響焰俳句会

ふたりごころ

響焰誌より

響焰2020年8月号より

【山崎名誉主宰の俳句】縦書きはこちら→MeiyoShusai_Haiku_202008


溷濁    山崎 聰


雪の夜をあかあかとおり玉手箱
窓際の心地よき位置蝌蚪の昼
一歩一歩奈落へ近く春の雪
遠近(おちこち)にたんぽぽ咲いて人の忌日
なにもかも遠くになって春のゆうやけ
春の月ゆっくり行こう彼の岸へ
君の名はと訊かれ戸惑う春の暮
呆気なく四月がおわり山の上
誰にもあるほのかな時間ほととぎす
溷濁のこの世かの世の望潮

【米田主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_202008

森閑と     米田 規子

ペパーミントティ森閑と街五月
人を待つ橋上改札つばくらめ
青梅やひと日しとしと雨降って
限界のその先見えず卯月波
免疫力かバナナに黒い点々
うつうつと今日から明日へ洗い髪
「星に願いを」短夜のピアノ鳴る
母の日のうす紫のアイシャドー
狂いがちに体内時計夏落葉
うがい手洗い六月のきれいな空

 

【山崎名誉主宰の選】

<火炎集>響焔2020年5月号より

流木を尖らせてゐる虎落笛        石倉 夏生
遠景のおとうと蛇行して二月       栗原 節子
戛戛ときさらぎのコバルトブルー     森村 文子
父母に気づかれぬよう山眠る       渡辺  澄
風の昭和か立春の葛西橋         加藤千恵子
文学と夜のはざまの冬林檎        松村 五月
泣いたりはしないからあまた落椿     波多野真代
愚太愚太の彼とわたしと恋の猫      河津 智子
水晶の真ん中に道冬の靄         鈴木 瑩子
しずり雪闇立ち上がるひとところ     大森 麗子

【米田主宰の選】

<火炎集>響焔2020年5月号より

電気毛布の夢の駱駝に跨って       石倉 夏生
雪原の馬であるから眼を閉じて      森村 文子
イニシャルを入れてより疾走のスキー   渡辺  澄
オペラ果て寒月光に髪乱る        中村 克子
真っ当なつとめのおとこ春の雷      岩佐  久
上州の風まっすぐに達磨市        あざみ 精
もれくるは象の足音春隣         大見 充子
三月が昔ばなしのように来て       松村 五月
野水仙横向くときの加齢かな       秋山ひろ子
冬夕焼何もかもついこの間        塩野  薫

<白灯対談より>

一期一会や身の内の青嵐         小林 基子
青林檎湖畔の椅子とチェーホフと     小澤 什一
夏来る会長室のモジリアニ        北川 コト
アラビアンナイト万緑の水底に      加賀谷秀男
麦秋や自粛の赤子指を吸う        相田 勝子
山五月しゅっぽしゅっぽ青けむり     小林多恵子
つかのまの夢か春キャベツ喰べている   大竹 妙子
つなぐ掌の確かなぬくみ余花の試歩    石谷かずよ
蕗の葉に水を掬いし父そこに       廣川やよい
野遊びの一人ひとりにスマートフォン   川口 史江
山野から風の生まれる聖五月       森田 茂子
ほつほつと弾くメヌエット夏の雲     金子 良子
暗黙のディスタンスとり蟻の列      牧野 良子
休校の門扉に鎖つばくらめ        北山 和雄

【米田主宰の編集後記】

 七月六日荒れ模様の天候の中、五ヵ月ぶりの東京句会を開いた。その少し前から東京の感染者が増え続けて、句会参加を断念する人が少なからずいた。それでも思い切って開いた句会の参加人数は十名。ソーシャルディスタンスを取り、換気、マスク着用。句会が進むにつれ違和感も薄れ句座が和やかにななった。お互いの顔を見て意見の交換ができる本来の句会はやはり楽しいものだった。来月もその先もこのような句会ができることを願う。        (米田規子)

響焰2020年7月号より

【山崎名誉主宰の俳句】縦書きはこちら→MeiyoShusai_Haiku_202007


待って居給え    山崎 聰


いちにち晴れいちにちは風さんがつは
なんとなく半日経って春北風
もうすこし寝ていたいから春の雪
春の雲待って居給えじきに行く
ふと立ち止まる蝌蚪群れているあたり
春の月右へ行こうか戻ろうか
春ゆえにさてもなんきん玉すだれ
春帽子きのうの夢に出たような
寂滅為楽磯巾着うごめいて
(駒志津子さん逝く)
どうしてなぜああ雪解けの山が呼ぶ

【米田主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_202007

薫風     米田 規子

しゃぼん玉ふいに明日を見失う
薫風にひらく朝刊家籠り
少年の黒いTシャツ聖五月
ステイホーム真っ赤な薔薇が咲きました
雨の日のねむい老人ラベンダー
人はひれ伏し青葉若葉のひかり
ドア閉めて新車の匂い夏木立
三人の安全な距離リラの冷え
ぼんやりと未来のかたち罌粟の花
束縛と自由だんご虫丸まって

【山崎名誉主宰の選】

<火炎集>響焔2020年4月号より

漂泊のいつも途中の雪蛍         石倉 夏生
道のないところまで来て冬夕焼      栗原 節子
去年今年太古の海が近づいて       森村 文子
マスクして人間らしくこどもらしく    渡辺  澄
北風吹く昼の分厚き玉子焼        山口 彩子
風にのるやまとことのは野水仙      加藤千恵子
新橋のサラリーマンという時雨      松村 五月
初鏡むこう側から戸がひらく       波多野真代
十二月追いつく音につまずきぬ      山口美恵子
大きくて赤いまんまる今朝の春      笹尾 京子

【米田主宰の選】

<火炎集>響焔2020年4月号より

漂泊のいつも途中の雪蛍         石倉 夏生
道のないところまで来て冬夕焼      栗原 節子
倖せはぐるりと子供春の七草       森村 文子
谺しててのひらに浮く桜餅        渡辺  澄
山国は荒星を研ぎ塞の神         山口 彩子
蕗の薹からんころんと日が巡る      西  博子
少年のごとき少女よ雪降れり       大見 充子
キラキラと一月の海駆けてくる      波多野真代
雪もよい上唇にラテの泡         秋山ひろ子
冬林檎ガラシャの芯の固さかな      大森 麗子

<白灯対談より>

立夏なりもしも翼があったなら      小澤 什一
だれかを想いおもわれて春日傘      北川 コト
愛すればこそ変わるべし花筏       加賀谷秀男
葉ざくらにあふれるほどの鳥さかな    大竹 妙子
さえずりや屈託の日々さみどりに     小林 基子
髪切ってヘップバーンになる五月     小林多恵子
ファルセット広がってゆく春の空     石谷かずよ
十年後のわたしに手紙朧月        川口 史江
膕を淡海の春の横切りぬ         吉本のぶこ
大空へ風になりたいスイートピー     森田 茂子
木瓜の花曲り角まで見送りて       廣川やよい
父と子のメール六秒初燕         金子 良子
翳し見るマニキュアの赤春の雪      原田 峯子
あかあかと窓辺照らされ春愁       浅見 幸子

