鯛焼にたっぷりの餡喜八の忌
十二月八日ふたりで鬼ごっこ
あかあかと街の灯わが灯冬至粥
石段の先に冬星つと奈落
うみやまは冬のかたちを四響志津子
立ちあがり立ちどまり冬の夕焼

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2018年10月号より

三時には赤い蟹来る夏休み        森村 文子
こんなところに八月の非常口       加藤千恵子
鳶尾や父の背なかを見ておれば      鈴 カノン
神父来る向日葵畑のむこうから      岩崎 令子
七月の格別な朝赤ん坊          小川トシ子
ひまわりの一番きれいな日の自画像    愛甲 知子
加速して緑の中へ夏休み         鈴木 瑩子
誘われてほたるぶくろの暗がりに     あざみ 精
自販機のひとかたまりの暑さかな     大見 充子
迷いなく当然の白夏椿          笹尾 京子

<白灯対談より>

頑張った褒美のような秋の空       小林多恵子
瓦斯灯のほのおの揺らぎ冬に入る     廣川やよい
おとうとを泣かせうしろの苅田風     北川 コト
秋うらら小人ぞろぞろ丘越えて      大竹 妙子
遠く来て風とコスモス買いにけり     波多野真代
星月夜弱者貧者のへだてなく       川口 史江
秋高く人馬一体風のなか         中野 充子
ザクザクと妖怪の列山粧う        金子 良子
雲という雲引き連れて台風来       相田 勝子
地球儀に秋の海原みな遠く        笹本 陽子
野分あと軍手長靴竹箒          原田 峯子
長き夜やもやしのひげと猫の髭      田口 順子
お日さまに一番近い木守柿        加賀谷秀男
菊人形日毎たましい宿りゆく       浅見 幸子

 

【山崎主宰の編集後記】

 ノルウェーの画家エドヴァルド・ムンクは”私は見えるものを描いているのではない。見たものを描いているのだ”と云っている。”見えるもの”と”見たもの”は、言葉は似ているが意味するものは全く違う。つまり”作者の意志”ということである。

 ローマの武将ユリウス・カエサルの云う”人は見たいと思うものしか見ていない”と通底するものであろう。

 このことは俳句についても云えるのではないか。漠然と視野に入ってくるもの、つまり見えたものでなく、作者が意志を持って見たもの、それを書くのが詩であろう。          (山崎)

響焰2018年12月号より


【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201812


寧楽    山崎 聰


王朝の寧楽(なら)をおもえばほととぎす
炎日の柩を置くに水の下
その一本を赤い花アマリリス
遠い日はとおくなんばんぎせるかな
ゆっくりと下りて秋に追いつきぬ
諧謔のさいごのさいご秋の風
すこしだけやさしくなって秋の夕暮
あと一歩オリオン見えるところまで
秋の野赤く大きい子小さい子
十月の俺と尻尾と神楽坂

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2018年9月号より

はつなつや墨の滲みの吉野紙       栗原 節子
月下美人もうひとつの闇ひらく      森村 文子
六月のいちにち長し象の皺        米田 規子
暗澹の方へ曲がりて蝸牛         中村 克子
たれかれがいる逃水の向こうがわ     西  博子
まなこさまよい六月のみずたまり     青木 秀夫
沸点にとどく泰山木の花         愛甲 知子
戦争と平和かたつむり生きている     高橋登仕子
片隅に風のあつまる余り苗        土屋 光子
そら豆の不思議な顔の不愛想       石井 昭子

<白灯対談より>

何もないいつもの暮し良夜かな      廣川やよい
何はともあれ窓をふく野分あと      中野 充子
真実のいろ深くして白薔薇        大森 麗子
ゆったりと八月のみんなの地球      森田 成子
覚悟をすれば気楽なり二十三夜      波多野真代
主なき書斎にとどき稲光         川口 史江
十三夜かすかにまるい辞書の肩      小林多恵子
一粒の狂気大皿のマスカット       北川 コト
花ダチュラよみがえりよびもどすころ   大竹 妙子
青蜜柑やさしくされて寂しかり      相田 勝子
遠くから音が運ばれ運動会        江口 ユキ
秋夕焼故郷のいま山頭火         土田美穂子
秋初め天使の羽根のように雲       小澤 裕子
冬瓜の途方に暮れたるすがたかな     田口 順子
オペラ座の秋を思いてねむりけり     笹本 陽子
峡も秋小母さんと犬振り返る       加賀谷秀男