【米田主宰の編集後記】

 この二、三ヵ月を皆様はどのように過ごされたでしょうか。日常でありながら非日常のような時の流れにに戸惑い、心がざわざわ揺れました。長い巣ごもり生活で俳句の焰が消えそうになったかも
しれません。句会のない淋しさ、物足りなさをひしひしと感じ、俳句にとって句会がいかに大切かを改めて思い知りました。今後コロナウイルスと共存しながらも、私達は慎重に新しい一歩を踏み出したいと考えています。        (米田規子)

響焰2020年6月号より


【山崎名誉主宰の俳句】縦書きはこちら→MeiyoShusai_Haiku_202006


いつとなく    山崎 聰


でもやはりそうは云っても春の霜
もう一度素顔にもどり春の闇
流雛いくばくさくら咲きくくら散り
砂山はとうに崩れて花の雨
紫荊むこうの丘に風吹いて
少年にいちにち長く散るさくら
立ち上がるものにたましい春の夜
寝るときも水の流るる甲斐の春
いつとなく冬から春へ海や山や
入学すまんまる太陽昇るように

 


【米田主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_202006


しなやかに     米田 規子


大空に予定なき日のさくらかな
おぼろ夜の髪を束ねる赤いゴム
ひりひりと男のカレー名残雪
花万朶小学校の音消えて
思いっきりピアノ弾きたし飛花落花
ひたすらにペンを走らせ春の闇
下り来て川のせせらぎ花疲れ
たれかれを想い暮春のスロージャズ
わが齢青葉若葉の風に揺れ
夕日のキッチン新牛蒡しなやかに

 

 

【山崎名誉主宰の選】

<火炎集>響焔2020年3月号より

校庭の歓声に散り黄の銀杏        和田 浩一
白椿おそろしきものもうひとつ      栗原 節子
暗闇のしんそこ真赤十二月        森村 文子
離るるに時の深さを白梟         河村 芳子
ふるさとの重さの届く十二月       西  博子
着脹れて羊でありし頃のこと       大見 充子
ちちよははよ鮮やかに返り花       波多野真代
子狐のしっぽが見えて昼の月       秋山ひろ子
寒卵北前船は帆を上げて         楡井 正隆
色のなき時間漂う十二月         大森 麗子

【米田主宰の選】

<火炎集>響焔2020年3月号より

十二月八日ピアノの薄埃         和田 浩一
名犬になれず枯野のひた走る       石倉 夏生
黙っているポインセチアのうしろ側    森村 文子
紅葉かつ散る東京へ帰る人        渡辺  澄
離るるに時の深さを白梟         河村 芳子
ふるさとの重さの届く十二月       西  博子
クリムトのいつもの女冷えにけり     大見 充子
色ながら散る乱文を許されよ       松村 五月
赤い糸付けておいたの冬銀河       山口美恵子
漂泊の空の眩しさ年の暮         大森 麗子

<白灯対談より>

花冷えや白磁の皿のニ三枚        加賀谷秀男
夕星に山翳の濃く初ざくら        小澤 什一
たましいは指さすほうへ養花天      北川 コト
宇宙船最後に乗せる雛人形        牧野 良子
万の芽へ今日の始まる光かな       相田 勝子
春の日の水音さやか虚子の句碑      廣川やよい
釣人と釣人あいだのつくしんぼ      小林多恵子
もやもやと遠目の赤子亀の鳴く     吉本のぶこ
春風のワルツに乗って猫の髭       森田 茂子
四次元の入口をあけ春籠         川口 史江
春寒しパンデミックの海が鳴る      石谷かずよ
さりながら窓辺明るく桃の花       小林 基子
春休みけんけんぱっと大空へ       原田 峯子
尼の寺屈んで拾う落椿          金子 良子

 

【米田主宰の編集後記】

 三月から五月まで響焰は全ての句会と行事を中止した。だが、この先もウィルスとの闘いは続きそうだ。俳句を愛し句会再開を楽しみにしてきた私達にとって大変残念な状況である。しかしながら、誌上句会、ネット句会、または各句会ごとの通信句会など知恵を絞れば様々な方法があると思う。結社として、今後どう活動していけば良いかを模索している。こんな時こそ皆様からの声を是非き聞きたいと思う。句会再開までみんなで乗り越えよう。        (米田規子)

響焰2020年5月号より


【山崎名誉主宰の俳句】縦書きはこちら→MeiyoShusai_Haiku_202005


すでにして    山崎 聰


残り柿命終のことなどもふと
山に雪降り野に雪降り彼と彼
いちにち迅くいちねん長し垂(しず)り雪
雪消えるころみちのくはほのあかく
春の風なまぐさきかたちして二人
すでにしてバビロンははるかなる春
雨が止み公園の仔猫のゆくえ
春眠はタクラマカンの砂と塩
とつぜんに子をとろ子とろ遅日かな
再会のそこここに空シネラリア

 


【米田主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_202005


春のパセリ     米田 規子


そくそくと二足のわらじ薄氷
鳥たちの空の領分冴返る
晴天や屈みて春のパセリ摘み
三日籠りてフリージアの朝の息吹
木々芽吹き平常心のどこへやら
春の雪もの書く姿勢くずさずに
炒り玉子ほろほろあまく朧の夜
えんぴつの倒れた先の春景色
いつまでの全力疾走ひこばゆる
オムレツにケチャップするりと三月来

 

【山崎名誉主宰の選】

<火炎集>響焔2020年2月号より

冬帽子いっぽんみちは遠い道       栗原 節子
つわぶき咲いてこんなにも死者の数    森村 文子
思い出すたび新しい雪降れり       渡辺  澄
したたかに灯る西口十二月        加藤千恵子
にびいろの月を想えば平家琵琶      大見 充子
この秋を歩けばボーヴォワールめき    松村 五月
十一月呆気なく頂上に出る        山口美恵子
雨上がりすめらみことに虹の端      蓮尾 碩才
小粒柿泣いて笑って日が暮れて      中野 充子
ひかりから光へ跳んで稲雀        小林多恵子

【米田主宰の選】

<火炎集>響焔2020年2月号より

むかしむかし井戸と裏木戸冬の虹     森村 文子
やや遠き日常黄落のポプラ        加藤千恵子
人声の恋しき日なり鳥渡る        中村 克子
冬の日のいろをいちずに猫のひげ     青木 秀夫
朝な夕なに晩秋のうらおもて       あざみ 精
烏瓜すでにこの世のことでなく      松村 五月
秋高しほうほうほろと塞翁が馬      小林 伸子
十一月呆気なく頂上に出る        山口美恵子
青空のむこうからきて鉦叩        楡井 正隆
晩学の明るいひと日とろろ汁       廣川やよい

 

<白灯対談より>

立春の言問橋の風のいろ         大竹 妙子
日脚伸ぶ品川駅の渦の中         北川 コト
何度でも夢を飛ばそうシャボン玉     小澤 裕子
丸メガネとハイネの詩集水の春      小林 基子
待春やおはじきぬりえわらべ歌      相田 勝子
新宿の夕闇を連れ焼芋屋         金子 良子
水仙の吐息の仄か海しずか        森田 茂子
寒風になお抗いて老夫婦         加賀谷秀男
冬銀河みえない手と手にぎりあう     川口 史江
のどけしや絵手紙の文字飛びこんで    廣川やよい
衣擦れの音は佐保姫それとも風      小澤 什一
約束の失せたる小指春の雪        吉本のぶこ
良きことも金柑の黄の暮れのこり     原田 峯子
暮の春オルガンを弾く昭和の子      佐藤千枝子

 

【米田主宰の編集後記】

 新型コロナウィルスが地球規模で猛威をふるっている。その影響で今まで当り前に開いていた句会があっけなく消え、この先の不安に悶々とするばかりだ。しかし、こんな時でも響焰誌は毎月発行しており、編集や発送の方々の支えを強く感じている。また、それと同時に毎月皆様から届く投句は、私に元気と勇気を与えてくれる。なんとかこの難局を乗り越えて、大会や句会で皆様とお会いできることを楽しみにしている。        (米田規子)

響焰2020年4月号より


【山崎名誉主宰の俳句】縦書きはこちら→MeiyoShusai_Haiku_202004


ひたすらに     山崎 聰


いまもって秩父往還年の暮
この道をまっすぐ行けば冬の墓
ひたすらにきょうを炭焼竈として
世のおわりそのいちにちを雪降って
雪晴れのまぶしき日々のすべり台
逡巡も邂逅も冬のいちにち
就中かの日かの夜の雪の山
男には見えて遠嶺の初日影
いまも楼蘭しろじろと寒の餅
二年一月三日の朝のモーツァルト


【米田主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_202004


走り出す     米田 規子


束の間の逃亡月寒く白く
手探りのみちのり春の星小粒
如月のはや走り出す光かな
まいにちが新鮮桜冬芽の数
寡黙なる中年バレンタインの日
日溜りのまるごと春の乳母車
大いなる迷路きさらぎの空真青
その恋の思わぬほうへ風信子
百千鳥大地は眠りから覚めて
背負いたる形なきもの山笑う

 

【山崎名誉主宰の選】

<火炎集>響焔2020年1月号より

ひらがなに力ありけりねこじゃらし    石倉 夏生
今ごろは遠い音する紅葉山        森村 文子
いつの日か秋風となる言葉かな      渡辺  澄
金木犀六腑やわらかに目ざめ       山口 彩子
秋の空からんからんと年取りぬ      中村 克子
葛の風かすかに負けているような     河村 芳子
大花野一丁目から風になる        西  博子
薄原分け入ればマンモスの背       大見 充子
しんしんと夜が来ている金木犀      秋山ひろ子
晩秋に後ろ姿のありにけり        楡井 正隆

【米田主宰の選】

<火炎集>響焔2020年1月号より

八月が終わり軍手に五指の穴       和田 浩一
今ごろは遠い音する紅葉山        森村 文子
晩秋を飛んで銹びゆく翅のいろ      山口 彩子
風の数珠玉あの人もあの山も       加藤千恵子
まだ渡る長き橋あり秋の空        中村 克子
葛の風かすかに負けているような     河村 芳子
初紅葉水音蛇行して下る         西  博子
川上に川下にまた霧深し         岩佐  久
秋薔薇に半歩近づく憧れて        松村 五月
誰が咲かせた二丁目の曼珠沙華      笹尾 京子

 

<白灯対談より>

冬の饒舌西口の少女たち         北川 コト
焼芋を割れば二つの太陽だ        加賀谷秀男
冬の森辿りつけないものがたり      大竹 妙子
少年はいつも空腹寒昴          原田 峯子
眉すこし太目にかきぬ女正月       相田 勝子
坂道のちいさなうねり初御空       小林多恵子
追いかけて走って転んで冬帽子      森田 茂子
図書館の小さな時計寒の入        金子 良子
日記果つめぐる地の声天の声       辻󠄀  哲子
あの頃のように子犬と冬帽子       石谷かずよ
数え日の診察室のコンピュータ      廣川やよい
魁夷の青か蒸し焼きのブロッコリ     川口 史江
存分に風とあそんで干大根        小林 基子
春立つ日高層ビルの反射光        江口 ユキ

 

【米田主宰の編集後記】

 「俳句が上手くなるにはどうしたらいいですか?」初心のころ諸先輩に質問をしてみた。「多作多捨」「舌頭千転」「人の俳句をたくさん読む」等の答えが返ってきた。ある方は、「俳句の本を三冊読んだからって三冊分上達するわけじゃない。」と。どのご意見も「なるほど!」と思ったが、決して近道はないのだとわかった。そして今、「継続は力なり」と強く思う。好調不調の波、体調や環境などの問題を乗り越えて共に頑張りたいと願う。        (米田規子)

響焰2020年3月号より


【山崎名誉主宰の俳句】縦書きはこちら→MeiyoShusai_Haiku_202003


とおいところ     山崎 聰


夜の霧旅のおわりの一伍一什
柞紅葉越後になつかしきひとり
倫敦遠しきのうきょう霧降って
ときどきの昭和平成冬の晴れ
越後みち信濃みち柞もみじみち
霧の街道牧水も白秋も
冬山のおちこち灯りその奈落
神さまの山をおもいて雪の道
父や母や雪降っているとおいところ
誰かれのこと夜が来れば雪降れば


【米田主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_202003


ひとつ咲き     米田 規子


裸木に艶ヨコハマの海の風
冬日影西洋館に人の声
山茶花やさよならのあと碧い空
冬レモン大きく育ち締切日
クレーン車の雨に休みて阪神忌
漆黒のグランドピアノ拭き真冬
ひとの世の迷路の出口雪女郎
沈思黙考寒椿ひとつ咲き
伏し目がちにもの言う男暖炉の火
春隣コンソメスープに塩・胡椒

 

【山崎名誉主宰の選】

<火炎集>響焔2019年12月号より

波音におもさ加わる晩夏かな       栗原 節子
ぼんやりと由緒正しき秋祭り       森村 文子
いくたびも夏過ぎて東京に川       渡辺  澄
よろめいてしまえば秋風のままに     山口 彩子
彼の人も彼の月山も菊の酒        加藤千恵子
前略のように八過ぎにけり        中村 克子
五丁目の空の途中を赤とんぼ       秋山ひろ子
レコード針飛んで昭和の長き夜      石井 昭子
木犀のこぼれ散るには明るい日      松村 五月
ふるさとは日傘さしたるまほろばよ    波多野真代

【米田主宰の選】

<火炎集>響焔2019年12月号より

鶏頭の力を借りて反論す         石倉 夏生
波音におもさ加わる晩夏かな       栗原 節子
お祭りの渦の外ひゅうと風        森村 文子
公園に研屋来ている秋の昼        川嶋 悦子
彼の人も彼の月山も菊の酒        加藤千恵子
孤独よりすこし離れてブラームス     鈴 カノン
山葡萄太郎次郎を引きよせて       西  博子
五丁目の空の途中を赤とんぼ       秋山ひろ子
小さい秋みんなで二重橋渡ろ       志摩  史
望郷やいつもどこかに鉦叩        波多野真代

 

<白灯対談より>

冬日和猫と見ている隅田川        金子 良子
街中の靴音高くシクラメン        北川 コト
ふる里は明るく遠し冬の月        大竹 妙子
立冬やカラスが降りる交差点       加賀谷秀男
風呂敷の日本酒二本北颪         廣川やよい
年用意まず包丁を研ぎはじむ       相田 勝子
ポケットの底のほころび風花す      小林多恵子
生と死を越えゆく光クリスマス      辻󠄀  哲子
冬木立胸の奥まで透けてくる       川口 史江
食卓の朝刊冬の日と影と         石谷かずよ
残されてマトリョーシカの冬座敷     小林 基子
蕪村の忌歩き始めてもう日暮       原田 峯子

 