 

【山崎主宰の編集後記】

 俳句は、見たもの、つまり眼前の事実をどう書くかではなく、眼前の事実からどう離れるか、なのではないか。

 古来、写生の名句として人口に膾炙している俳句も、一見眼前の事実を書いているようで、実は事実の奥にある真実を書いているから名句なのだ。

 事実を確かめたら、あとはその事実から離れる、それができなければ本物の俳句は書けまい。虚実皮膜とはそういうことであろう。       (山崎)

響焰2018年11月号より


【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201811


嗚呼    山崎 聰


結界は新樹の森の二つ星
半夏雨たしかなるものなにもなく
北極星北斗七星川開き
六日九日それからの旱星
熱帯夜遠いものから見えはじむ
炎日に翳も七十五歳嗚呼
終戦忌大東京に熱い風
獣骨のごときを踏めり月の夜
これからのひとりとひとり実山椒
九月の蚊ここが踏んばりどころなり

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2018年8月号より

半透明かつ透明に立夏かな        森村 文子
金魚玉とんと遠くにぽるとがる      加藤千恵子
忘却を集めておりぬ花筏         中村 克子
ダーウィンのそのしんがりを蟇      西  博子
うつらうつら目覚めています金魚玉    岩佐  久
躑躅群れ咲く半分は狂気なり       愛甲 知子
西口で待たされている青蛙        鈴木 瑩子
機嫌よく月上りけりこどもの日      土屋 光子
麦の秋渋民村はこんな景         石井 昭子
風景の半分は空こどもの日        松村 五月

<白灯対談より>

踏んばってすこしゆがんで夏の月     大森 麗子
日の盛り気怠き午後のオスプレイ     中野 充子
自販機の赤い点滅敗戦忌         小林多恵子
ソーダ水遠い昭和の兄妹         森田 成子
自転車屋の熱い話を終戦忌        波多野真代
日捲りを忘れたるまま残暑かな      廣川やよい
平成の八月が逝く青々と         相田 勝子
入道雲のこらず呼んで甲斐の国      大竹 妙子
牽牛花記憶の壁の向こう側        川口 史江
八月十五日葡萄汁発酵す         田口 順子
みんみんのひとしきり鳴きあと黙る    江口 ユキ
草も木も鳥もけものも盆休み       小澤 裕子
夏惜しむ小さい駅の待合室        金子 良子

 

【山崎主宰の編集後記】

 幾つかの句会に出ているが、女性の作者は概して事柄を書いていることが多い。これに対して男性は概念から入っていく傾向があるようだ。事柄も概念も詩のきっかけには違いないが、詩の本質からは程遠い。

 事柄や概念は意味の裏付けを必要とするが本来意味を拒否したところから詩が生まれることを想えば、事柄や概念のもっとも先にある虚実皮膜の世界が詩だと思うべきであろう。       (山崎)

響焰2018年10月号より


【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201810


大和は吉野    山崎 聰


毛虫焼くことからはじめ山暮し
きょうその日いちにちだけのねむの花
八月の大和は吉野戦争へ
真夜中の異物としての冷蔵庫
どこまでも男と女盆踊り
土用丑の日海を見て空を見て
熱帯夜ひとりは置いてゆかれけり
三伏のけものめきたる草の丈
彼および彼女らそして合歓の花
縁あって月夜のバーボンウィスキー

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2018年7月号より

嘴をひらいて紅く卯月かな        森村 文子
うすものやうしろ手に柔らかいとげ    渡辺  澄
おろおろと筍茹でて雨や風        米田 規子
春疾風みじん切りをたたきのめして    鈴 カノン
麨や初恋ほろほとこぼれ         西  博子
したたかに男兄弟桜餅          小川トシ子
花水木清く正しく晴れた朝        秋山ひろ子
五月来るしみじみと右手ひだり手     高橋登仕子
嗚咽とも桜ふぶきのど真ん中       大見 充子
また一人泣かせてしまい桜どき      松村 五月