【米田主宰の編集後記】

 これまでの私の人生で、経験したことがないほど慌しい年末年始が嵐のように過ぎ去り、そのあと息継ぐ暇もなく立春を迎えた。

 この三ヵ月間、響焰の皆さんから届く俳句をお一人ずつ時間をかけて拝見した。特に会員の方々の俳句をもっと良くしたいと思い、いろいろ添削を試みた。そのことに没頭し過ぎたかもしれない。添削が成功したか否か定かではないが、俳句というポエムを通して共有できる世界があることは素晴しいと思う。        (米田規子)

響焰2020年2月号より


【山崎名誉主宰の俳句】縦書きはこちら→MeiyoShusai_Haiku_202002


ぼそと     山崎 聰


秋のやまとはるいるいとけものの眼
おおかたは別の世界の霧の中
満月のあくる日忽と逝き給う
秋もおわりかいま越の国灯る
十一月の快晴さびし山はなお
旅のおわりはあかあかとさむざむと
月山をほたほたあるき十二月
ぼそとつぶやき寒月光の真下
柱状節理鈴振って雪の中
山に雪おじいおばあら息災か


【米田主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_202002


えんぴつと紙     米田 規子


とっくりのセーター追い風向かい風
黒いかたまり東京の冬の雨
ちちとはは白山茶花の明るさに
ハードルの二つ三つ四つ紅葉山
えんぴつと紙月の光の二十五時
静寂から音楽生まれ冬木の芽
いちにちを使い切ったり聖樹の灯
へろへろと一人三役実千両
おさなごに笑窪がふたつ春隣
ベッドに沈みまなうらの冬銀河

 

【山崎名誉主宰の選】

<火炎集>響焔2019年11月号より

夕端居ひとりは死者の匂いして      渡辺  澄
何せんか立秋ついと現れて        山口 彩子
万緑のかたまりとして男体山       川嶋 悦子
花びらの風のいちまいアイヤ節      鈴 カノン
うつらうつらと蟬くる前の大欅      中村 克子
而して土用丑の日予約席         西  博子
もて余す細長いしっぽ残暑かな      亀谷千鶴子
奥千の星の流れは背泳ぎか        山口美恵子
ライオンの檻に風吹き夏休み       志摩  史
八月や海底のぞき見るような       波多野真代

【米田主宰の選】

<火炎集>響焔2019年11月号より

蜘蛛降りて来る薄明の現世かな      石倉 夏生
波高し少年たちの夏おわる        栗原 節子
虫籠はいまも空っぽ夏休み        渡辺  澄
楽園を追われてよりの蛇嫌い       川嶋 悦子
青野原人の暮しのはるばると       加藤千恵子
晩夏光父の帽子が遠ざかる        中村 克子
梅雨あがるモーツァルトの曲にのせ    紀の﨑 茜
空蟬と果実の匂い夕ごころ        秋山ひろ子
炎天のまんなかを行くジャコメッティ   小林マリ子
旅のまほろばコウノトリ夏山河      波多野真代

 

<白灯対談より>

錦秋やちちはは姉といもうとも      大竹 妙子
晩秋の風追いかけて曲り角        北川 コト
青空に番いの蜻蛉行き止まり       加賀谷秀男
始まりは銀杏黄葉の交差点        小林 基子
貼り足してうさぎの切手十三夜      相田 勝子
紅葉晴れ長い手脚がポチ連れて      川口 史江
やわらかい光に満ちて秋の海       江口 ユキ
短日の搭乗口で別れけり         廣川やよい
味噌蔵の影ながながと秋の声       田口 順子
冬将軍天馬の蹄ひびかせて        小澤 裕子
草の絮われ追い越して犬の消ゆ      石谷かずよ

 

 

【米田主宰の編集後記】

 俳句には、絶対にこれが正解というものがない。そこが一番悩ましいところで、作句も選句もあれこれ迷い考えを巡らせたのち、ようやく〝これだ!〟と自分なりの納得に辿り着く。句会では実に様々な個性に出会い、驚いたり共鳴したりしながら、お互いの俳句を鑑賞している。考えてみれば、大変贅沢な時間を共に楽しんでいるのだ。真剣な大人の遊びと言えようか。だから俳句は競争ではなく、まず自分の個性を磨くことが大切と思う。   (米田規子)

響焰2020年1月号より


【山崎名誉主宰の俳句】縦書きはこちら→MeiyoShusai_Haiku_202001


そして     山崎 聰


月の夜の理科教室の人体図
十月はうすむらさきの樹々の影
やまとまほろば詩に遠く炭を焼く
釣瓶落しとりのこされて二三人
秋空はいまも青空父母祖父母
柱状節理人といて秋のなか
谿もみじそして神さまほとけさま
木の実落つえちごの里のまくらがり
偶数も奇数もなくて峡の秋
そぞろ寒象形文字のように寝て


【米田主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_202001


吾亦紅     米田 規子


降り立ちてすっぽりと秋山迫る
音立てて歳月が逝き吾亦紅
せつせつと手紙から声星月夜
もう一人の私のうしろ鵙猛る
冬に入る大きな力はたらいて
年月の匂いの書棚木の実落つ
ふるさとに古いトンネル雁来紅
文化の日磨けば光る鍋の底
ありがとう枝付き葉付き柿の艶
十一月の空気のように父と母

 

【山崎名誉主宰の選】

<火炎集>響焔2019年10月号より

白塗りの檻に白熊油照り         石倉 夏生
浜昼顔このさびしさを描けという     森村 文子
蛍にはほうたるの闇赤い月        山口 彩子
夏蝶の曳いてくるなり三輪車       加藤千恵子
モノクロの夢からさめて沖膾       鈴 カノン
沈黙の蠢いている炎天下         中村 克子
揚げ花火左小指を握られて        山口美恵子
とんぶりが弾け故郷立ちあがる      大見 充子
六月の月東京の暗がりに         松村 五月
さりながら門司下関夏の海        波多野真代

【米田主宰の選】

<火炎集>響焔2019年10月号より

梅雨夕焼己を閉ざす鍵の音        和田 浩一
不敵なり甚平を着て五歳         栗原 節子
耳奥の音とこしなえ星祭         森村 文子
大夕焼けむりのように遺さ        加藤千恵子
沈黙の蠢いている炎天下         中村 克子
あしたへの点と点々木葉木菟       河村 芳子
蛇口まで夏が来ている午前五時      亀谷千鶴子
追憶の一番奥の蛇いちご         大見 充子
ソーダ水泡のむこうの夜と昼       石井 昭子
六月の月東京の暗がりに         松村 五月     

 

<白灯対談より>

うらおもてなく十月の空自由       北川 コト
あんなふうにあのころあきのゆうぐれ   大竹 妙子
さみしさは生まれた時から零余子飯    小林 基子
桃太郎金太郎いて大花野         田口 順子
野の花のおおきな秋を抱きけり      小林多恵子
菊日和めがね屋の説く改憲論       相田 勝子
有明月に話そうか逃げようか       加賀谷秀男
三山の秋ふっくらと塩むすび       廣川やよい
人生の節目ふしめの菊の花        川口 史江
野仏の深きほほえみ秋闌ける       江口 ユキ
どっしりと埴輪の女神豊の秋       金子 良子
山葡萄そろそろ鳥の騒ぐころ       石谷かずよ

 

 

【米田主宰の編集後記】

 ようやく令和2年響焰1月号ができ上り、響焰の灯をなんとか繋ぐことができたと安堵している。新体制の響焰の船出には多くの困難が待ち受けていると思うが、いろいろな方々の知恵と力を結集して乗り越えたい。

 俳句という五・七・五の世界に魅了された我ら、毎月投句される作品から一人ひとりの熱い思いや心の叫びなどが感じられる。これからも大いに俳句を楽しむと同時に、真摯に研鑽を積んで俳句に磨きをかけたい。         (米田規子)

響焰2019年12月号より


【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201912


秋 へ     山崎 聰


光るなり八月ゆめもまぼろしも
平穏無事か原爆の日はとうに過ぎて
野のほとけ山のほとけも夕焼けて
みずうみはるかかくしてわれら秋へ
十三夜たとえばユーフラテスあたり
いわし雲東京駅にあの二人
蛇笏の忌コスモス揺れるばかりにて
上州のまっすぐな道木の榠樝
すこしだけ秋のにおいも雨のあと
やや寒く大東京のいしだたみ

 

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2019年9月号より

やわらかな色から吹かれ森五月      栗原 節子
めらめらと新樹新樹のため匂う      森村 文子
竹皮を脱ぐためらいのひと処       山口 彩子
夏の雲たとえば夢の容して        加藤千恵子
天に水たっぷりとある植田かな      中村 克子
令和元年六月のみずたまり        青木 秀夫
帰去来の上野駅から青嵐         あざみ 精
月へ堕ちたし青水無月の睡夢       大見 充子
ぼんやりと生きて青水無月のなか     蓮尾 碩才
水無月やものみな音を消していて     波多野真代

 

<白灯対談より>

露天湯に牛の話も豊の秋         小林多恵子
走り来て明かりの中へ夜学生       廣川やよい
傷口はたとえば一切れの檸檬       北川 コト
永遠のきずな男郎花女郎花        川口 史江
複雑な人間模様クレマチス        森田 茂子
台風の端に吹かれて日が暮れて      江口 ユキ
何事のなき一日の零余子飯        相田 勝子
曖昧をすべて振り切り望の月       小林 基子
八月尽あんな日こんな日浮遊して     大竹 妙子
台風が去って島唄島言葉         田口 順子
階段の窓が明るい十三夜         小澤 裕子
秋の雲昭和平成追いかけて        石谷かずよ

 

 

【山崎主宰の編集後記】

 繰り返して云うが、俳句に正解はない。なんでもありの世界、正解は自分が作るものなのだ。

 だから、俳句は教わったり、習ったりするものではない。人間の感動は教えたり習ったりできないのだから。

 俳句は自得するもの。もっと云えば盗むものなのだ。

 このことだけは、しっかりと胸に刻み込んでおいて欲しい。         (山崎)

響焰2019年11月号より


【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201911


人のうしろ     山崎 聰


かの記憶薄れ緑陰の二三人
あと一歩あともう一歩ほととぎす
菩提樹黄花イスラムは遠い町
夏鳥の赤いくちばし世は令和
川開き米寿のひとといて無口
山も野も真っ赤になって熱帯夜
屈葬を思いかの日のあぶらぜみ
その男バベルの塔の暑い窓
やがてくるいのちのおわり赤とんぼ
月の砂漠をはるばると人のうしろ

 

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2019年8月号より

有耶無耶に始まり五月葬の列       栗原 節子
木の芽雨アンデルセン童話の中へ     森村 文子
朦朧と五月始まり風の音         米田 規子
舟でゆく泰山木の花の下         加藤千恵子
いくばくの否定もありて花山査子     河村 芳子
国道にばたばたと旗立夏なり       岩佐  久
花水木青年紺の背広着て         秋山ひろ子
五月雨はなべて鈍色うしろから      大見 充子
ただその人のためにだけ桐の花      笹尾 京子
新しい笑顔のように五月来る       波多野真代

 

<白灯対談より>

友情はコスモスの風ゆるやかに      川口 史江
塊の近づいてくる祭りかな        小林多恵子
もう戻れないビーチパラソルと空と    北川 コト
秋はじめ昔ながらのベーカリー      廣川やよい
もうこれまでか起きあがれ蟬よ蟬     中野 充子
坂の上の空の青さに夏館         石谷かずよ
胸突坂上り百八十度夏野         森田 茂子
きりぎりすいくさばなしをすこしだけ   大竹 妙子
渾身のにいにい蟬に七日過ぐ       相田 勝子
夕暮れの谷中へび道藍浴衣        田口 順子
外つ国の古城ホテルに青い月       江口 ユキ
戦前を垣間見るよう夏の霧        辻󠄀  哲子

 

【山崎主宰の編集後記】

 「下手上手は気にするな。上手でも死んでいる画がある。下手でも生きている画がある」と云ったのは、画家の中川一政だったか。

 世阿弥も「上手は下手の手本なり。下手は上手の手本なり」と云っている。通底するものは同じだろう。

 俳句も同じことが云えるのではないか。うまいなあと思うが感動しない俳句。決してうまくはないのだが、何か心に訴えてくる俳句。つまり俳句も、かたちではなく、こころだということか。         (山崎)

響焰2019年10月号より


【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201910


幸子(ゆきこ)     山崎 聰


ねむ咲いて一切は遠いまぼろし
夜がきてやや青白い夏野菜
七月七日だれもいないから雨降る
楼蘭も火星も砂漠ポーチュラカ
地底から軍歌が湧いて日本の夏
熱帯夜神さまあつまって小声
ヒロシマの日のあくる日の幸子の忌
神ほとけどこにもいない日の八月
蟬の木にもっとも近く次男の木
平和がいちばん夏鳥の赤いくちばし

 

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2019年7月号より

逃水と一緒にY字路を右へ        石倉 夏生
東京のさくら胸騒ぎのように       森村 文子
蛇穴を出て鎌倉を迷いけり        加藤千恵子
連翹の中は哲学混み合えり        中村 克子
ひらがなで呼ばれたようで月おぼろ    西  博子
手足あしくびつらつらと四月馬鹿     青木 秀夫
月面に蝶来て止まる夢の奥        大見 充子
春しぐれ荒海すでに遠い景        楡井 正隆
花のあと残されたものみな独り      笹尾 京子
でこぼこの石とクレーン春の雨      波多野真代

 

<白灯対談より>

南国の人を恋いいて月涼し        廣川やよい
毒は魅力にエンジェルストランペット   川口 史江
自販機と並び夕焼みておりぬ       小林多恵子
晒されようか胸底を日の盛り       北川 コト
さくらんぼ愛嬌なんてめんどうな     大竹 妙子
純粋は風の青柿青かりん         相田 勝子
ねじればなねじれねじれて素直なり    江口 ユキ
茅花流し女三人東京へ          金子 良子
手も足もしっぽも伸びて猫の夏      田口 順子
八月はすべて青空無口なり        小林 基子
令和元年おだやかにおだやかに      笹本 陽子
ほたる袋せせらぎ近き山の駅       小澤 裕子

 

【山崎主宰の編集後記】

 「スコトーマ」という言葉がある。ギリシャ語で”心理的盲点”とか呼ばれているが、物理的には視界に入っているはずだが、実際には意識されていない、というようなことらしい。

 ローマの武将カエサルが云った”人はすべてが見えているわけではない。自分が見たいと思うものしか見ていない”と同じことか。

 俳句は云ってみればスコトーマのかたまり。独断と偏見の集大成である。噛み砕いて云えば”思い込み”である。ただ一点、読者の共感を得られるかどうか。そこに掛かっている。         (山崎)