<白灯対談より>

雲海のどこにどう打つ句読点       川口 史江
太陽の申し子として西瓜食む       中野 充子
濃紫陽花穏やかにいて人の中       大森 麗子
流木のオブジェ七月のホテル       小林多恵子
川満々としたのはきっと夏の月      波多野真代
仕合せを全部つめこみ蛍袋        森田 成子
夏祭ふとよぎりたる父の匂い       廣川やよい
ねじり花ねじれて見える青い空      相田 勝子
舟虫しぐれ変哲もなく生きていて     大竹 妙子
淋しさの通り過ぎたる夏の雨       水谷 智子
砂浜を走って来る子盛夏なり       笹本 陽子
大切なものは見えずに走馬灯       田口 順子
風神も雷神も居る雲の峰         小澤 裕子
大暑の日砦に籠るように住む       江口 ユキ
あこがれは豪華客船夏の蝶        金子 良子
一年のわたしの月日松の芯        原田 峯子

【山崎主宰の編集後記】

 最近、若い人たちの俳句を読むと、恰好いいなあ、と思うことがある。もちろん俳句は作者を離れたフィクションだが、作者自身に恰好良さや時代の先取り、といった意識があるから、俳句も恰好良くなるのだろう。

 だが、俳句という文芸は、恰好良さとは正反対の、きわめて泥臭い、いわばいちばん時代遅れの文芸なのではないか。自然を愛し、人を愛し、自分を愛する、そんな今の世では一笑に付されるような、時代遅れの文芸なのではないかと思うのだがどうであろう。       (山崎)

響焰2018年9月号より


【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201809


慟哭    山崎 聰


トマトから生まれてきょうのむすめたち
熟睡のあと夏星の一語一語
東京をはなれてからの祭笛
蚰蜒(げじ)蜈蚣(むかで)いろあって日が暮れる
アマリリスその一瞬の顔かたち
慟哭はかの夏の日の雲間から
ためらいてさまよいて炎日の母ら
ともだちのともだちとして夏の星
やさしさに遠くある日の白い滝
ぼんやりといて月の夜のアメフラシ

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2018年6月号より

みずうみにみずいろのそらみずの春    和田 浩一
雪国のふたり横浜名残雪         米田 規子
桜どき未知数わっと溢れ出て       加藤千恵子
初蝶来て老人がきて白い家        中村 克子
見送られ見送りふいに霞けり       伊達 甲女
花山椒齟齬ありて人なつかしく      西  博子
赤い紙など燃やしいて春彼岸       小川トシ子
花の宴ご先祖様と子々孫々        君塚 惠子
冴返るポストに落す短詩型        大見 充子
目覚めれば雪ゆめのつづきのように    波多野真代

<白灯対談より>

存分にふるさとの風夏の果        大森 麗子
会いにゆく内幸町沙羅が咲き       大竹 妙子
蛇穴を出て多摩川の水明り        中野 充子
小惑星に探す王子とバラと井戸      小林多恵子
梅雨長く二番ホームを鳩歩く       相田 勝子
凌霄や一本道はふる里へ         廣川やよい
偏見はたちまち消えて青野かな      波多野真代
森五月見えぬもの大きく揺れて      森田 成子
梅雨明けて待っていたのは一番星     笹本 陽子
砲台六基こうこうと白い夏        川口 史江
父の日のすこし錆びたる二眼レフ     田口 順子
水音とあとは青空ウェストン祭      金子 良子

【山崎主宰の編集後記】

 世は挙げて合理化、効率化の時代である。速いことは良いこと。役に立たないものは捨てる。もちろん、そのことに異論はない。

 文明と文化は似て非なるもの。効率や合理性、有用性などは、要するに文明の領域に属する

 俳句は違う。効率や合理性とは対極にあるもの。句会ひとつとってみても、清記、選句、披講などは非効率の最たるもの。しかしそんな効率など薬にしたくもない作業の中に、本物の文化が深々と息づいているのだ。       (山崎)