響焰2019年9月号より


【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201909


銃口     山崎 聰


約束のように雨降りさくらんぼ
もうすこし先へ色なき風のなか
金平糖の色がこぼれて青葉騒
八十八夜立ち上がるときふいにこえ
六月のちょうどよい距離おみなたち
鎌足も孔子も真顔ひきがえる
夏の夜のかるいあそびとしてふたり
銃口がこっちを向いてああ夏野
怒っているよ夏雲の海坊主
神さまのささやき合っている良夜

 

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2019年6月号より

少年と蛇に愛されている巣箱       森村 文子
逃げ水を追いてつまづく人との距離    山口 彩子
蕪蒸し男は山を降り来たり        鈴 カノン
女三人どっぷりと陽炎の中        中村 克子
三月の旧街道のけものたち        岩佐  久
小さき春しっぽなでれば脚が出て     青木 秀夫
胸底に火を置くように芋植える      戸田富美子
おみなごにふところがたなつくしんぼ   鈴木 瑩子
春二番角を曲がれば三省堂        松村 五月
筋力のゆるむ音する二月かな       森田 茂子

 

<白灯対談より>

十五歳空に放ちてラムネ玉        小林多恵子
ポストから昭和が見えて柿若葉      川口 史江
新緑が飛び込んでくる武蔵野線      廣川やよい
青嵐ポプラの下までつれていって     北川 コト
絵日記の空を泳いで金魚の子       相田 勝子
雨風の梅雨のいちにち過去と居り     江口 ユキ
ボート漕ぐ空と海との境まで       田口 順子
十四歳あとは青空運動会         金子 良子
六月の海青くして誕生日         大竹 妙子
トカトントン胸底疼く桜桃忌       小林 基子
美しき声と薫風アベマリア        笹本 陽子

 

【山崎主宰の編集後記】

 句会で主宰に採られたから、とそのまま投句したら没になった、どうしてか、という話をよく聞く。句会での選はあくまで相対選、つまりその場の句の中から定められた数の句を選ぶ。それに対して毎月の雑誌の投句は絶対選、つまりその句が本当に良い句かどうかの観点から選ぶ。選句の基準が違うのである。/span>

 句会は云ってみれば練習の場。毎月の投句は真剣勝負の場。句会で評判がよかったからとそのままにせず、もう一度推敲した上で投句することが望ましい。心したい。       (山崎)

響焰2019年8月号より


【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201908


退屈か     山崎 聰


このあたり関口二丁目鯉のぼり
もうすこしゆっくり歩こう青い初夏
能因のみちのく青田また青田
ふと夏野立ち止まったり迷ったり
夏雲の下くるりくるりと膝小僧
彼いまも無垢でありしか夏祭
わらわらとグラジオラスの昼休み
バビロンは熱砂のむこう紛るるな
炎日を矍鑠といて退屈か
男らの真上夏雲さあどうする

 

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2019年5月号より

信濃路に春が来て先生の家        渡辺  澄
平等に二十四時間葱坊主         米田 規子
寒の底ザインとしての黒いピアノ     川嶋 悦子
バビロンの塔か風花舞うあたり      加藤千恵子
たっぷりと大根を煮るおばあさん     鈴 カノン
分からぬは分からぬままに一月尽     紀の﨑 茜
冴え返る三面鏡の右左          西  博子
少年と夏目漱石冬の駅          岩崎 令子
冴え返る胸突八丁の奈落         青木 秀夫
三椏の花のかげりに忸怩たる       あざみ 精

 

<白灯対談より>

身ほとりのみどりの濃さも立夏かな    江口 ユキ
嗚呼おうとただ嗚呼おうと聖五月     小林多恵子
純情で一所懸命春の馬          廣川やよい
胡蝶蘭かかえ友くる令和くる       川口 史江
多摩川の奥のつり著莪の花        森田 茂子
子供の日みんな集まりみな笑う      金子 良子
八十八夜きれいな嘘が生まれけり     大竹 妙子
特急あずさ二号で甲斐へ梅雨あがる    北川 コト
明日はきっと空へ飛び立つスイートピー  相田 勝子
メトロより黒衣の女性巴里祭       田口 順子
空晴れて罪の数ほど罌粟坊主       加賀谷秀男
平成の香りとこしえ桜咲く        笹本 陽子

 

【山崎主宰の編集後記】

 ”俳諧は俗語を用ひて俗を離るるを尚ぶ”は芭蕉の至言。現代の言葉で云えば、日常に目配りしながら日常を離れる、ということになろうか。もっと具体的に云うと、日常の中にどっぷりとつかって生活しながら、そんな日常を振り捨てたところに詩を見付ける、ということだろう。/span>

 眼前の事実をしっかり見て、そこからどう離れて俳句にするか、俳句の要諦はそのへんにあるのかもしれない。       (山崎)

響焰2019年7月号より


【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201907


バチカン     山崎 聰


さくらほろほろかの世もこの世もなく
春昼のひとりっきりの鼻の先
バチカンの薄暗いところから蝶
あつまって笑って別れ著莪の花
きのうと同じいちにちが過ぎみなみかぜ
八十八のわれも男の子ぞ鯉のぼり
さりながら五月五日の晩ごはん
東京でいちにち遊びさくらんぼ
はつなつのすこし弛んだぼんのくぼ
こんな日もたまにはいいかほとほぎす

 

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2019年4月号より

夢の入口だれもいないから今年      森村 文子
女正月コトリと猫の居る気配       加藤千恵子
年の暮れあいつがしんねり墓みがく    鈴 カノン
なぜ海鼠わからないのが面白い      紀の﨑 茜
静かなる箸置きと立春の卵        伊達 甲女
加齢とはふわりと被る冬帽子       亀谷千鶴子
消えてゆくいろ十二月八日の雨      青木 秀夫
網走は風が泣く町紅椿          楡井 正隆
大寒や深海は羅生門めきて        蓮尾 碩才
はじまりは寒の鮃のうらおもて      塩野  薫

 

<白灯対談より>

春たけなわ赤灯台と白灯台        小林多恵子
われもまた硬派曇天の花こぶし      北川 コト
ふりむけば神護寺あたり花の雨      廣川やよい
花種を蒔くもうすこし生きるため     川口 史江
起立礼すすめ蛙の目借時         大竹 妙子
年々の桜年々の父母の声         相田 勝子
花咲くときも舞うときも渦の底      大森 麗子
山を恋い桃の花恋いわらべ唄       中野 充子
青空の青を確かめ花辛夷         金子 良子
体内の発芽はじまり弥生尽        森田 茂子
訃報来る三月の空傾いて         江口 ユキ
花花花楽しく遊び疲れけり        笹本 陽子

 

【山崎主宰の編集後記】

 事実と真実は違う。事実は云ってみれば眼に見えたもの、実際に体験したこと、つまり現象である。これに対して真実は、現在の事実のもっと先、もっと奥にあるもの、つまり本質である。

 だから事実をいくら積み重ねても真実にはならない。本質は眼で見るものでなく、心で感ずるものだから。

 俳句は窮極的には真実を書くものである。だから常に心を砥ぎ澄まして現実の奥にあるものを見ようとしていないと真実は書けない。       (山崎)

響焰2019年6月号より


【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201906


ああ加齢     山崎 聰


三月さくら暗き四月の長廊下
春の夜の人体模型ああ加齢
能因の千年ざくら朝日影
長生きの馬といて春のゆうぐれ
こどもたちとりわけあたたかい夜は
蝶縺れみちのくはいま光のなか
東京に戻ってからの春の景
虚も実も修羅もさくらの渦の中
みほとけの顔(かんばせ)おもい干鰈
四月尽斯く斯くわれら蝟集して

 

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2019年3月号より

水葬の海はくれない十二月        和田 浩一
ポケットの深いところで再会す      森村 文子
くれないの思わぬ昏さクリスマス     加藤千恵子
毎日が喜怒哀楽でひなたぼこ       紀の﨑 茜
風が鳴りごつんと冬の低気圧       伊達 甲女
遠き日のいっさいは冬の足音       青木 秀夫
鯖缶を選んでおりぬ冬の暮        山口美恵子
雪催い柱のうしろからあいつ       あざみ 精
ぼんやりと表玄関片しぐれ        楡井 正隆
極月や船から岸へ男跳ぶ         塩野  薫

 

<白灯対談より>

不器用できまじめな亀春疾風       廣川やよい
落語家と猫とベーコン風光る       川口 史江
春満月あそび疲れた子のように      小林多恵子
画用紙に二十二色の春休み        北川 コト
別れては会い木の芽風木の芽雨      相田 勝子
桜まじ通りに移動販売車         田口 順子
逢いたさは春満月の橋の詰        大森 麗子
叶うべき夢みているか白椿        大竹 妙子
万愚節異国の人ら闊歩して        江口 ユキ
ばあちゃんに言い分ありて春一番     平尾 敦子
木の芽和隣に空気のような人       金子 良子
いつ見ても嬉しい気持ち雛まつり     笹本 陽子

 

【山崎主宰の編集後記】

 俳句は自宅の机の上で作るもの、との思いは今もって変わっていない。いわゆる吟行や野外、旅行での見聞はもちろんだいじだが、それはあくまでも俳句の単なるきっかけに過ぎない。そのあとの自宅の机での作業がもっとだいじなのだ。

 俳句は、見たもの触れたものをきっかけにした、作者の全人生体験、人生観、世界観の総集編、と云っては云い過ぎだろうか。

 吟行などの俳句が評判よかったからとそのままにせず、帰ってからの後処理にエネルギーを注ぎたい。本物の俳句を残すために。       (山崎)

響焰2019年5月号より


【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201905


草加越谷     山崎 聰


望郷は春のはじめのわらべ唄
春眠のところどころの海の景
きっかけは春の小径をもうすこし
春塵の草加越谷みちのくへ
呼ばれたようでふりむく花の昼
春北風亀の甲羅の二つ三つ
永き日をことりと座り夢の中
竹林の雉子(きぎす)が鳴いて一軒家
春眠のつづきのように阿弥陀さま
石投げて石に当りぬ暮の春

 

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2019年2月号より

コスモスの薄青い部屋ゆめのゆめ     森村 文子
日の暮は風の底見え石蕗の花       山口 彩子
かりそめのものを並べて酉の市      川嶋 悦子
人間を長く伸ばして襤褸市に       鈴 カノン
星ひとつ空の余白へ時のそとへ      紀の﨑 茜
十月の放物線に安房の海         小川トシ子
照ったり曇ったり雪囲いしていたり    秋山ひろ子
石段に花束冬の三四郎          楡井 正隆
やや傾ぎ十一月は舟のよう        松村 五月
さざんか散りさらわれてゆく白い町    波多野真代

 

<白灯対談より>

春二番エルム通りの和菓子店       川口 史江
立春のきのうとちがう色の影       小林多恵子
わたくしの場所お日様とたんぽぽと    北川 コト
きさらぎのそこだけ赤い演芸館      廣川やよい
ふゆざくら夢から覚めて夢の中      相田 勝子
やさしい色のドロップの缶阪神忌     金子 良子
葉ボタンの奥のむらさき夕明かり     大森 麗子
ひんやりとちいさなくらし二月尽     大竹 妙子
おだやかに一日が過ぎ石蕗の花      江口 ユキ
梅日和明日を探して世界地図       田口 順子
この地球自転ゆっくり初日の出      辻󠄀  哲子
北窓ひらく仲良しの鳥来ておれば     笹本 陽子

 

 

【山崎主宰の編集後記】

 先年亡くなった落語家の立川談志が、生前<人間の業の肯定を前提とした一人芸が落語だ>と云っていたが、これはまさに私達の俳句にも当てはまることではないか。

 業とはつまり人間の根源的な宿命、ということだろうから、俳句もまた人間の宿命を受け入れた上で、その在り様を書く一人芸にほかならない。

 そう思うと、この広い宇宙に我一人立つ、との思いはいよいよ深くなる。       (山崎)

響焰2019年4月号より


【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201904


なあみんな     山崎 聰


石段を十段あまり寒北斗
童心のひとつこぼるるぼたん雪
鈍色の空を残して雁帰る
春一番ニューヨークから女客
戦争をしばらく知らず影朧
対岸のまひるの景として雲雀
三鬼の忌とりわけ赤いひとところ
くっきりと昭和平成春の濤
列島の暮れ泥みたる春の景
春だからのんびり行こうぜなあみんな

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2019年1月号より

木の瘤が瘤の夢見る月夜かな       石倉 夏生
お日さまとクリームパンと茨の実     森村 文子
秋の夜ひたひたと黒人霊歌        川嶋 悦子
戦争の曖昧模糊と死者の数        鈴 カノン
えそらごとまことまぼろし芒原      岩崎 令子
渋柿といえど八十路のふくらはぎ     青木 秀夫
まんじゅしゃげ後ろ姿を見たような    秋山ひろ子
あの日からさらわれたままいわし雲    笹尾 京子
丸善に何を置こうか十月は        松村 五月
堕天使のラッパとどろき野分あと     波多野真代

 

<白灯対談より>

実南天闇に華やぐ生活かな        川口 史江
電柱が正しくならび冬満月        小林多恵子
咲いてもひとり白椿紅椿         北川 コト
蠟梅の神田川から明けはじむ       廣川やよい
駅ひとつ乗りこして見る冬の月      中野 充子
人と人こんがらがって氷柱かな      金子 良子
去年今年あなたの海はまた深く      大竹 妙子
凍蝶のかすかな光残し逝く        相田 勝子
一発逆転あかあかと大旦         小林 基子
新潟の人から届く寒見舞         江口 ユキ
宇宙から素粒子の声山眠る        田口 順子
福笑い年齢自由自在なり         笹本 陽子

 

 

【山崎主宰の編集後記】

 俳句は、製作(作句)一割、推敲九割と心得ている。製作はいってみれば思い付き、つまりきっかけである。それに肉付けをしていのちを吹き込むことで、俳句というかたちに仕上げるのが推敲である。だから推敲に時間を掛けるほど、その俳句は単純化、明確化されてシャープになる。九割はそのためのエネルギーである。推敲九割を心掛けたい。       (山崎)

響焰2019年3月号より


【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201903


紙鳶     山崎 聰


霜の朝晩節戛々と通る
ほのあかきものいくつか冬至粥
十二月砂噛む心地して夜明け
早起きの子供に朝日紙鳶(いかのぼり)
あるときは熱い涙を雪おんな
人の日をなよなよあるき黄粉餅
さりながら越中八尾雪のなか
反骨のいまだくすぶりどんど焼
死者に光をやまなみるいるいと凍る
自転車が農道を行くおとなの日

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2018年12月号より

九月の雨うしろ向くとき老いにけり    栗原 節子
絵の中に転がっている夏の果       森村 文子
吉野葛おのずから百人一首        鈴 カノン
一切をおおきな袋風は秋         河村 芳子
二百十日蜜たっぷりの白い壺       小川トシ子
野分あと自問自答して一人        山口美恵子
二十年先にもあるだろう良夜       愛甲 知子
曼珠沙華やはりおまえは赤で咲け     笹尾 京子
就中白い小指の晩夏かな         蓮尾 碩才
真夜の月意味なく好きなことをして    波多野真代

 

<白灯対談より>

あしおとが揃う日十二月八日       北川 コト
海を恋い人を恋いいて冬の川       小林多恵子
不器用な鋸の音街小春          平尾 敦子
出口から人吐き出され十二月       廣川やよい
街中に赤あふれきて十二月        川口 史江
カピバラのはみ出している小春かな    大竹 妙子
冬田中一番電車来て止まる        相田 勝子
晩節や別れの先の枯木星         江口 ユキ
そうはいってもしかしやっぱりおでん鍋  田口 順子
小春かな外人墓地のマリアさま      金子 良子
椿落つ胸に穴あく音のして        土田美穂子
冬薔薇ただ泣いているだけなのに     加賀谷秀男
天高く人間ひと日ふくらみぬ       小澤 裕子
誉め言葉うれしく貰い年終る       笹本 陽子

 

 

【山崎主宰の編集後記】

 事柄を書くのが俳句だと思っていないだろうか。事柄つまり物語は、いくら書いてもそのままでは詩にはなり得ない。俳句はもともとストーリーテリングには馴染まないのだ。

 要するに、俳句は意味などどうでもいいのであって、意味はわかるが詩がわからないというのでは俳句とはいえない。句会などで、だからどうなの、と問うのは、意味事柄はわかるがその先の詩が見えない、どういう詩が云えているのか、と問うているのである。。

 俳句は本来意味を云う詩では断じてない。肝に銘じて欲しい。       (山崎)

響焰2019年2月号より


【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201902


ぬう と すう    山崎 聰


螻蛄鳴いて一伍一什は風の中
落城の翌日のよう崩れ簗
病院の十一月の長廊下
黄落は風神さまの出来ごころ
ぬうと来てすうと帰りぬ神の留守
東京にはじめての雪男の子
十二月八日のあとの朝の景
泥土なおかくのごとくに年暮るる
三丁目交差点前雪だるま
谷中千駄木遊んで遊んで年おわる

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2018年11月号より

一粒の時間かがやき滴れり        石倉 夏生
痛みとも凝視とも炎天の道        森村 文子
来ぬ人を待つ八月の人さし指       渡辺  澄
炎昼の蕎麦屋喪服の二三人        川嶋 悦子
八月七日立秋の文字ふと目にす      長沼 直子
どこをどうこの炎天の江東区       加藤千恵子
木の家に木の風通る立夏かな       中村 克子
あれやこれそれでも築地油照り      青木 秀夫
葵散るそういうものと気にもせず     愛甲 知子
蛍飛ぶ過去も未来も思わぬが       波多野真代

 

<白灯対談より>

善人の顔で歩いて酉の市         金子 良子
ひとりずつ家に戻りて良夜かな      小林多恵子
回りみち裏道小径銀木犀         川口 史江
暖冬やふるさとすこし遠のいて      江口 ユキ
さびしらは壁にはりつく天道虫      中野 充子
ふるさとの訛飛び交い冬の駅       廣川やよい
体の中を木漏れ日の十二月        北川 コト
ぼんやりわかれてえのころのはらっぱ   大竹 妙子
昨日とは違うかたちの冬三日月      大森 麗子
筑波山青を深めて冬立つ日        田口 順子
限界集落小粒柿を背におとこ       土田美穂子
木枯一号遠景に富士その他        相田 勝子
胸の奥真っ赤な花の秋と会う       笹本 陽子
冬ざれの哲学の道山頭火         辻󠄀  哲子

 

【山崎主宰の編集後記】

 ”俺たちはね、歌を聴いた人が自分のなかでストーリーを紡いでいく、そのきっかけ作りをするだけなんだよ”と、これはある作詞家の言葉である。

 私たちの俳句でも同じようなことが云えるのではないか。作者は詩のきっかけだけを示す。あとは読者に任せる。作者が全部云ってしまっては、読者は何もすることがない。

 作者はできるだけ言葉を惜しみ、読者の想像する場を広げる。ひとことで云えばそういうことであろう。          (山崎)

響焰2019年1月号より


【山崎主宰の俳句】縦書きはこちら→Shusai_Haiku_201901


四響 志津子    山崎 聰


ある夜加齢森のはずれのお月さま
馬や人やぼんやりと秋過ぎてゆき
ふたりさびし三人の秋なおさびし
秋雨の草加越谷誰か過ぐ
鯛焼にたっぷりの餡喜八の忌
十二月八日ふたりで鬼ごっこ
あかあかと街の灯わが灯冬至粥
石段の先に冬星つと奈落
うみやまは冬のかたちを四響志津子
立ちあがり立ちどまり冬の夕焼

【山崎主宰の選】

<火炎集>響焔2018年10月号より

三時には赤い蟹来る夏休み        森村 文子
こんなところに八月の非常口       加藤千恵子
鳶尾や父の背なかを見ておれば      鈴 カノン
神父来る向日葵畑のむこうから      岩崎 令子
七月の格別な朝赤ん坊          小川トシ子
ひまわりの一番きれいな日の自画像    愛甲 知子
加速して緑の中へ夏休み         鈴木 瑩子
誘われてほたるぶくろの暗がりに     あざみ 精
自販機のひとかたまりの暑さかな     大見 充子
迷いなく当然の白夏椿          笹尾 京子

<白灯対談より>

頑張った褒美のような秋の空       小林多恵子
瓦斯灯のほのおの揺らぎ冬に入る     廣川やよい
おとうとを泣かせうしろの苅田風     北川 コト
秋うらら小人ぞろぞろ丘越えて      大竹 妙子
遠く来て風とコスモス買いにけり     波多野真代
星月夜弱者貧者のへだてなく       川口 史江
秋高く人馬一体風のなか         中野 充子
ザクザクと妖怪の列山粧う        金子 良子
雲という雲引き連れて台風来       相田 勝子
地球儀に秋の海原みな遠く        笹本 陽子
野分あと軍手長靴竹箒          原田 峯子
長き夜やもやしのひげと猫の髭      田口 順子
お日さまに一番近い木守柿        加賀谷秀男
菊人形日毎たましい宿りゆく       浅見 幸子

 

【山崎主宰の編集後記】

 ノルウェーの画家エドヴァルド・ムンクは”私は見えるものを描いているのではない。見たものを描いているのだ”と云っている。”見えるもの”と”見たもの”は、言葉は似ているが意味するものは全く違う。つまり”作者の意志”ということである。

 ローマの武将ユリウス・カエサルの云う”人は見たいと思うものしか見ていない”と通底するものであろう。

 このことは俳句についても云えるのではないか。漠然と視野に入ってくるもの、つまり見えたものでなく、作者が意志を持って見たもの、それを書くのが詩であろう。          (山崎)